プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

鶴崎茂樹

2018-04-20 20:45:00 | 日記
1972年

郷土のホープ、南海の鶴崎茂樹選手(19)=筑紫工高出=が順調に育っている。昨年夏の高校野球大会で広陵相手に発揮した肝っ玉も健在。この一年で「きびしいプロ」の水を味わい、いちだんとたくましくなった。いまはマウンドを降りて、野手一筋。チビちゃんという愛称で人気者になっているが、コーチ陣の期待は第二の吉田(元阪神)。軽快な正内野手誕生もそう遠くなさそうだ。今季入団すると、しばらく投手と野手の二本立てで出発。ブレイザー・ヘッドコーチに「イイ球威だ」とバッティング投手をしている際、驚かせたが、結局、野手専門へ。「ボクはまだヒヨコ。先を見てくれる監督さんらに従うだけで、投手に未練はありません」ときっぱり。筑紫工エースの肩書きもいさぎよく捨て去ったのだ。その鶴崎がまずぶつかった壁は送球フォーム。本格派だったので、小さくまとまるまでに今季なかばまでかかったという。そして中腰で、激しいノックに耐える体力不足。ある夏の日の百本ノックで「ぶっ倒れ、水をかけられた」こともある。そんなとき、ノックに耐えている同僚たちを見て、悔し涙をこらえながら、また立ち上がって行った。「高校のときだったら、監督がつきっきりで見てくれるので頼れもしたが、いまは一人ぼっち。体力の限界まで鍛われるのは同じだが、精神的なきびしさは段違い」とプロの感想をもらす鶴崎。そのきびしさの第一関門は突破したわけだ。ウエスタン戦にも六月ごろから起用され、後半はほとんどフル出場。半分以上の三十五試合を経験できた。「タイムリー打が出るようになったのが大きい。連係プレーもまずまず」と岡本二軍監督を喜ばせている。しかし、この九月父の克巳さん(58)が心臓の病気で入院、鶴崎の気持ちは心配で揺らいだ。母のみや子さん(50)は、このため働きに出始め、鶴崎も毎月の送金額を増やした。こんなとき、病身の父から電話で「心配するな。お前は早く一人前になることだけ考えろ」と逆に励まされたという。また元気づけられたのは、同じ九州男児で同期生の定岡=鹿実出=の友情。野手で生きてきた定岡のアドバイスは「コーチ陣の指導を生かせた」「攻守ともいい感覚だ。体力がついて来たし、これからが大成するかどうかの勝負。が、あの根性だとかつての吉田となるのも夢ではない」と目を細める岡本二軍監督。こんどの秋季練習をみた沼沢コーチは「シュアなバッティング。腕っぷしが強く、たたきつける特徴がある」打者として成長株の声。鶴崎は七日の紅白戦で二塁を守った。足の速い島野、桜井を併殺プレー、非凡なフィールディングを披露してチビいいぞーの声がかかった。打っても左前適時打する活躍。ベース上で小躍りしたチビちゃん。一軍入りのジャンプ台に乗っかった。
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辻邦男

2018-04-20 20:28:11 | 日記
1968年

阪神の辻邦男捕手(21)=敦賀高出=は、実家のつごうでこのほど球団側に退団を申し入れ、球団側はこれを了承した。同捕手は辻佳紀捕手の実弟で今春、テストを受けて入団した。
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