1966年
大阪・桜塚高の奥田敏輝投手(18)の獲得に当たっている阪神は、十四日午後六時四十分すぎ、河西スカウトが豊中市宮山町二の三の同投手宅を訪れ、奥田投手と両親の元一郎氏(49)正枝さん(39)と三度目の対面交渉をした結果、同投手をはじめ両親もこれまでの明大進学希望からプロ入りに大きく傾き、阪神入団は決定的となった。奥田投手は東京、関西六大学のほとんどから勧誘を受けているが、明大進学を希望していた。しかし十四日よる、両親の兄弟など親族が同投手宅に集まり親族会議をひらいて話し合ったところ、ほとんどがプロ入りに賛成、本人も阪神でプレーしたい気持ちがあることをほのめかしたため、河西スカウトが訪問した。この日、奥田投手はプロ入りの意思表示はしなかったが、十七日ごろ再度親族と相談して態度をきめることになっており、周囲の情勢から同投手は進学を断念、近日中に阪神入りの意思表示をするものとみられている。
大阪・桜塚高の奥田敏輝投手(18)の獲得に当たっている阪神は、十四日午後六時四十分すぎ、河西スカウトが豊中市宮山町二の三の同投手宅を訪れ、奥田投手と両親の元一郎氏(49)正枝さん(39)と三度目の対面交渉をした結果、同投手をはじめ両親もこれまでの明大進学希望からプロ入りに大きく傾き、阪神入団は決定的となった。奥田投手は東京、関西六大学のほとんどから勧誘を受けているが、明大進学を希望していた。しかし十四日よる、両親の兄弟など親族が同投手宅に集まり親族会議をひらいて話し合ったところ、ほとんどがプロ入りに賛成、本人も阪神でプレーしたい気持ちがあることをほのめかしたため、河西スカウトが訪問した。この日、奥田投手はプロ入りの意思表示はしなかったが、十七日ごろ再度親族と相談して態度をきめることになっており、周囲の情勢から同投手は進学を断念、近日中に阪神入りの意思表示をするものとみられている。