・1978年
阪神の豊平が今季外野に転向。自慢の打撃にようやく磨きがかかってきた。プロ入り3年目。入団した年は一塁手だったが、シーズン途中で手薄な三塁に転向。そしてまた松下が投手から三塁にコンバートされたため、やむなく外野へまわされることになったのだ。どちらかといえば伸び悩んでいた。入団した年、途中から一軍の安芸キャンプに合流。そこでいきなりシートバッティングでサク越えのアーチをかけ、将来を楽しませたものだった。しかし、変化球になかなかついていけず、パワーも影をひそめたまま。そのうえ不慣れなポジションに神経を遣っていくうち、すっかり伸び悩み状態に陥った。しかし、外野コンバートによりバッティングも本来の力を出し始めた。「やわらかみが出てきた。もともと素質があるんだし、本来なら中軸を打っていいはず。今年で3年目。豊平にとって勝負の年だ」とは二軍首脳陣。中京商時代は甲子園に出場、豪快なホームランを放ちスカウト連をアッといわせた。ほとんどの球団から誘いを受けたが、早大進学を希望したため各球団が手をひいたという、いきさつがある。そこを強引に説き伏せてプロ入りさせたのが阪神。それだけに豊平の成長が待たれるところである。
阪神の豊平が今季外野に転向。自慢の打撃にようやく磨きがかかってきた。プロ入り3年目。入団した年は一塁手だったが、シーズン途中で手薄な三塁に転向。そしてまた松下が投手から三塁にコンバートされたため、やむなく外野へまわされることになったのだ。どちらかといえば伸び悩んでいた。入団した年、途中から一軍の安芸キャンプに合流。そこでいきなりシートバッティングでサク越えのアーチをかけ、将来を楽しませたものだった。しかし、変化球になかなかついていけず、パワーも影をひそめたまま。そのうえ不慣れなポジションに神経を遣っていくうち、すっかり伸び悩み状態に陥った。しかし、外野コンバートによりバッティングも本来の力を出し始めた。「やわらかみが出てきた。もともと素質があるんだし、本来なら中軸を打っていいはず。今年で3年目。豊平にとって勝負の年だ」とは二軍首脳陣。中京商時代は甲子園に出場、豪快なホームランを放ちスカウト連をアッといわせた。ほとんどの球団から誘いを受けたが、早大進学を希望したため各球団が手をひいたという、いきさつがある。そこを強引に説き伏せてプロ入りさせたのが阪神。それだけに豊平の成長が待たれるところである。