プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

太田侃

2018-11-12 21:24:15 | 日記
1954年

パ・リーグ近鉄パールズでは十一時半午後丸ビル三階の東京営業所で太田侃投手(函館西高、早大)と今シーズンの正式契約を行なった、同投手は昨春函館西高卒業時にセ・リーグ洋松ロビンスをはじめプロ球団の活発な勧誘を受けた有望投手だが、進学の道を選んだものでこのほど早大を中退近鉄入りとなった、背番号14、身長五尺九寸六分、体重十九貫、右投、右打で長身からの制球力ある速球を武器としている。

太田投手談 家庭の事情で早大を中退したが、自分の生きる道は野球以外にないと思ったので近鉄入りを決意した、近鉄は早大の大先輩であり、人格者である芥田さんが監督をしているので安心して飛込める、毎日オリオンズには同僚の橋本君などもいるが裸一環で入って思い切り叩かれ、苦労した方が自分の身のためだと思う、正月の休暇は郷里へ帰って母校函館西高で柔軟体操、バスケット、ラグビーなどをやっていた、調子はよいので三十日頃宮崎のキャンプに参加して思い切りトレーニング出来る、プロは学生野球と違い尋常の努力ではすまされないと思うが、自分の生活がかかっているので最善の精進をするつもりだ。

大北代表談 昨年春から人を介して交渉中だったがやっと契約にこぎつけた、昨年話のあった洋松ロビンス、また早大野球部の了解も得てありこの点何ら心配もない。
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弘瀬昌彦

2018-11-12 21:04:49 | 日記
1954年

若手投手がズラリ並んでピッチングをしているのを松木監督、御園生コーチが何かヒソヒソ話をしながら眺めているのをみて、甲子園球場にはいるときフト考えた疑問をブチまけてみた、それは巨人と四つに組み、長期シーズンを乗切るのにいまの投手陣では少し手薄ではないかということだ、松木監督の答は「若手から大崎、小山それに新入団の栄屋(鐘紡)弘瀬(土佐電鉄)の二人に期待している、一応出来ているのでネ、心配ないさ」と至極アッサリ肩すかしを食ってしまった。そこで期待の弘瀬投手を探してスポットを当ててみた、まだ肩馴らしの域を出ないが、サイド・アームからピンピンと小気味よく白球が徳網のミットに吸い込まれている、五尺六寸八分、十八貫五百とがっちりした体つきは満二十歳という若さとともに楽しみな人である、御園生コーチもつきっきりで「まだとやかくいわずに自由に投げさせているが、横からのシュートに変化があって面白く、カーブも小さいがスライドするので非常に有効、オープン戦に使ってみて、すぐ第一線だな」と頼母しげ、もう少しバネをつけさせれば大友に匹敵する好投手になることを受け合いというからますますすごい。「投手に転向して一年しかならないというからあまりゴタゴタ教えて、かえって堅くなられては困るから」という温かい雰囲気につつまれた彼、この期待を知ってか知らいでか腰のバネをつくるために伝統のアルプス上りマンモス球場のスタンドをピョンピョン兎跳び十数回でひと汗かいたところへ近づけば、南国土佐の生れらしい真黒い顔に白い歯が印象的である「きついです、郷里でトレーニングやっていたんですよ。それでもこたえます、ノン・プロ時代と違って練習が実にスピーディーなので驚いています、それと全員のファイトといいますか競争心が激しい点、僕も負けずにやります、栄屋さんとも同じノン・プロからの加入ですからお互いに励ましあってます」と決意を語る、彼の球歴は二十六年夏高知商の一塁手として全国大会で甲子園へ、投手としては昨年の都市対抗に出場、準決勝で大昭和の軍門に降っているが、このときのピッチングが認められての入団「三年前にオドオドしながら踏んだ憧れの甲子園で毎日練習できるなんて、伝統あるタイガースに入れたことがいままでで一番嬉しいことです」とはいかにも新人らしい言葉、この素直さを失わず、ベース・ランニング15秒9の脚の鍛錬を怠らねば生来のタフさもあり、御園生コーチのいう大友ばりのピッチングで阪神ロートル投手陣の支柱として巨人打者をとまどいさせる日も遠くはあるまい。
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新田道郎

2018-11-12 20:40:40 | 日記
1954年

近鉄大北代表 投手では新田(20)(三和中)だ。コントロールがいいうえに度胸がある。芥田監督も本格派投手だといっているが、フォームも立派だし大成すると思っている。
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八浪彬雄

2018-11-12 20:05:01 | 日記
1953年

巨人軍は廿日八浪彬雄投手(18)と契約した。熊本工出身で西鉄の八浪外野手の弟。左投左打、五尺七寸、十八貫。

1954年

二十日の明石キャンプでジュニア・ジャイアンツの投手陣を一時間半にわたってコーチしたオドウール監督は「こんなすばらしいルーキー投手がいたのか、ぜひアメリカに連れて帰って育てたい」と言い出した。これは昨年伊東キャンプに川上選手の推薦で入団した八浪彬雄投手(19)(熊本工)だ。オドウール氏はボビー・ブラウン氏を呼んで「このナチュラルにアウト・シュートするヤツナミのくせ球を打てるか」と大したほめよう。八浪は突然のことにハトが豆鉄砲くらったような顔つき。オドウール監督はこの大発見にいささかノボセ、ベンチに自分のゴルフグツを置き忘れて行った。
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