1954年
パ・リーグ近鉄パールズでは十一時半午後丸ビル三階の東京営業所で太田侃投手(函館西高、早大)と今シーズンの正式契約を行なった、同投手は昨春函館西高卒業時にセ・リーグ洋松ロビンスをはじめプロ球団の活発な勧誘を受けた有望投手だが、進学の道を選んだものでこのほど早大を中退近鉄入りとなった、背番号14、身長五尺九寸六分、体重十九貫、右投、右打で長身からの制球力ある速球を武器としている。
太田投手談 家庭の事情で早大を中退したが、自分の生きる道は野球以外にないと思ったので近鉄入りを決意した、近鉄は早大の大先輩であり、人格者である芥田さんが監督をしているので安心して飛込める、毎日オリオンズには同僚の橋本君などもいるが裸一環で入って思い切り叩かれ、苦労した方が自分の身のためだと思う、正月の休暇は郷里へ帰って母校函館西高で柔軟体操、バスケット、ラグビーなどをやっていた、調子はよいので三十日頃宮崎のキャンプに参加して思い切りトレーニング出来る、プロは学生野球と違い尋常の努力ではすまされないと思うが、自分の生活がかかっているので最善の精進をするつもりだ。
大北代表談 昨年春から人を介して交渉中だったがやっと契約にこぎつけた、昨年話のあった洋松ロビンス、また早大野球部の了解も得てありこの点何ら心配もない。
パ・リーグ近鉄パールズでは十一時半午後丸ビル三階の東京営業所で太田侃投手(函館西高、早大)と今シーズンの正式契約を行なった、同投手は昨春函館西高卒業時にセ・リーグ洋松ロビンスをはじめプロ球団の活発な勧誘を受けた有望投手だが、進学の道を選んだものでこのほど早大を中退近鉄入りとなった、背番号14、身長五尺九寸六分、体重十九貫、右投、右打で長身からの制球力ある速球を武器としている。
太田投手談 家庭の事情で早大を中退したが、自分の生きる道は野球以外にないと思ったので近鉄入りを決意した、近鉄は早大の大先輩であり、人格者である芥田さんが監督をしているので安心して飛込める、毎日オリオンズには同僚の橋本君などもいるが裸一環で入って思い切り叩かれ、苦労した方が自分の身のためだと思う、正月の休暇は郷里へ帰って母校函館西高で柔軟体操、バスケット、ラグビーなどをやっていた、調子はよいので三十日頃宮崎のキャンプに参加して思い切りトレーニング出来る、プロは学生野球と違い尋常の努力ではすまされないと思うが、自分の生活がかかっているので最善の精進をするつもりだ。
大北代表談 昨年春から人を介して交渉中だったがやっと契約にこぎつけた、昨年話のあった洋松ロビンス、また早大野球部の了解も得てありこの点何ら心配もない。