プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

北原泰二

2021-01-20 14:21:19 | 日記

1992年


西武に楽しみな右投手が誕生した。敗戦処理からチャンスを掴み、これ以上点をやれない場面での指名が多くなった北原泰二投手にとって今が一番、野球が楽しい時期だろう。1年目は体作り、2年目の昨年はイースタンで5回を投げて11失点。今季も負け試合で何番目かに出てくる投手。正直、北原に対しての印象はこの程度だった。しかし、和田二軍監督を訪ねた時「旬の選手だヨ」と目を細める先に、北原の姿があった。5月24日対ロッテ戦、北原は竹下、長見と90、91年ドラフト1位投手の後を受けてマウンドに立ち、自己最長イニング5回を投げ、今季7試合目にして初勝利を挙げている。聞けば、5月の初め頃から投げ方を変えたという。北原は高校時代、スリークォーターだった。プロ入り後、オーバースローに変えたのだが、コントロールが悪かった。西三雄投手コーチと試合で投げるたびにビデオで研究し、原点に帰るという意味で、腕の出す位置を下げる結論を出したそうだ。北原のように、長身の投手は確かに上から投げた方が球に角度は出るが、逆にサイドスローにしたことによって、打者には球がホップして来るので、スピード表示以上に速さを感じるし、持ち球のシュートも生きてくる。また、今まで体の開きが早く、球の出どころが打者にとって見やすい。という欠点が感じられなくなった。西コーチの、勇気ある決断は、正しかった。そこで今後の課題である。サイドスローは、力を入れれば入れるほど、球に体重が乗らない。かといって今のままでは、腕だけで投げている感は否めない。もう少し腰を沈め、下半身を遣いながら投げる形を、体で覚えることだ。元大洋監督の古葉さんが広島時代、右クリーンアップへのワンポイントとしてチームに一人はサイドスローが必要、と口にしていた。今後、実践を積んで安定性が出てくれば、一軍で中継ぎ、抑えとして活躍するのも夢ではない。5月28日、対日本ハム戦で8回一打逆転の場面で登場、そのピンチは凌いだものの、9回につかまりサヨナラ負けを喫してしまった。得意のシュートがキレず内容は悪かった。しかし、マウンドを降りる際の口惜しそうな表情が嬉しかった。注意して見ていると、北原は目の輝きがいい。練習に取り組む姿勢がいい。プロ入り当時の憧れが渡辺久信という北原。しかし投げ方を変えた今では、川口レッドボーイズ(リトル)の先輩で同じ川口出身の斎藤(巨人)が目標といい切る。北原は、来季以降、西武一軍先発投手を支える中継ぎの一角に、確実に加わることだろう。


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