1962年
かねてから中日、西鉄両チームの間で交渉が進められていた中日黒木幹彦内野手(21)-西鉄近藤光郎左投手(24)の交換トレードが四日本決まりとなり、近く両球団から正式に発表される。豊田が抜けて内野陣が手薄となった西鉄は、サウスポー近藤の放出を決意、中日にトレードを持ちこんだ。これに対して中日は、左投手が手薄なところから、慎重に検討を行っていたが、高田代表が三日、大阪で坪内前西鉄コーチ(本誌評論グループ)と会見して近藤獲得のハラを決め、四日西鉄との間で最終的な話がまとまったもの。坪内氏は「近藤はスタミナの点ですこし落ちるが、スピードがあるので今後成長株としてタイコ判が押せる」と近藤のピッチングを買っている。左投手に悩む中日にとって、来年すぐ戦力として期待できる見こみ。一方、西鉄としても、大型内野手の素質を持つ黒木の獲得は、内野守備陣に厚味を加えるわけで、このトレード成立は、両チームにとって大きなプラスになるものとみられている。
高田代表の話 近藤は左腕投手だけに、注目していた選手だが、いろいろ検討した結果、将来性がじゅうぶんあり、すぐ使えるものと判断したので黒木とのトレードを成立させたわけだ。貴重な戦力になってくれるだろう。
近藤投手の略歴 三十五年関大から西鉄入りして7勝。三十六年は3勝をあげたが、ことしは1勝もあげなかった。だが左腕特有のシュートとカーブの持ち主で、ショートリリーフにはうってつけの存在。175㌢、72㌔、左投げ左打ち。
黒木選手の略歴 宮崎県都農高から三十五年、中日に入団。ウエスタン・リーグで活躍し、大型遊撃手として将来性を認められていた。こんごの努力しだいでは第一線におどり出ることも可能。177㌢、74㌔、右投げ右打ち。
かねてから中日、西鉄両チームの間で交渉が進められていた中日黒木幹彦内野手(21)-西鉄近藤光郎左投手(24)の交換トレードが四日本決まりとなり、近く両球団から正式に発表される。豊田が抜けて内野陣が手薄となった西鉄は、サウスポー近藤の放出を決意、中日にトレードを持ちこんだ。これに対して中日は、左投手が手薄なところから、慎重に検討を行っていたが、高田代表が三日、大阪で坪内前西鉄コーチ(本誌評論グループ)と会見して近藤獲得のハラを決め、四日西鉄との間で最終的な話がまとまったもの。坪内氏は「近藤はスタミナの点ですこし落ちるが、スピードがあるので今後成長株としてタイコ判が押せる」と近藤のピッチングを買っている。左投手に悩む中日にとって、来年すぐ戦力として期待できる見こみ。一方、西鉄としても、大型内野手の素質を持つ黒木の獲得は、内野守備陣に厚味を加えるわけで、このトレード成立は、両チームにとって大きなプラスになるものとみられている。
高田代表の話 近藤は左腕投手だけに、注目していた選手だが、いろいろ検討した結果、将来性がじゅうぶんあり、すぐ使えるものと判断したので黒木とのトレードを成立させたわけだ。貴重な戦力になってくれるだろう。
近藤投手の略歴 三十五年関大から西鉄入りして7勝。三十六年は3勝をあげたが、ことしは1勝もあげなかった。だが左腕特有のシュートとカーブの持ち主で、ショートリリーフにはうってつけの存在。175㌢、72㌔、左投げ左打ち。
黒木選手の略歴 宮崎県都農高から三十五年、中日に入団。ウエスタン・リーグで活躍し、大型遊撃手として将来性を認められていた。こんごの努力しだいでは第一線におどり出ることも可能。177㌢、74㌔、右投げ右打ち。