プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

柴田勲

2019-10-06 20:32:39 | 日記
1961年

昨夏、今春と高校野球全国大会で法政二高(神奈川県川崎市木月)の二季連続優勝の原動力となった柴田勲投手(17)(同校三年)は十九日夜横浜市中区本牧元町1の6の自宅で、来春同校卒業後プロ野球セ・リーグの読売巨人軍にはいりたいという希望を正式に表明した。同投手の獲得についてはセ・パ両リーグすべての球団からさそいがかけられていたもので、十八日夜父親惣吉さんをはじめ家族会議を開いて、最終的にしぼられた巨人、南海、大洋の三球団について検討した結果「好きなジャイアンツにはいりたい」と本人の初志どおり意見がまとまってこの口の正式希望表明となったもの。

柴田投手「子どものころからジャイアンツが好きでしたし、本拠地が東京で家に近いなどの理由で最初からはいるなら巨人と思っていました。父もお前さえよければといってくれますし、きょう(十九日)田丸先生(法大野球部監督、前法政二高監督)にお会いしましたらしっかりやれと励まして下さいました。あこがれの巨人に入団できれば一生懸命やってご期待にそいたいと思います。こんご野球部の同僚といっしょに練習できなくなるのはさびしいですが、さっそくあす(二十日)から一人でランニングなど練習を始めます」

柴田投手略歴 昭和十九年二月八日横浜市中区本牧元町1の6の現住所で生まれた。三十一年同区大島中の一年生時代野球部にはいり、二年まで三塁手、三年のとき投手に転向した。また中学時代右投げ左打ちだったが三十四年法政二高に入りいらい現在の右投げ右打ちにかえた。田丸仁監督の指導で頭角を現したのは二年(三十五年)のときからで、以後エースの籍を守っている。夏の甲子園へは三年連続出場、決めダマは外角低めの直球だが、カーブのコントロールもよい。その右腕で法政二高は昨年秋から硬式戦で三十二年連勝の快記録を作っている。打力もあり、今夏の神奈川地方大会では中越え百二十㍍の大ホーマーをとばした。四人きょうだいの二男で末っ子。趣味は「ユーモア小説を読むことと歌をうたうこと」身長1㍍76、体重73㌔。

川上監督「かならずきてくれるものと信じていた。周囲の反対を押し切って自己の希望を貫いた信念の強さはプロ野球で大をなすのに必ず役立つに違いない。柴田君の素質は申しぶんないのだし、来シーズンははじめから投手団の一員として働いてもらう。将来のエースになってほしいものだ。また柴田君ならやってくれるだろう」
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富恵一

2019-10-06 07:43:30 | 日記
1963年

阪神タイガースは、十一日午後三時から大阪梅田の阪神本社で関西大学の富恵一(とみえ・はじめ)外野手(22)=1㍍76、73㌔、右投げ右打ち、経済学部、萩高出=の入団を発表した。背番号は未定。同選手は萩高時代投手をやったが、大学では外野、主として中堅を守っていた。二年生(三十六年)の秋のリーグ戦でデビューし、デビュー試合でホームランを記録している。三年生(三十七年)春のリーグ戦からレギュラーになった。同年秋のリーグ戦でベスト12位(三割五分)となっている。

富恵選手の話 大洋、広島などから誘われたが、村山、藤井さんなど先輩の多い阪神を選んだ。自分では中距離打者と思っている。だから本塁打よりも確実な打者になりたい。目標は先輩の藤井さん。

戸沢代表の話 関西のリーグで強打者といわれていた富恵君であり、成績も非常によいので、十分やれるだけの力を持っているだろう。村山、藤井という先輩を得ているので、一日も早く成長してくれるものと期待している。
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