プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

大根晃

2018-11-26 22:13:39 | 日記
1954年

手もとでのびるシュートとアウドロに七回を除く毎回の12三振をもぎとる好投を示した初登板の地元出身大根(桜ケ丘高)が最終回代打島本の安打によるピンチも中村との巧みなけん制球で最小得点に切り抜けたのは、二回無死三塁打したうえ、六回無死満塁に桝の三塁右の難ゴロをよくつかんだ河津の攻守とともに出色のできばえだった。
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中山正嘉

2018-11-26 21:36:21 | 日記
1950年

春の光のまぶしいマウンドでカムバックした中山(金鯱)が眼鏡を光らせて七回まで阪神打線を封じた阪神対広島三回戦は八回阪神の反撃が成功して広島のため或は三連敗を喫するかと思われた阪神は接戦のすえ、暫く勝ち星をあげた、広島は中山、阪神は野崎で対戦したが、数年ぶりに返り咲いた中山はシュート、カーブ、ドロップの配合がよく、しかも絶妙のコントロールで会心のスタートを切り六回までは阪神打線を幻惑していた、往年のスピードこそないが巧味のあるピッチングは三回野崎にシングル、五回西江に二塁打を許したが急所急所をよくしめて、いささかの不安も抱かせなかった。
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久保木清

2018-11-26 21:17:26 | 日記
1950年

セ・リーグ巨人軍では卅一日久保木清(28)=慶応卒=を新登録した外野手、背番号21。同選手は広島商を出て慶大に入り、廿二年主将をつとめ、同年秋三割七分五厘で首位打者となり廿三年春卒業、ノンプロ大昭和製紙にあって活躍していた。
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