1956年
東映フライヤーズでは稲垣正夫(21)三塁手(鶴見高ー千葉大)と八日正式契約したと発表した。同選手は二年まで投手をつとめ三年から打力を生かして三塁手に転向、三番を打ち当時鶴見工の黒田投手(現近鉄)から二本のホーマーを奪うなど強打を振った。二十八年千葉大入学後も常に四番打者として三割五分以上の高打率をあげ、特に今春の関東甲信越大学リーグで四割二分の猛打を振って首位打者にもなった。東映入りの話は鶴見高時代にもあったが、大学卒業をまって正式に話がまとまったものである。
稲垣選手の話 プロ野球はよく見ていましたが、努力すればついていけると思います。ただ監督さんにもいわれたのですが、守備の練習をうんと積まなければと思っています。
東映フライヤーズでは稲垣正夫(21)三塁手(鶴見高ー千葉大)と八日正式契約したと発表した。同選手は二年まで投手をつとめ三年から打力を生かして三塁手に転向、三番を打ち当時鶴見工の黒田投手(現近鉄)から二本のホーマーを奪うなど強打を振った。二十八年千葉大入学後も常に四番打者として三割五分以上の高打率をあげ、特に今春の関東甲信越大学リーグで四割二分の猛打を振って首位打者にもなった。東映入りの話は鶴見高時代にもあったが、大学卒業をまって正式に話がまとまったものである。
稲垣選手の話 プロ野球はよく見ていましたが、努力すればついていけると思います。ただ監督さんにもいわれたのですが、守備の練習をうんと積まなければと思っています。
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