プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

波山次郎

2019-10-12 16:53:25 | 日記
1960年

波山が投手として自信をもったのは、昨夏の甲子園大会である。このとき、はじめてヒノキ舞台のマウンドを踏んだ波山は第一戦で杉町(長崎南山高ー西鉄)と投げ合い、2安打に完封、全員三振の17個を奪い1-0で勝った。体は大きくないが非常に度胸がよく外角ストレートと切れのいいドロップでクローズアップされたものだ。今夏も嶺岸のリリーフ役にまわってビッグフォアに残っている。ハワイ・アメリカ遠征に当然選ばれるはずだったが、韓国籍の波山は選抜チームにも国体にも出られなかった。試合で負けても涙をみせない波山だが、このときだけは男泣きにくやしがった。松尾部長に「籍だけでもいいから先生の子にして下さい」と頼み込んだほどである。が父親大植氏にきびしくしかられた。妻子を母国に置いたまま一旗あげようと単身日本にやってきた大植氏は常に韓国人の誇りをもてと一切甘えることを許さない。波山の強い性格、すべてに全力を傾ける集中力は、父親のこうした教育に芽ばえたのだろう。松尾部長も「残りがないと思うほど、いつも一生懸命にやっている」という。非常にバネが強い。毎朝家の近くの愛宕山神社で百八十段の階段を五往復するランニングできたえた強さである。それだけに波山のバネは、なまくらではない。ストレートもかなり速いが、もう一息の威力がない。だが、ドロップには絶対の自信をもっている。「2ストライクをとってからおもにドロップで勝負するがいままで打たれたことはほとんどない。しかし、左打者には投げにくい。シュートで外角を攻めようと思うが、シュートのコントロールに自信がない。これからは、シュートをマスターし、ピッチングにうまさをつけたい。人より体が小さいのだから、打たせてとるコツを覚えないとダメだと思う」十八年間、あまり人にたよらなかった波山は自分のことをよく知っている。波山が生きるとしたら、やはり技巧だろう。波山は、上体が堅いとよくいわれる。スピードが足りないのもこのためで、上半身がかたく、腕の力が抜けていないからだ。これが波山からとれたとき、その真価があらわれる。ショート・リリーフならすぐにでも使える投手だが、みがけばみがくほど光る素質をもっている。「高校では自信があったが、プロでどの程度やれるかわからない。早く一人前になりたい。大洋のチームカラーは好きだし、三原さんが監督になられたし、やりがいがあるので一生懸命がんばる」というのが波山の抱負である。釣りが好きな静かな男だが時代劇の切り合いが好きという一面もある。1㍍73、68㌔。

松尾部長の話 体力はないし、練習もプロに比べたら十分でない。高校でどうにか投げても、プロの世界は格が違う。選手に好かれる人になるよう心がけてほしい。波山は力をふりしぼり、全精神力を集中して投げる。それが波山のとりえだ。その半面、反動で投げるから球が軽い。ストレートは不十分だが、ドロップがいいので、リリーフ投手向きだ。打者一巡まではすぐでも投げられるだろう。プロでの投球のコツを覚え、早く一人前になるよう期待している。
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片岡健治

2019-10-12 13:55:35 | 日記
1959年

中日ドラゴンズは二日午後三時から名古屋市中区栄町「ニューボーン」でノンプロいすゞ自動車の片岡健治投手(22)=栃木県大田原高出身=と正式契約を結んだむね平岩代表から発表された。これで中日ドラゴンズは新入団選手との契約を全部終わった。

ープロ入りについて、中日をえらんだ動機は。
片岡 中日に一番魅力を感じたからです。チーム・カラーにひかれました。
ーこれからやりたいことは。
片岡 プロの世界は未知だし、とにかく全力をつくしたいと思っています。
ー中日の森選手と親しいようだが。
片岡 森さんの後輩にあたる森山君(早大出)がいすゞ自動車に入社した関係で知り合いになり、森さんからいろいろ中日ドラゴンズのことについて話を聞き、プロ入りをするなら中日だと決心しました。
ー得意のボールは。
片岡 直球とカーブしか知らないので、これからシュートをおぼえたいと思っています。
ー投手としての経験は。
片岡 高校(大田原高)のとき二年まで外野をやり、三年生のときから投手になりました。
ーどういう投手を今後目標にしますか。
片岡 いまのところ考えていません。
ー日通の堀本もプロ入りしたし、特別なライバルを意識しますか。
片岡 とくにそのような気持ちはないが、プロにはいった以上、負けないようがん張るつもりです。
ートレーニングの重点はなにか。
片岡 本当のことをいうとあまり走ることが好きでないんです。しかし野球を職業としたからには下半身を強くするために人一倍走ります。そして立派な投手になりたいと思っています。どんなきつい練習も覚悟のうえです。
ー一年目の目標はなにか。
片岡 投手のローテーションに加えられるよう努力するつもりです。

平岩代表の話 中日として将来エースになれる人をさがしていた。これが片岡君の入団によってのぞみがかなえられることになった。体もがっちりしているし、性格も強いから今後の努力しだいでは、きっと期待にこたえてくれる活躍をするだろう。

昭和十二年三月十八日、栃木県大田原市仲町で生まれる。大田原高では二年まで外野を守り、三年から投手になった。三十年いすゞ自動車へ入社してからメキメキ頭角を現し、三十三年十一月の産別大会、三十四年三月のサン大会には優秀選手となり、六月の第三回アジア大会でも全日本軍の投手にピックアップされている。典型的なオーバーハンドで外角への速球がきめダマ。ドロップも堀内(巨人)級の威力がある。すべり出しさえよければまず10勝はできそうだが、なによりこれまで中日になかったタフネスなことが大きな魅力である。身長1㍍74、体重75㌔、右投げ右打ち。
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黒木幹彦、石川仁

2019-10-12 13:33:11 | 日記
1959年

黒木、石川と二人の本格派の完投投手をもち「もう少しいけそうだ」といわれながら打力不足、ゲーム運びの粗雑さがたたって伸び悩んでいる。公式戦でも、いい試合をするかと思えば翌日は欠点ばかりさらけだすというつまらないゲームをやって大敗するなど一戦を確実にというコンスタントさがなかったのが原因になっている。投手陣の黒木は大きく割れるカーブ、石川はシュートが武器、いずれもスピードがあるだけになかなか打ち込めない。四番の黒木も長打力はあるがややスランプ気味、ここらの上位打線が当たらないと不利になる。
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1962年 近鉄 入団選手

2019-10-12 13:19:16 | 日記
1962年

近鉄バファローズでは十五日午後三時大阪阿倍野の天王寺ステーションビル内都ホテルロビーで新入団選手十人(大沢、田辺は欠席)の正式契約を行なった。

【投手】
平原修一(18)常盤高、1.82㍍、75㌔、右投げ右打ち、背番号66
吉田勝彦(17)長崎東高、1.80㍍、72㌔、右投げ右打ち、背番号36
伊勢孝夫(18)兵庫県三田高、1・80㍍、73㌔、右投げ右打ち、背番号55
宮本勝寿(18)大阪商大付属高、1.74㍍、75㌔、左投げ左打ち、背番号63
大沢勇(21)山梨県日川高ー日鉱佐賀関、1.81㍍、75㌔、右投げ右打ち、背番号39
田辺修(18)徳島県美馬商工、1.76㍍、㌔、右投げ右打ち、背番号64

【内野手】
大丸忠之(18)豊津高、1.75㍍、72㌔、右投げ右打ち、背番号67
菊川昭二郎(17)鎮西学園高、1.74㍍、69㌔、右投げ右打ち、背番号43

【外野手】
須崎正明(22)多摩高ー信越電電、1.76㍍、67㌔、左投げ左打ち、背番号56
山田勝国(18)博多工ー東圧大牟田、1.79㍍、75㌔、右投げ右打ち、背番号38

このうち非研修生は平原投手だけで、あとの九人は研修制度のため五十ー百試合は出場できない。

別当監督の話 若い優秀な素質のひとたちをどっさりと入団させたのは、近鉄を強くするためのひとつの手段だ。アメリカでも選手たちをどしどし入れ替え、ルーキーを補充していくことで成功している。わたしも年々若い人たちを入れ、みっちりと鍛えることで近鉄を強くしていくつもりだ。わたしが近鉄の監督になって第一段の補強が、これからの若手だ。このひとたちがどれだけのものになるか、わたしも楽しみだし、ファンの方たちにも楽しみにしてもらいたい。

菊川選手の話 からだが小さいから、ひとより倍の努力をしなければならないと覚悟している。一日も早く試合に出られるようがんばる。

平原投手の話 入団できることで胸がいっぱい。ただ、懸命にやるだけだ。

吉田投手の話 一生懸命がんばる。速いタマに自信があるし、将来は国鉄の金田さんのようになりたい。

大丸選手の話 一日も早くプロ野球人となって、みんなに信頼される選手になるよう努力する。二年まで三塁をやり、三年で一塁を守ったが、じぶんとしては三塁をやりたい。

山田選手の話 じっくりからだをつくり、速く第一線で活躍したい。目標はロングヒッターだ。
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福沢幸雄

2019-10-12 12:52:55 | 日記
1959年

中日ドラゴンズでは十七日午後三時から中部日本新聞社二階貴賓室で前日鉄二瀬の濃人渉氏(広陵中出身、44歳)同チームの福沢幸雄外野手(嘉穂東高、22歳)と正式契約を結んだ旨平岩代表から発表された。濃人氏のポストについては平岩代表、杉下監督、天知ヘッドコーチが話し合い、十二月上旬に決定する。
また席上で石川仁投手(宮崎都農高、18歳)黒木幹彦遊撃手(宮崎都農高、18歳)小笠原巧投手(北海道旭川南高、18歳)の中日入りも合わせて発表された。
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若生照元

2019-10-12 08:01:45 | 日記
1960年

西鉄の若生忠男、大洋の若生智男とともに東北高の三若生として騒がれた一人である。東北高では忠男がエース格智男と照元の両若生は一塁と左翼を守ってリリーフ投手だった。そのころの若生は荒けずりな投手でしかなかったが、中大に進学した二年生の終わりからめきめき腕を上げた。毎日四、五百球は必ず投げランニングも人一倍したという。東北人特有のねばり強さである。三羽ガラスのうち二人までがプロへ行った反発心に近い決意もあったようだ。腰のバネも強く、ピッチングもダイナミックだ。何球投げても、肩が痛くなったことはないというタフガイである。度胸もいい。スピードのあるストレート、切れのよいシュートは、大学では一級品だ。それに若生には宝刀のフォークボールがある。三年の春の農大戦にはノーヒット・ノーランゲームを記録し、中大が十シーズンぶりの優勝に貢献している。しかしカーブには鋭さがなく、ピッチングもまだ甘い。未完成なだけに、若生には大成する魅力があるともいえよう。「いままでは外角の速球と落ちるシュートを決め球に使っていたが、コントロールには自信がない。投手の身上である制球力をつけることが必要だと思う。スピードもプロでは大切だ。僕のスピードがプロで通用するとは思わないが、打たれるのを覚悟で自分の納得するまでストレートで勝負してゆきたい」と若生はいう。ちょっと冒険かもしれないが、大成するには必要な過程なのだろう。故加藤監督にたたかれてきたえあげてきた若生だ。精神的に悩むときがあっても、それに負けるようなことはあるまい。「三若生のうち、ほかの二人は西鉄と大毎でこつこつやっている。大洋には後輩の波山(東北高)も入団する。また今年プロにはいった六大学組にも負けたくないし、ライバルが多すぎて…」と苦笑する若生の言葉が彼の負けずぎらいの激しい気性をよく現わしている。そうかと思えば、魚釣りが大好きだという静かな面もある。真剣勝負の静かさと激しさを持つ男だ。チャンバラ映画のファンであることも、そんな彼にぴったりするのかもしれない。「大洋には鈴木さん、桑田さんの先輩がいるので心強い。とくに鈴木さんにはプロになれるまで下宿させてもらって、いろいろ教えてもらうつもりです。プロ野球はあまり見ていないからよくわからないが、10勝くらいあげたいと思う。それには、いつでも投げられるようコンディションを整えておくことが大切だ。そして階段を上がるように一つ一つ会得して前進し、持ち味を出すことに全力をつくす」三原監督を迎えて張り切る大洋が、若生の右腕に寄せる期待は大きい。

森大洋社長の話 未完成だから将来性がある。素質は十分あり、よくなる見通しもある。必ず大成して期待にこたえてもらいたい。発表の席上、自分でコントロールがないといっていたが、これは荒けずりであること、将来性のあることを意味している。こじんまりとまとまっている投手は案外長いこと使えないものだ。未完成のままでは困るから研究と努力を重ね、東北人特有のねばり強さを発揮してもらいたい。
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