プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

黒木幹彦、近藤光郎

2019-10-11 22:18:51 | 日記
1962年

かねてから中日、西鉄両チームの間で交渉が進められていた中日黒木幹彦内野手(21)-西鉄近藤光郎左投手(24)の交換トレードが四日本決まりとなり、近く両球団から正式に発表される。豊田が抜けて内野陣が手薄となった西鉄は、サウスポー近藤の放出を決意、中日にトレードを持ちこんだ。これに対して中日は、左投手が手薄なところから、慎重に検討を行っていたが、高田代表が三日、大阪で坪内前西鉄コーチ(本誌評論グループ)と会見して近藤獲得のハラを決め、四日西鉄との間で最終的な話がまとまったもの。坪内氏は「近藤はスタミナの点ですこし落ちるが、スピードがあるので今後成長株としてタイコ判が押せる」と近藤のピッチングを買っている。左投手に悩む中日にとって、来年すぐ戦力として期待できる見こみ。一方、西鉄としても、大型内野手の素質を持つ黒木の獲得は、内野守備陣に厚味を加えるわけで、このトレード成立は、両チームにとって大きなプラスになるものとみられている。

高田代表の話 近藤は左腕投手だけに、注目していた選手だが、いろいろ検討した結果、将来性がじゅうぶんあり、すぐ使えるものと判断したので黒木とのトレードを成立させたわけだ。貴重な戦力になってくれるだろう。

近藤投手の略歴 三十五年関大から西鉄入りして7勝。三十六年は3勝をあげたが、ことしは1勝もあげなかった。だが左腕特有のシュートとカーブの持ち主で、ショートリリーフにはうってつけの存在。175㌢、72㌔、左投げ左打ち。

黒木選手の略歴 宮崎県都農高から三十五年、中日に入団。ウエスタン・リーグで活躍し、大型遊撃手として将来性を認められていた。こんごの努力しだいでは第一線におどり出ることも可能。177㌢、74㌔、右投げ右打ち。
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中井悦雄、椎木孝彰、宇都宗夫

2019-10-11 22:05:18 | 日記
1963年

阪神タイガースは七日、大阪市梅田の阪神本社で中井悦雄投手(19)椎木孝彰投手(17)宇都(うと)宗夫外野手(19)の入団を発表した。発表の席に姿をみせたのは中井投手だけだったが、同投手は昨年大鉄高校から関大に進学、秋のリーグ戦では4試合に登板して1勝3敗の成績。長身からの速球が武器で、河西スカウトが将来性を見込んで勧誘、一年で中退して阪神入りとなったもの。三十五年には大鉄高のエースとして春の選抜大会で甲子園に出場しており、近鉄の土井外野手と同級生だった。椎木投手は長身の左腕投手で二年で中退して入団。宇都外野手は二年生のとき春の選抜大会に出場、中京の林投手からだたひとり安打を記録した好打者、大型内野手として期待されている。

中井悦雄(19)関大一年中退、1㍍79、76㌔、右投げ右打ち。
椎木孝彰(17)和歌山県大成高校二年中退、1㍍80、70㌔、左投げ左打ち。
宇都宗夫(19)鹿児島実業、1㍍82、72㌔、右投げ右打ち。
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渡辺博文

2019-10-11 21:55:23 | 日記
1962年

阪急ブレーブスは九日午後三時から大阪梅田の阪急航空ビル内シルバーで立命大渡辺博文投手(24)の入団を発表した。同投手は三十四年倉敷工から立命大に進学、今秋のリーグ戦では優勝に大きく貢献、最優秀選手に選ばれた。1㍍75、75㌔、左投げ左打ち。

岡野代表の話 梶本兄につぎ左投手をほしいと思っていたので、渡辺君の入団は心強い。大いに期待している。

渡辺投手の話 プロの試合はまだ二十試合ぐらいしか見ていないが、ぼくなりにやっていく自信はある。よくカーブ投手のようにいわれるが、ぼくはシュートが武器だと思っている。ぼくは技巧派だから荒巻さんのような投手になりたい。
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山口昌明

2019-10-11 21:45:15 | 日記
1962年

鹿島市鹿島実高野球部投手山口昌明君(十八、農業科三年)はプロ野球南海ホークス石川スカウトとの間で正式に入団契約した。山口君は今夏の全国高校大会県予選では得意の直球、カーブをよく投げ三振十個を奪った。三回戦で鳥栖工に延長十一回すえ2対1で惜敗したが威力をじゅうぶんに発揮した。同校としては初のプロ入りだけに金子校長、岩本野球部長はじめ職員生徒が同君の将来に大いに期待をかけている。唐津郡塩田町久間冬野農業秀雄氏の五男。身長177㌢、体重60㌔。
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山本秀一・黒木幹彦

2019-10-11 21:35:44 | 日記
1963年

外人三選手をのぞいて唯一の補強選手ともいわれる山本秀一、黒木幹彦両内野手が十九日からはじまった西鉄ライオンズの自主トレーニングに参加した。山本選手は三十四年和歌山南高を卒業と同時に南海入り。1㍍75、72㌔のりっぱなからだを持つ大型内野手だけに、新人ながら鶴岡二世といわれたほどで、鶴岡監督も秀一、秀一と呼んで目をかけていた。だが、そのごやや伸び悩み、鶴岡監督も「ホークスにいて埋もれるよりも心機一転して、西鉄であばれまわっては…。豊田も去って手薄な西鉄内野陣に力を注入するためにも…」との考えから移籍されただけに、ファイトは満々。「別にこれといって抱負はないが、なくてはならない選手になりたい」と濃いマユに意志の強固さをみなぎらせていた。でも、5㌔を越すランニングなど十九日の自主トレーニングにはやばやととまどったかっこうで「こちらにくるまで家でからだをつくるためトレーニングしていたのですが少しへばりました。十八日に書いたばかりで、初日のせいかもしれません。もちろん南海のトレーニングとくらべるとはるかにライオンズのほうがきついようです。だが、これもやる気がみなぎっているせいで、ピーンとはり切った闘志というものが感じられます」といっていた。一方、黒木選手は都農高(宮崎)時代に主将、投手として四番を打ち、三十三年には九州高校野球宮崎県大会で秋、春の二回つづけて決勝戦に進出した立て役者。三十四年中日入りしたが、腰を痛めて遊撃手に転向した選手。「中日時代はまる二年間腰の痛みに苦しんだが、いまはコンディションも上上。西鉄カラーは明るく楽しい。二日前、自宅(宮崎県児湯郡都農町)から来福したばかりですが、監督さんをはじめ全員若くそのうえ同じ九州だからちーむにはすぐとけ込めます。とにかく一試合でもよい、代打でもよいので早く試合にでてやれるだけやってみたい」と第二の人生への出発に闘志をみせていた。中西監督も「有望な新人だからな。ひとつ、しっかりやってもらわなければ…」とハッパをかけていた。
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