1965年
「いっちょう、やったろか」と腰のあたりをポンポンとたたいてマウンドにあがった田中勉。その言葉どおり速い球をポンポンと投げ込んで阪急打線を手玉にとった。八月七日対東映十四回戦に完投勝ちして以来、全くいいところがなかった田中勉。「投げるのもいやだ」とくさっていた当人とは思えないほど、この夜は快調なピッチングだった。「球にウエートがのってよく走った。今季最高のできではなかったかな」とひとごとのようにいっていた。二安打で1点を失ったがこの1点は西本監督のテンポを狂わす作戦と、苦手とする早瀬にかまされた二塁打が連続してつながったもの。「六回の中段で汗がひいて肩が冷えてしまった。あの抗議作戦にひっかかったおれの方が悪いのだ。それまではリズムにのって軽快に投げていたタイミングが急に狂ってしまったよ」と自分の若さを話したが、早瀬については「苦手意識なんてのは全くない。あいつがちっちゃすぎるから投げにくいのだ。二塁打されたのはシュートのすっぽ抜けが真ん中高めにはいってしまった。おれの完全な失投」と反発したものの、この夜までの対早瀬の記録は二十一打席六安打(本塁打一、二塁打三)という内わけ。話はまた快調にとばしたピッチングに戻る。「ぼくはだいたい六、七回ごろに疲れが出る。そのときだけ変化球でカウントをとりにいった。しかし勝負どころでは速い球を投げた。いままでこの六、七回を乗り切れなかったのが不振の原因だったようだ。それでも、もうだいじょうぶだ」とやっと笑いが出るようになった。
「いっちょう、やったろか」と腰のあたりをポンポンとたたいてマウンドにあがった田中勉。その言葉どおり速い球をポンポンと投げ込んで阪急打線を手玉にとった。八月七日対東映十四回戦に完投勝ちして以来、全くいいところがなかった田中勉。「投げるのもいやだ」とくさっていた当人とは思えないほど、この夜は快調なピッチングだった。「球にウエートがのってよく走った。今季最高のできではなかったかな」とひとごとのようにいっていた。二安打で1点を失ったがこの1点は西本監督のテンポを狂わす作戦と、苦手とする早瀬にかまされた二塁打が連続してつながったもの。「六回の中段で汗がひいて肩が冷えてしまった。あの抗議作戦にひっかかったおれの方が悪いのだ。それまではリズムにのって軽快に投げていたタイミングが急に狂ってしまったよ」と自分の若さを話したが、早瀬については「苦手意識なんてのは全くない。あいつがちっちゃすぎるから投げにくいのだ。二塁打されたのはシュートのすっぽ抜けが真ん中高めにはいってしまった。おれの完全な失投」と反発したものの、この夜までの対早瀬の記録は二十一打席六安打(本塁打一、二塁打三)という内わけ。話はまた快調にとばしたピッチングに戻る。「ぼくはだいたい六、七回ごろに疲れが出る。そのときだけ変化球でカウントをとりにいった。しかし勝負どころでは速い球を投げた。いままでこの六、七回を乗り切れなかったのが不振の原因だったようだ。それでも、もうだいじょうぶだ」とやっと笑いが出るようになった。
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