1971年
プロ野球の阪神タイガースは、日通盛岡の小笠原正一選手(25)=身長177㌢、体重78㌔、右投げ、右打ち、盛岡農高出=の入団を十日午後二時すぎから、大阪・梅田の阪神本社六階ホールで発表した。紺の背広姿の小笠原は、二十人を越える記者、カメラマンに取り囲まれてびっくりしたようす。戸沢球団社長に紹介される間も、端正な顔を上気させていた。しかし、しばらくするとすっかり落ち着き、プロ入りの動機を「もうすぐ二十六歳だし、おそいプロ入りなんですが、自分の力をためしてみたかった」とはきはきしゃべった。抱負は「一刻も早く阪神の戦力になりたい」とのこと。かたわらから河西スカウトが「おっつけのきいたバッティング本番で出た包装陸上の砲丸投げで全国一位になったほどで、腕っぷしは強い。左投手は好きだし、いい選手です」とたのもしげに補足する。小笠原選手は三十九年、盛岡農高から日通盛岡へ入社、四番打者、外野手として活躍。都市対抗全国大会には、強肩強打が買われて新日鉄釜石の補強選手として後楽園の土を踏んでいる。ことしの都市対抗には盛岡鉄道局の補強選手として出場、三番打者の重責を与えられた。先月十九日のドラフト会議では阪神から9位(同球団は11位まで指名)で指名された。十一月九日に正子夫人と結婚した新婚ほやほやだが、当分は合宿住まいで、野球一筋の生活をするという。日通盛岡の畠山馨コーチは「小笠原選手が抜けるとうちの戦力はかなり苦しくなる。しかし、小笠原選手が長年プロに進むことを願っていたのだから、心から祝福して送り出したい」と語っていた。
プロ野球の阪神タイガースは、日通盛岡の小笠原正一選手(25)=身長177㌢、体重78㌔、右投げ、右打ち、盛岡農高出=の入団を十日午後二時すぎから、大阪・梅田の阪神本社六階ホールで発表した。紺の背広姿の小笠原は、二十人を越える記者、カメラマンに取り囲まれてびっくりしたようす。戸沢球団社長に紹介される間も、端正な顔を上気させていた。しかし、しばらくするとすっかり落ち着き、プロ入りの動機を「もうすぐ二十六歳だし、おそいプロ入りなんですが、自分の力をためしてみたかった」とはきはきしゃべった。抱負は「一刻も早く阪神の戦力になりたい」とのこと。かたわらから河西スカウトが「おっつけのきいたバッティング本番で出た包装陸上の砲丸投げで全国一位になったほどで、腕っぷしは強い。左投手は好きだし、いい選手です」とたのもしげに補足する。小笠原選手は三十九年、盛岡農高から日通盛岡へ入社、四番打者、外野手として活躍。都市対抗全国大会には、強肩強打が買われて新日鉄釜石の補強選手として後楽園の土を踏んでいる。ことしの都市対抗には盛岡鉄道局の補強選手として出場、三番打者の重責を与えられた。先月十九日のドラフト会議では阪神から9位(同球団は11位まで指名)で指名された。十一月九日に正子夫人と結婚した新婚ほやほやだが、当分は合宿住まいで、野球一筋の生活をするという。日通盛岡の畠山馨コーチは「小笠原選手が抜けるとうちの戦力はかなり苦しくなる。しかし、小笠原選手が長年プロに進むことを願っていたのだから、心から祝福して送り出したい」と語っていた。
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