プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

片岡健治

2019-10-12 13:55:35 | 日記
1959年

中日ドラゴンズは二日午後三時から名古屋市中区栄町「ニューボーン」でノンプロいすゞ自動車の片岡健治投手(22)=栃木県大田原高出身=と正式契約を結んだむね平岩代表から発表された。これで中日ドラゴンズは新入団選手との契約を全部終わった。

ープロ入りについて、中日をえらんだ動機は。
片岡 中日に一番魅力を感じたからです。チーム・カラーにひかれました。
ーこれからやりたいことは。
片岡 プロの世界は未知だし、とにかく全力をつくしたいと思っています。
ー中日の森選手と親しいようだが。
片岡 森さんの後輩にあたる森山君(早大出)がいすゞ自動車に入社した関係で知り合いになり、森さんからいろいろ中日ドラゴンズのことについて話を聞き、プロ入りをするなら中日だと決心しました。
ー得意のボールは。
片岡 直球とカーブしか知らないので、これからシュートをおぼえたいと思っています。
ー投手としての経験は。
片岡 高校(大田原高)のとき二年まで外野をやり、三年生のときから投手になりました。
ーどういう投手を今後目標にしますか。
片岡 いまのところ考えていません。
ー日通の堀本もプロ入りしたし、特別なライバルを意識しますか。
片岡 とくにそのような気持ちはないが、プロにはいった以上、負けないようがん張るつもりです。
ートレーニングの重点はなにか。
片岡 本当のことをいうとあまり走ることが好きでないんです。しかし野球を職業としたからには下半身を強くするために人一倍走ります。そして立派な投手になりたいと思っています。どんなきつい練習も覚悟のうえです。
ー一年目の目標はなにか。
片岡 投手のローテーションに加えられるよう努力するつもりです。

平岩代表の話 中日として将来エースになれる人をさがしていた。これが片岡君の入団によってのぞみがかなえられることになった。体もがっちりしているし、性格も強いから今後の努力しだいでは、きっと期待にこたえてくれる活躍をするだろう。

昭和十二年三月十八日、栃木県大田原市仲町で生まれる。大田原高では二年まで外野を守り、三年から投手になった。三十年いすゞ自動車へ入社してからメキメキ頭角を現し、三十三年十一月の産別大会、三十四年三月のサン大会には優秀選手となり、六月の第三回アジア大会でも全日本軍の投手にピックアップされている。典型的なオーバーハンドで外角への速球がきめダマ。ドロップも堀内(巨人)級の威力がある。すべり出しさえよければまず10勝はできそうだが、なによりこれまで中日になかったタフネスなことが大きな魅力である。身長1㍍74、体重75㌔、右投げ右打ち。
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黒木幹彦、石川仁

2019-10-12 13:33:11 | 日記
1959年

黒木、石川と二人の本格派の完投投手をもち「もう少しいけそうだ」といわれながら打力不足、ゲーム運びの粗雑さがたたって伸び悩んでいる。公式戦でも、いい試合をするかと思えば翌日は欠点ばかりさらけだすというつまらないゲームをやって大敗するなど一戦を確実にというコンスタントさがなかったのが原因になっている。投手陣の黒木は大きく割れるカーブ、石川はシュートが武器、いずれもスピードがあるだけになかなか打ち込めない。四番の黒木も長打力はあるがややスランプ気味、ここらの上位打線が当たらないと不利になる。
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1962年 近鉄 入団選手

2019-10-12 13:19:16 | 日記
1962年

近鉄バファローズでは十五日午後三時大阪阿倍野の天王寺ステーションビル内都ホテルロビーで新入団選手十人(大沢、田辺は欠席)の正式契約を行なった。

【投手】
平原修一(18)常盤高、1.82㍍、75㌔、右投げ右打ち、背番号66
吉田勝彦(17)長崎東高、1.80㍍、72㌔、右投げ右打ち、背番号36
伊勢孝夫(18)兵庫県三田高、1・80㍍、73㌔、右投げ右打ち、背番号55
宮本勝寿(18)大阪商大付属高、1.74㍍、75㌔、左投げ左打ち、背番号63
大沢勇(21)山梨県日川高ー日鉱佐賀関、1.81㍍、75㌔、右投げ右打ち、背番号39
田辺修(18)徳島県美馬商工、1.76㍍、㌔、右投げ右打ち、背番号64

【内野手】
大丸忠之(18)豊津高、1.75㍍、72㌔、右投げ右打ち、背番号67
菊川昭二郎(17)鎮西学園高、1.74㍍、69㌔、右投げ右打ち、背番号43

【外野手】
須崎正明(22)多摩高ー信越電電、1.76㍍、67㌔、左投げ左打ち、背番号56
山田勝国(18)博多工ー東圧大牟田、1.79㍍、75㌔、右投げ右打ち、背番号38

このうち非研修生は平原投手だけで、あとの九人は研修制度のため五十ー百試合は出場できない。

別当監督の話 若い優秀な素質のひとたちをどっさりと入団させたのは、近鉄を強くするためのひとつの手段だ。アメリカでも選手たちをどしどし入れ替え、ルーキーを補充していくことで成功している。わたしも年々若い人たちを入れ、みっちりと鍛えることで近鉄を強くしていくつもりだ。わたしが近鉄の監督になって第一段の補強が、これからの若手だ。このひとたちがどれだけのものになるか、わたしも楽しみだし、ファンの方たちにも楽しみにしてもらいたい。

菊川選手の話 からだが小さいから、ひとより倍の努力をしなければならないと覚悟している。一日も早く試合に出られるようがんばる。

平原投手の話 入団できることで胸がいっぱい。ただ、懸命にやるだけだ。

吉田投手の話 一生懸命がんばる。速いタマに自信があるし、将来は国鉄の金田さんのようになりたい。

大丸選手の話 一日も早くプロ野球人となって、みんなに信頼される選手になるよう努力する。二年まで三塁をやり、三年で一塁を守ったが、じぶんとしては三塁をやりたい。

山田選手の話 じっくりからだをつくり、速く第一線で活躍したい。目標はロングヒッターだ。
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福沢幸雄

2019-10-12 12:52:55 | 日記
1959年

中日ドラゴンズでは十七日午後三時から中部日本新聞社二階貴賓室で前日鉄二瀬の濃人渉氏(広陵中出身、44歳)同チームの福沢幸雄外野手(嘉穂東高、22歳)と正式契約を結んだ旨平岩代表から発表された。濃人氏のポストについては平岩代表、杉下監督、天知ヘッドコーチが話し合い、十二月上旬に決定する。
また席上で石川仁投手(宮崎都農高、18歳)黒木幹彦遊撃手(宮崎都農高、18歳)小笠原巧投手(北海道旭川南高、18歳)の中日入りも合わせて発表された。
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若生照元

2019-10-12 08:01:45 | 日記
1960年

西鉄の若生忠男、大洋の若生智男とともに東北高の三若生として騒がれた一人である。東北高では忠男がエース格智男と照元の両若生は一塁と左翼を守ってリリーフ投手だった。そのころの若生は荒けずりな投手でしかなかったが、中大に進学した二年生の終わりからめきめき腕を上げた。毎日四、五百球は必ず投げランニングも人一倍したという。東北人特有のねばり強さである。三羽ガラスのうち二人までがプロへ行った反発心に近い決意もあったようだ。腰のバネも強く、ピッチングもダイナミックだ。何球投げても、肩が痛くなったことはないというタフガイである。度胸もいい。スピードのあるストレート、切れのよいシュートは、大学では一級品だ。それに若生には宝刀のフォークボールがある。三年の春の農大戦にはノーヒット・ノーランゲームを記録し、中大が十シーズンぶりの優勝に貢献している。しかしカーブには鋭さがなく、ピッチングもまだ甘い。未完成なだけに、若生には大成する魅力があるともいえよう。「いままでは外角の速球と落ちるシュートを決め球に使っていたが、コントロールには自信がない。投手の身上である制球力をつけることが必要だと思う。スピードもプロでは大切だ。僕のスピードがプロで通用するとは思わないが、打たれるのを覚悟で自分の納得するまでストレートで勝負してゆきたい」と若生はいう。ちょっと冒険かもしれないが、大成するには必要な過程なのだろう。故加藤監督にたたかれてきたえあげてきた若生だ。精神的に悩むときがあっても、それに負けるようなことはあるまい。「三若生のうち、ほかの二人は西鉄と大毎でこつこつやっている。大洋には後輩の波山(東北高)も入団する。また今年プロにはいった六大学組にも負けたくないし、ライバルが多すぎて…」と苦笑する若生の言葉が彼の負けずぎらいの激しい気性をよく現わしている。そうかと思えば、魚釣りが大好きだという静かな面もある。真剣勝負の静かさと激しさを持つ男だ。チャンバラ映画のファンであることも、そんな彼にぴったりするのかもしれない。「大洋には鈴木さん、桑田さんの先輩がいるので心強い。とくに鈴木さんにはプロになれるまで下宿させてもらって、いろいろ教えてもらうつもりです。プロ野球はあまり見ていないからよくわからないが、10勝くらいあげたいと思う。それには、いつでも投げられるようコンディションを整えておくことが大切だ。そして階段を上がるように一つ一つ会得して前進し、持ち味を出すことに全力をつくす」三原監督を迎えて張り切る大洋が、若生の右腕に寄せる期待は大きい。

森大洋社長の話 未完成だから将来性がある。素質は十分あり、よくなる見通しもある。必ず大成して期待にこたえてもらいたい。発表の席上、自分でコントロールがないといっていたが、これは荒けずりであること、将来性のあることを意味している。こじんまりとまとまっている投手は案外長いこと使えないものだ。未完成のままでは困るから研究と努力を重ね、東北人特有のねばり強さを発揮してもらいたい。
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黒木幹彦、近藤光郎

2019-10-11 22:18:51 | 日記
1962年

かねてから中日、西鉄両チームの間で交渉が進められていた中日黒木幹彦内野手(21)-西鉄近藤光郎左投手(24)の交換トレードが四日本決まりとなり、近く両球団から正式に発表される。豊田が抜けて内野陣が手薄となった西鉄は、サウスポー近藤の放出を決意、中日にトレードを持ちこんだ。これに対して中日は、左投手が手薄なところから、慎重に検討を行っていたが、高田代表が三日、大阪で坪内前西鉄コーチ(本誌評論グループ)と会見して近藤獲得のハラを決め、四日西鉄との間で最終的な話がまとまったもの。坪内氏は「近藤はスタミナの点ですこし落ちるが、スピードがあるので今後成長株としてタイコ判が押せる」と近藤のピッチングを買っている。左投手に悩む中日にとって、来年すぐ戦力として期待できる見こみ。一方、西鉄としても、大型内野手の素質を持つ黒木の獲得は、内野守備陣に厚味を加えるわけで、このトレード成立は、両チームにとって大きなプラスになるものとみられている。

高田代表の話 近藤は左腕投手だけに、注目していた選手だが、いろいろ検討した結果、将来性がじゅうぶんあり、すぐ使えるものと判断したので黒木とのトレードを成立させたわけだ。貴重な戦力になってくれるだろう。

近藤投手の略歴 三十五年関大から西鉄入りして7勝。三十六年は3勝をあげたが、ことしは1勝もあげなかった。だが左腕特有のシュートとカーブの持ち主で、ショートリリーフにはうってつけの存在。175㌢、72㌔、左投げ左打ち。

黒木選手の略歴 宮崎県都農高から三十五年、中日に入団。ウエスタン・リーグで活躍し、大型遊撃手として将来性を認められていた。こんごの努力しだいでは第一線におどり出ることも可能。177㌢、74㌔、右投げ右打ち。
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中井悦雄、椎木孝彰、宇都宗夫

2019-10-11 22:05:18 | 日記
1963年

阪神タイガースは七日、大阪市梅田の阪神本社で中井悦雄投手(19)椎木孝彰投手(17)宇都(うと)宗夫外野手(19)の入団を発表した。発表の席に姿をみせたのは中井投手だけだったが、同投手は昨年大鉄高校から関大に進学、秋のリーグ戦では4試合に登板して1勝3敗の成績。長身からの速球が武器で、河西スカウトが将来性を見込んで勧誘、一年で中退して阪神入りとなったもの。三十五年には大鉄高のエースとして春の選抜大会で甲子園に出場しており、近鉄の土井外野手と同級生だった。椎木投手は長身の左腕投手で二年で中退して入団。宇都外野手は二年生のとき春の選抜大会に出場、中京の林投手からだたひとり安打を記録した好打者、大型内野手として期待されている。

中井悦雄(19)関大一年中退、1㍍79、76㌔、右投げ右打ち。
椎木孝彰(17)和歌山県大成高校二年中退、1㍍80、70㌔、左投げ左打ち。
宇都宗夫(19)鹿児島実業、1㍍82、72㌔、右投げ右打ち。
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渡辺博文

2019-10-11 21:55:23 | 日記
1962年

阪急ブレーブスは九日午後三時から大阪梅田の阪急航空ビル内シルバーで立命大渡辺博文投手(24)の入団を発表した。同投手は三十四年倉敷工から立命大に進学、今秋のリーグ戦では優勝に大きく貢献、最優秀選手に選ばれた。1㍍75、75㌔、左投げ左打ち。

岡野代表の話 梶本兄につぎ左投手をほしいと思っていたので、渡辺君の入団は心強い。大いに期待している。

渡辺投手の話 プロの試合はまだ二十試合ぐらいしか見ていないが、ぼくなりにやっていく自信はある。よくカーブ投手のようにいわれるが、ぼくはシュートが武器だと思っている。ぼくは技巧派だから荒巻さんのような投手になりたい。
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山口昌明

2019-10-11 21:45:15 | 日記
1962年

鹿島市鹿島実高野球部投手山口昌明君(十八、農業科三年)はプロ野球南海ホークス石川スカウトとの間で正式に入団契約した。山口君は今夏の全国高校大会県予選では得意の直球、カーブをよく投げ三振十個を奪った。三回戦で鳥栖工に延長十一回すえ2対1で惜敗したが威力をじゅうぶんに発揮した。同校としては初のプロ入りだけに金子校長、岩本野球部長はじめ職員生徒が同君の将来に大いに期待をかけている。唐津郡塩田町久間冬野農業秀雄氏の五男。身長177㌢、体重60㌔。
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山本秀一・黒木幹彦

2019-10-11 21:35:44 | 日記
1963年

外人三選手をのぞいて唯一の補強選手ともいわれる山本秀一、黒木幹彦両内野手が十九日からはじまった西鉄ライオンズの自主トレーニングに参加した。山本選手は三十四年和歌山南高を卒業と同時に南海入り。1㍍75、72㌔のりっぱなからだを持つ大型内野手だけに、新人ながら鶴岡二世といわれたほどで、鶴岡監督も秀一、秀一と呼んで目をかけていた。だが、そのごやや伸び悩み、鶴岡監督も「ホークスにいて埋もれるよりも心機一転して、西鉄であばれまわっては…。豊田も去って手薄な西鉄内野陣に力を注入するためにも…」との考えから移籍されただけに、ファイトは満々。「別にこれといって抱負はないが、なくてはならない選手になりたい」と濃いマユに意志の強固さをみなぎらせていた。でも、5㌔を越すランニングなど十九日の自主トレーニングにはやばやととまどったかっこうで「こちらにくるまで家でからだをつくるためトレーニングしていたのですが少しへばりました。十八日に書いたばかりで、初日のせいかもしれません。もちろん南海のトレーニングとくらべるとはるかにライオンズのほうがきついようです。だが、これもやる気がみなぎっているせいで、ピーンとはり切った闘志というものが感じられます」といっていた。一方、黒木選手は都農高(宮崎)時代に主将、投手として四番を打ち、三十三年には九州高校野球宮崎県大会で秋、春の二回つづけて決勝戦に進出した立て役者。三十四年中日入りしたが、腰を痛めて遊撃手に転向した選手。「中日時代はまる二年間腰の痛みに苦しんだが、いまはコンディションも上上。西鉄カラーは明るく楽しい。二日前、自宅(宮崎県児湯郡都農町)から来福したばかりですが、監督さんをはじめ全員若くそのうえ同じ九州だからちーむにはすぐとけ込めます。とにかく一試合でもよい、代打でもよいので早く試合にでてやれるだけやってみたい」と第二の人生への出発に闘志をみせていた。中西監督も「有望な新人だからな。ひとつ、しっかりやってもらわなければ…」とハッパをかけていた。
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依田政彦

2019-10-10 07:04:00 | 日記
1987年

昨年は貴重な中継ぎとして石本に次ぐ40試合に登板。すっかり頼れる男になった。日本生まれ、アメリカ育ちの異色左腕。漢字はダメでも英語はOK。テスト生が持ち前の変化球で一軍に定着した。ドラフト一位・阿波野とは同い年。ライバルは阿波野と決めている。「ボクがプロでは先輩。阿波野には負けない」と言い切る。秋季キャンプでは秘球ナックルをマスター。ピッチングの幅も広がった。
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大塚健伸

2019-10-10 07:03:26 | 日記
1987年

切れのいいカーブと落ちるシュート。努力家の左腕だ。プラモデルをコツコツと作りあげるのが趣味。左腕王国、前途はなかなか厳しいが、努力あるのみだ。
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谷崎浩二

2019-10-10 07:02:51 | 日記
1987年

試練の年となった。7年間を共にしてきた背番号「14」と別れを告げ再起にかける。昨秋からフォームを上手から横手に改造。内角にキレ込むシュートに活路を見いだす。「死ぬ気でやる」と闘志が燃える。
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小山昌男

2019-10-10 07:01:56 | 日記
1987年

名付けて羽ばたき投法。独特のピッチングフォームから繰り出すストレートとシュートは威力満点。スライダーもおりまぜ、昨年は後半だけで5勝をマークした。「去年は故障(右肩痛)で出遅れたけど、今年は一年を通してローテーションに入りたい」とさらに大きな飛躍を期す。難点だった守備面も、昨年の二軍落ちで鍛えられて巧くなった。6年目を迎えて、初の二ケタ勝利を目指して前進あるのみだ。
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重村義則

2019-10-08 16:23:35 | 日記
昭40年11月11日生

福岡工高→九州三菱自動車→近鉄
173㌢、68㎏、左投左打。

1987年

縦と横の2種類のカーブが武器だ。カウント0-3からでも変化球を使うほど自信を持っている。背番号42にちなみ、モットーは死にものぐるい。給料はまず貯金という堅実派だ。

1988年

今シーズンも練習生扱いでスタートするが、黙々と練習に汗を流して努力はおこたらない。左腕からくり出すタテとヨコの2種のカーブに磨きをかけて、出番にそなえている。
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