プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

伊東勇

2018-04-05 21:22:42 | 日記
1969年

「ことしダメだったら、もう野球をやめようと思っていました」-プロ入り三年目で初めての勝利を得た伊東は青白い顔で話す。1㍍84、体重73㌔とやせすぎな体。たくましさはないが、この初勝利をかざったのはその根性だ。野球とはおよそ関係のない福岡一高を卒業、プロ野球の世界で自分の力を試してみたいと思ったそうだが、高校野球の福岡県予選でもすぐに負けるチームの投手に口をかける球団はない。伊東は地元西鉄のテストをうけた。「プロ野球で使ってくれるところなら、どこでもいいと思ったのです」というが、一年目は二軍でバッティング投手。二年目も同じ生活だったが、六月にはじん臓を悪くして四ヶ月間の入院。やっとなおったら、こんどは腹膜炎と不運が続いた。体重も70㌔を割り、体力も落ちていちばん苦しいときだったという。それだけに、ことしはすべてをかけてキャンプにのぞんだ。ところがキャンプから、いつになく調子がよく、レギュラー・バッティングでも投げられたほか、バッティング練習さえさせてもらえた。オープン戦で四回登板、公式戦にはいってからも敗戦処理とはいえ、この日までに七試合も起用されて、ちょっと自信らしいものがついてきたという。「監督さんから負けてもいいから向かっていけ。逃げて四球を出したりするな、といわれたことを守って投げたんです」「カーブのコントロールがよかったので、ボールが先行しても苦にならなかった。それにロッテのクリーンアップはみんな左なので、左腕のぼくにとってそれほどこわくはなかった」と、言葉は次々に出てくるが、プロ入り初勝利の喜びはわいてこないらしい。「初めて勝ってどんな気持?」と聞かれると、頭をかきながら「まだよくわからないが、まあうれしいです」と高校生のような感想。左からの大きなカーブが有効で、この日は低目によく決まっていたが「ボクは力がないから打たせてとる投手になりたい」という。十五日昼、巨人・広島の大羽投手のピッチングに感心したそうだ。「ああいうタイプの投手になりたいのです」と話していたが、今シーズン投手陣の不調で低迷を続ける西鉄だけに、三年目のルーキー、伊東の活躍は今後も期待されよう。
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