プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

西条勝男・黒田能弘

2019-10-26 16:54:02 | 日記

1961年

近鉄バファローでは十六日午後二時、大阪阿倍野の球団事務所で、岩手県盛(さかり)高の西条勝男外野手(18)と、巨人を退団した黒田能弘投手(21)の入団を発表した。西条選手は、右投げ右打ち、身長1㍍80、体重77㌔の大型選手で中央には名を知られていないが盛高時代一年生当時から県下のベストナインに選ばれた経歴の持ち主。高校三年間の打率は・397、本塁打5本、三塁打20本、二塁打32本を記録したという。近鉄のほか、大洋、国鉄からも勧誘されていた。背番号68。黒田投手は北海道北見北斗高出身、三十四年から三年間巨人でプレー、ことし整理されたが、別当監督、野口コーチがテストした結果パスしたもの、身長1㍍80、体重74㌔、右投げ右打ち、背番号64。

黒田投手の話 近鉄の人では巨人時代竹下さんと同室だったし、バッテリーを組んだことがある。巨人のとき、上手投げのぼくを下手投げにしろというのでちょっと気分的にくさっていたが、肩をこわしたこともないしスピードも前より出ていると思う。ストレートと落ちる球を武器に心機一転してがん張ります。

西条選手の話 高校時代はセンターをやっていました。肩と足に自信があります。プロ野球はテレビで見る程度でよくわかりませんが、一緒にやってみたいと思っていました。どれだけやれるかわかりませんが、一生懸命やります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寺本勇

2019-10-26 16:43:53 | 日記
1961年

かねてプロ入りを表明していた立教の寺本外野手(芦屋高出身)はさる四日、兵庫県尼崎市若王子西畑の自宅で、両親と相談したあと、いったん東京へ帰ったが、六日正式に大毎入りを決めた。十日、父親三郎氏が上京して立ちあいのうえ行なわれる予定。寺本選手は、秋のリーグ戦で四割一分をマーク、惜しいところで首位打者を逸したが、シャープなバッティングは三年生のころから注目されていた。八月にノンプロ松下電器への就職が内定していたが、先輩の保坂氏(大毎)が積極的に入団をすすめ、寺本自身も秋のリーグ戦での成績に自信を得てプロ入りに踏みきったもの。寺本選手の大毎入りについて母親はるさん(44)は、七日朝自宅で次のように語った。長男なので会社松下電機へはいってもらいたかったが、本人がプロでやりたいというので好きなようにさせました。新聞に契約金が千三百万円と出ていたそうですが、とんでもない話です。そんな大金はもらわないはずです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福田信夫

2019-10-26 16:36:04 | 日記
1961年

中日ドラゴンズでは、七日午後四時、立教福田信夫投手(19)=神戸市兵庫区湊川町10の158=の入団を発表した。同選手は、立教二年で中退、中日入りを決めたもので、めぐまれたからだと左腕からの速球には威力をもっており、各球団からのさそいの手がはげしかった。この日、同球団事務所で父親の将雄さん=神戸港湾職安所長=と母親さかえさんの両親につきそわれドラゴンズ入りの動機について「秋のリーグ戦前からプロ入りのことは考えていた。巨人の川上監督から熱心にさそわれて、まよったが中日高田代表や家族にしたくしている人から熱心なかん誘があり、自分は投手としての素質をのばすにはドラゴンズがもっとも適していると思い入団を決意した。村瀬投手(巨人)に負けないようがん張ります」と語った。育英高出身、身長1㍍77、体重75㌔、左投げ左打ち。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野口勝治

2019-10-26 08:18:32 | 日記
1964年

「三回でも四回でもいいから、救援でもピシャリと押え込める投手がほしい」というのが杉浦監督の考え。巨人の宮田は今シーズン救援専門で大活躍したが、杉浦監督は宮田のようなタイプの投手を頭に描いているのだろう。救援投手の条件は①制球力が豊かなこと②度胸がいいこと、の二点だ。この条件を考えて適任者と白羽の矢が立てられたのが二年生の野口。野口は作新学院からノンプロ明電舎(三年生)を経て、昨年秋入団した新鋭。高校時代は捕手、中堅手、そして三年生のとき肩がいいのを認められて投手になった。投手としてはまだ五年目。両親は日本橋で衣料商を営んでいるが、ひとりっ子ということで両親は野球をやることに大反対。「それでも野球をやるというなら勘当にする」とまでいわれたという。しかし野口は反対を押し切り好きな野球の道を選んだ。「いまではもう仕方ないと許してくれましたが、反対を押し切ってまで自分んで選んだ野球だから、なんとか一人前にならなければ、申しわけないし、僕自身も今後大きな顔ができない」といっているがこのあたり野口の意思の強さと勝ち気な性格があわられている。野口は、度胸がいい点では定評がある。「マウンドに上がって、あがったという記憶は、いままでにはない。もっともまだ若いから、こわいもの知らずなのでしょうね」とケロリといってのける。コントロールは投手陣でもいい方だ。しかしフォームがなめらかすぎるために、打者に威圧感を与えない。それにいままでのフォームはスピードもこれ以上には出ない。こうしたふたつの点から、杉浦監督は投げ方を変えさせた。新しいフォームは、バックスイングのとき、腰を右へ思い切ってひねり、その反動を利用して投げ込む。腰をひねったときは、背中が打者にまる見えになる。投げ方は上手、下手と違うが、クルリと一度背中をみせて投げる西鉄の若生とだいたい同じフォームだ。投げ始めてから一週間だが、野口は「スピードが前よりも出てきたような気がするし、変化球の切れもよくなったような感じだ」と新しいフォームに満足の表情。「新しいフォームのシャドー・ピッチングを毎日くりかえして、このオフのうちになんとか自分のものにしたい」とヒトミを輝かせて語った。正月まで名古屋にとどまってトレーニングを続けるという。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする