プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

柴田勲

2019-10-05 20:46:24 | 日記
1960年

関東大会では法政二高が川崎ブームの余勢をかって優勝した法政は夏の大会で優勝したチャンピオン。しかもその優勝投手柴田が健在であるうえに、幕田遊撃、是久三塁、的場外野手と四人も優勝メンバーが残っているので、新チームとは思えない洗練された攻守を身につけていた。とくに柴田投手は夏の優勝ですっかり自信をつけ、準決勝まではほとんど速球一本ヤリ。土浦一高戦に15三振を奪ったのをはじめ、四試合で40三振をとってのけた。夏の大会にみせたようなスライダーは投げず、現在はとにかく直球に球速を加えようと努力しているようだ。その直球のスピードといいカーブの鋭さやコントロールのよさなど、現在の高校球界では第一人者と折紙をつけてもよさそうだ。

1961年

この日の柴田は立上りからカーブを多投してカウントを有利にしたあと、シュートと外角の速球を投げる投法で立ち向かい、平安が右翼打ちをねらうウラをかいてきた。
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1963年 西鉄 戦力外選手

2019-10-05 20:02:18 | 日記
1963年

西鉄は三十日午前十時半、福岡市大名町の球団事務所に後藤、小野(以上投手)倉内、吉田、幸村(以上野手)の五人を呼んで藤本球団課長から自由契約の通告を行なった。これに対し後藤投手は「広島か中日へ紹介してほしい」と申し入れ藤本球団課長はこれを了承した。
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小野坂清

2019-10-05 18:38:15 | 日記
1963年

不二越のエース小野坂清投手(20)=大鉄高出身=はこのほど近鉄入りが決定した。身長176㌢、体重67㌔、左投げ左打ち。小野坂投手は、今夏都市対抗の信越予選で三試合を完投、自責点0の好投をみせ、本大会でも一回戦では富士鉄広畑を5安打、1点に押え勝利投手になって注目あされた。小さく鋭くカーブが武器で、沈む球も持っている。
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柴田勲

2019-10-05 16:14:07 | 日記
1962年

一回裏ゆっくりマウンドに立った柴田は森を相手に軽い肩ならし、一球目は森が飛び上がるほど高くはずれ全然スピードがない。西鉄ベンチから「タマが来んぞ」「チョウチョがとまりよる」とはげしいヤジ。柴田は一塁ベンチを見てニヤリと笑ったが二球目がワンバウンド。「ニヤニヤ笑ってて大じょうぶか」といっそうひどくなった。ところがいざ本番となってトップの玉造がカーブで二ゴロにとるとぐっと落ち着きが出て仰木、高倉を外角球で連続三振にとった。外角をつく速球がのびていた。カーブはややスピードが落ちるがコントロールがいい。二回豊田、和田に打たれ二塁けん制のイキが合わず悪投して二死二、三塁のピンチを迎えたが、城戸を快速球で三振させた。セット・ポジションでなくなるととたんにスピードが増したようであった。和田に代わって稲尾のタマをうけていた河合が「オレよりふけた顔をしている。オトッツァンみたいだぜ」とベンチへ帰ってきたのでヤジりがいなしとみたのか、すっかり静かになった。捕手からの返球をうけると帽子をかぶり直し、長すぎるアンダーシャツをまくりあげるなどマウンドの柴田はいそがしい。しかしピッチングそのものは新人とは思えぬほど落ち着いたもの。五回無死一、二塁から城戸のバントもうまく処理した。1点を失ったが、うい陣で勝利投手となったのはりっぱ。試合中ベンチ横のマッサージ室で、甲子園のときの方があがり気味でしたよ、きょうはわりと平気だった。八分二分の割りでほとんどストレート、シュートは一球だけという。「速いカーブを投げると腕が下がってくるのでまだダメですね」と落ち着いた口調で話し出したが「城戸のバントは三塁で間に合ったじゃないの」ときいたら「森さんが一塁といったんですから…」と答えながら「ちょっと待って下さい」とベンチへもどって別所コーチにたずねてから「やっぱり一塁でいいんだそうですよ」とダメをおされた。三本のヒットはみんな真ん中のタマ、内角をねらったのにどうも真ん中へ集まり気味という。「コントロールがまだまだですね」といってから「お粗末でした」と得意のセリフを残してベンチへ帰っていった。
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安次嶺栄七・斎藤勝博

2019-10-05 15:57:44 | 日記
1964年

東京オリオンズは二十六日、二選手の入団を発表した。

安次嶺(あじみね)栄七投手(17)=1㍍75、72㌔、右投右打、所沢高出=

斎藤勝博捕手(17)=1㍍73、70㌔、右投右打、佐倉一高出=
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角田満

2019-10-05 15:52:45 | 日記
1991年

プロ入り五年目。一昨年はファームで4勝も、昨年は1勝すらできなかった。「今年はファームで実績を作って、一軍へ入るチャンスを作ること」角田満投手は今シーズンの目標を、こう考えていた。そして若手にチャンスをと、近藤監督が与えたチャンスを確実にものにし、オープン戦4試合を投げ防御率0.82(20日現在)はチーム1位。調子の上がらない投手陣の中で一人、光っている。「出来過ぎですよ」と、白い歯を見せる角田。この角田の変身にはシュートという武器があった。昨年は「ピッチングの組み立てがうまく出来ずに悩んでいたんですよ」という。ファームでの0勝は、角田に相当こたえていた。そこで二軍の三浦コーチに相談したところ、落ちるシュートと、食い込むシュートの握り方を教えてもらった。柱になる球がなかった角田は「あれからカウントを取ったり、組み立てがしやすくなった」と、ピッチングの幅の広がりを実感。さらに、オフには一昨年の3倍以上の走り込みで下半身を作ったことで、課題のコントロールにも抜群の進歩を見せた。「過信になってはいけないが、投げるのがいまは楽しみです」と、角田は笑顔を見せた。18日、角田は中日とのオープン戦で「自分の理想の姿を見た」という。それは、中日・西本の投球だった。それまでの角田は「球の力さえあれば、いいんだ」と思っていた。それが、シュートを覚えたことで「コントロール」ということを意識し始めた。そんなとき、同じシュートを武器とする西本の投球を見たのだ。「インコース、アウトコースの抜群のコントロール。そして、あのシュートがあるでしょう。だから、少し甘いカーブが行っても打たれない。いやあ、参考になりましたよ」自分の理想の形を目にして、角田はさらに自信を深めた。しかし、日本ハム投手陣といえば、西崎、柴田、松浦、武田と、パ・リーグでも№1の豊富な投手陣。いまは一番光っているとはいえ、開幕一軍入りには気が抜けない状況だ。「実績がないから、悪くなればすぐに落とされるでしょう。残れたとしても、いまケガして出遅れている佐藤誠さんや、河野さんもいるし…」と、自分の置かれた立場はわかっている。「でも、ここまで来たからには、何が何でも一軍に残って、両親にオレの力を見せてやりたい」-。過去4年間、心配をかけた両親へ初勝利のプレゼントが、今年の角田のもうひとつの大きな目標である。
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井上勝巳

2019-10-05 15:39:38 | 日記
1960年

大毎オリオンズでは十五日有楽町の球団事務所で井上勝巳投手(17)=育英高二年=と正式契約したと発表した。同投手は上手投げで速球を得意とする本格派投手であり、選抜高校野球で対星陵高戦(5-0で勝つ)では13三振を奪うなどその速球は大毎だけでなく大洋なども注目、勧誘していた。1㍍79、75㌔、左投左打、背番号は30番。

井上投手の話 まえからプロに入って思いきりやってみたいと思っていた。その念願がかなえられてうれしい。大毎には尊敬していた荒巻さんもいるし、なにより打てるチームというのが魅力だ。中途退学しプロに入ったのはチャンスにも恵まれたし、それに一年でも早くプロになれればそれだけ自分のプラスだと思ったからだ。武器は速球だ。
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