1974年
大洋は十一日、東京・京橋の球団事務所で、四十五年にノーヒット・ノーラン試合を完成した鬼頭洋投手、王キラーとして活躍した平岡一郎投手、それに古田忠士外野手、飯田敏光、高松秀恒両投手の五人に整理通告をした。鬼頭、平岡、古田は任意引退。飯田と高松は自由契約。飯田だけは太平洋入団が内定しているが、あとの四人はお先まっ暗。ボウ然とした表情だった。シーズン終了後初めて行ったこの荒療治。鬼頭、平岡、古田ら力が衰えたとはいえ、生え抜きの選手を整理するのはチームのぬるま湯ムードを一掃しようという秋山新監督のねらいからきている。このオフに大洋は江藤、辻佳を放出したが、二人はいずれも他球団から獲得した選手、体質改善の大手術とはほど遠い応急処置に過ぎなかった。このため秋山監督は一部主力選手をトレーと要因に挙げたが、中部オーナーの猛反対にあい、仕方なく年棒の高い鬼頭らを構想外ということでの手術に踏み切った。「君は来季の構想から外れているから…」。横田球団社長の一方的な解雇通告に、この日、一番に呼び出された鬼頭は泣き出しそうな顔で事務所から出てきた。「ダウン覚悟の契約の話かと思ってきたら、いきなり解雇通告。何と答えたらいいかわからなかった。春先のオープン戦で左ヒジをまたこわし、ほとんど戦力にならなかったから、ひょっとしたらーと思ったことはあった。でもまだ投げられる自信はあったので、そんな気持ちを強く否定して来年にかけていたんです」と鬼頭は頭を抱えたが、昨年八月に移ったマンションは家賃が六万円。この通告で、明子夫人と相談のうえ、近日中に安いところへ引っ越すという。古田が呼ばれ、平岡が呼ばれ、飯田、高松も社長室へ消えた。だれも同じ整理通告であった。平岡はすでにこの日を覚悟していたのか、数日前から知人のつてを頼ってアルバイトを始めている。高松は大洋入り前のコック業に戻るか、長田の紹介による国際プロレスの営業マンになるかよく考えるそうだ。古田は今春のイースタン・リーグで佐藤(ヤクルト)から顔面に死球を受け、シーズンを棒に振ったあげくのこの通告だ。「なんとか面倒は見てやりたい」という球団の配慮がせめてもの慰めである。