1971年
阪急に待望の左投手が誕生した。ドラフト第一位で指名したノンプロ日産自動車の渡辺弘基投手(24)=177㌢、74㌔、左投げ左打ち、亜細亜大出身=がその期待の新人。十六日午後一時半大阪北区の球団事務所で契約金一千万円、年棒百八十万円(いずれも推定)でサインを終わり、午後二時半から新阪急ホテルで湊同代表、西本監督らが同席して正式に発表された。渡辺投手は北九州市小倉区生まれ、思永中二年のとき父親の転任で日立市へ移転した。大学ではこの日阪神入りした山本投手の二年先輩だが、学生時代は山本投手の陰にかくれてもっぱら救援専門だった。一昨年のドラフトでは東映から第三位で指名されたが「プロでやる自信がない」とプロ入りを拒否して日産自動車に入社した。渡辺投手が頭角を現したのはことしの社会人野球。五月、名古屋市で行なわれたベーブ・ルース杯では最高殊勲選手に選ばれたほか、六月にかけて70イニングス無失点記録をつくっている。さすが二年間ノンプロのメシを食ってきただけあって発表の席でも堂々たるもの。「リーグは違うが山本には負けたくない。ぼくががんばれば山本も励みになるだろう」と早くもライバル意識をムキ出しにしていた。渡辺投手に目をつけた丸尾スカウトが「九州人らしい思い切ったピッチングをする。とくに直球がいい。タイプとしては往年の荒巻(大毎・死亡)に似ている」といえば、西本監督も「来年ほど新人に即戦力の期待をかけるシーズンはない。渡辺君はその期待に十分こたえてくれると思う」とたのもしそうに握手をかわしていた。渡辺投手は「こんど東映から移籍してきた大橋さんも大学の一年先輩だし、即戦力と期待してくれるチームのために努力します」と力強く語っていた。ことしで十九年目の梶本と伸び悩む二年生の国岡だけという阪急の左投手。それだけに渡辺の入団は大きなプラス。西本監督は「昨年の児玉につづく第三の山田に育てたい」といっている。