1960年
関東大会では法政二高が川崎ブームの余勢をかって優勝した法政は夏の大会で優勝したチャンピオン。しかもその優勝投手柴田が健在であるうえに、幕田遊撃、是久三塁、的場外野手と四人も優勝メンバーが残っているので、新チームとは思えない洗練された攻守を身につけていた。とくに柴田投手は夏の優勝ですっかり自信をつけ、準決勝まではほとんど速球一本ヤリ。土浦一高戦に15三振を奪ったのをはじめ、四試合で40三振をとってのけた。夏の大会にみせたようなスライダーは投げず、現在はとにかく直球に球速を加えようと努力しているようだ。その直球のスピードといいカーブの鋭さやコントロールのよさなど、現在の高校球界では第一人者と折紙をつけてもよさそうだ。
1961年
この日の柴田は立上りからカーブを多投してカウントを有利にしたあと、シュートと外角の速球を投げる投法で立ち向かい、平安が右翼打ちをねらうウラをかいてきた。
関東大会では法政二高が川崎ブームの余勢をかって優勝した法政は夏の大会で優勝したチャンピオン。しかもその優勝投手柴田が健在であるうえに、幕田遊撃、是久三塁、的場外野手と四人も優勝メンバーが残っているので、新チームとは思えない洗練された攻守を身につけていた。とくに柴田投手は夏の優勝ですっかり自信をつけ、準決勝まではほとんど速球一本ヤリ。土浦一高戦に15三振を奪ったのをはじめ、四試合で40三振をとってのけた。夏の大会にみせたようなスライダーは投げず、現在はとにかく直球に球速を加えようと努力しているようだ。その直球のスピードといいカーブの鋭さやコントロールのよさなど、現在の高校球界では第一人者と折紙をつけてもよさそうだ。
1961年
この日の柴田は立上りからカーブを多投してカウントを有利にしたあと、シュートと外角の速球を投げる投法で立ち向かい、平安が右翼打ちをねらうウラをかいてきた。