プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

坂神隆広

2022-03-19 22:03:10 | 日記
1977年


昭和33年5月1日生
松商学園
1㍍78、70㌔、右投右打


外野もこなす、パワーヒッター。大沢監督も振りの鋭さに思わずうなった。ドラフト外で入団。「さわがれて入ったやつらに負けません」ときっぱり。からだはやわらかく、将来が楽しめるルーキーだぜ。応援しよう。


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大西正裕

2022-03-19 22:03:10 | 日記
1977年


昭和33年1月21日生 
日大一高、1㍍83、77㌔、右投右打
ロッテの練習生から日本ハム入り。「ロッテはなんで手放したんだろう?」と首脳陣はふしぎがる。長身を利用したバッティングはミッチェルの日本版。「なにがなんでもプロでメシをくう」このガッツは感心させるぞ。

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石井博明

2022-03-19 22:01:15 | 日記
1977年


昭和33年4月29日生 外野手、八代工
1㍍80、70㌔、右投右打
ドラフト外で入団。高校では投手も兼ねていた。百㍍12秒で走り、リストのきいたバッティングは、高校生ばなれ。ファーㇺでみっちり鍛え、将来の4番をねらう。「肥後モッコス(ガンコもの)」の意地がみもの。

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黒木実

2022-03-19 21:58:23 | 日記
1977年


昭和30年10月22日生
黙々と投手の調整役をつとめているのも「きっと主力になってみせる」の決意からだ。薩摩隼人は男でござる、の意地はすごい。クロと呼ばれ、ベテランからかわいがられる明るい性格の持ち主。

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藤原克己

2022-03-19 21:55:10 | 日記
1977年


25年8月4日生
特異なマスク、スタイルで名物男の一人。顔がにているところから「鷲羽山」と呼ばれている。バッティング練習で、捕球しながら「この人はいま不振だ」など、ズバリいい当てる。打者のいいアドバイス役。

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アレキサンダー

2022-03-17 20:54:49 | 日記

1959年

日本のプロ野球はまず草野球なみと豪語していたアレキサンダーは三回でKOされ、みじめなデビューだった。ベンチに引っ込んだこの老投手は、アメリカ人にしては表情の少い話しっぷりで「日本のストライク・ゾーンは米大リーグと違い、高低が辛すぎる。とくに低めのギリギリを全部ボールにされたのは痛かった。まだ捕手との呼吸も合ってないせいもあるけどね。山内に打たれたのは内角の直球で0-3だから打つと思わなかった。コンディションは決して悪くないんだが、どうもスピードが出なかった。とにかくきょうは最悪のピッチングだった」と首をひねっていた。 ・・36歳という年齢からみてもあまり期待は持てそうも無いが、松木コーチの話によると「いいスライダーを持っている」とのことで、井野川球審も「いいナックルが一つ、二つあった」と語っていた。結局日本のストライク・ゾーンになれれば・・ということらしいが「こんなはずではなかった」という関係者の声もあった。
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カスパラヴィッチ

2022-03-17 13:18:57 | 日記
1953年
今春来日した全ハワイ野球チームのエースとして活躍したカスパラヴィッチ投手(ワイキキ・クラブ・二十八才)は五日、午後零時半羽田着のパンアメリカン機で来日し近鉄と契約することになっている。彼はシュートと鋭いカーブを持ち、巧味のあるピッチングをするので前日入団した渡部捕手とともに新威力となろう。


カスパラヴィッチはコーナーにコントロールによく曲球とドロップを配し、特に走者が出ると球速、ブレーキともに加わり、本領を現して来たので、東急は1点のみに終わった。


カスパラヴィッチは速球、カーブを低目にコントロールして西鉄を二安打に抑えた。

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ループ

2022-03-17 13:07:30 | 日記
2004年
金村以外、先発が総崩れの日本ハムで、初登板の新外国人ループがまずまずの投球を見せた。「彼はストライクが入るかがポイント」とヒルマン監督。心配は二回に的中。2死二、三塁から連続四球を与えて、押し出しで先制点を献上してしまう。しかし、以降は力のある直球と鋭いシンカーで要所を締めて追加点を許さず、6回で降板。本人は「出来はまずまずで、内容は残せたと思う」と手応えを口にした。

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堺一也

2022-03-16 14:44:19 | 日記
1964年
東映が毎シーズンのように、大型三塁手として期待しながら、いつもカラ振りさせられているのが堺だ。堺は佐伯鶴城高から東映入りして五年目。合宿ではすでに古参選手の部にはいってしまった。1メートル81、75キロというからだは豊田、長島という大型内野手をはるかに上回るスケールの大きさだが、いまだに一軍入りのメドがつかめないのは、プレー全体にもう一つピリッとしたものがないこと。「なにがなんでもやってやろう」という気力に欠けていることだといわれている。イースタンでは、現在4本のホームランを飛ばして大型の片鱗をのぞかせてはいるが、まだまだプレーの甘さは抜け切っていない。この堺、毎年のようにケガに悩まされ、ことしからとうとう以前の一也から崇展(たかはる)に改名して気分一新。ことしは伊東キャンプで藤村コーチに目をつけられて特訓組に編入され飛躍を期待されたが、とうとうあと一押しが出なかった。「からだも柔らかいし、あの大きなスケールがあるのに」と関係者は口をそろえて気力の欠如を惜しんでいる。東映の内野陣は伝統的に小柄なプレーヤーが多い。過去では浜田、石原(現コーチ)、現在も岩下、青野、西園寺・・・とスケールの大きな選手が出ていない。だからこの堺あたりの第一戦登場はここ数年来、東映が望んでいた大型内野陣の編成に格好のタイプなのだが、ままならぬもの。

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今井洋行

2022-03-13 17:33:58 | 日記
1951年


天王寺はコントロールとシュートボールが武器の今井投手を中心にバックがよくまとまり、とくに今村捕手は府下随一の評があり、闘志満々。
1954年


シュートのサイドスロー投手。


1955年


昨シーズンあまり出場の機会はなかったがスリークォーターからの投球は相当スピードもある。

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田島定

2022-03-13 17:24:47 | 日記
1952年


二年生を主体にした新しいチーム。チームワークに難点があるが、守備の弱さに比べて打撃は良い。投手田島は速球とシュートが得意。

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見本武次

2022-03-13 17:21:21 | 日記
1952年
佐野工は五尺八寸十九貫の体力にめぐまれた見本投手の投げおろしの剛球に威力があり、内外野の守備は荒いが、見本投手がコントロールに進境を見せて、向陽(和歌山)を二対一で破っている。


岸和田産業城森、佐野工見本両投手ともに剛速球とカーブを武器に対戦したがやや不調の見本投手は好球をそろえて打たれた。

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山部精治

2022-03-13 17:11:13 | 日記
1952年
投手山部は五尺八寸余の長身で八割までは曲球を投ずる曲者。スピードのある低目の球は相当な威力をもっており、今夏有力な優勝候補の主戦投手としての貫禄を見せている。

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浜島清光

2022-03-13 15:56:35 | 日記
1955年


・刈谷高も今年はいいそうだ。
・あそこの浜島投手がいい。とくにカーブとドロップにみるべきものがある。
・十試合で三振百十本とったというから球威はあるのだろうね。しかしコントロールにいま一歩の感がある。
・そういうけれど浜島は調子さえよければスピードもあるし大モノ投手だよ。

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川田幸夫

2022-03-13 15:50:26 | 日記
1954年


五尺九寸の巨体から投げ下ろす川田の豪速球は各打者共打ちあぐむことだろう。
投手川田の剛球は素直すぎて変化にさびしいが、それでも今年も県下の高校選手ではそうそう打たれまい。急性肺炎をわずらった後現在は調子が出ないが、夏までには立直ろう。


佐高はさして好調とも思えない足工川田の初球の好球を見逃し極め球のドロップにひっかかって三安打の貧打ではしょせん勝味はなかった。川田もカーブがきまらずドロップに活路を見出していた調子だったから好球必打で出るべきだった。


打ってはこの日ドロップを配した速球を多投して近来にない最上のピッチングを示した足工川田に牛耳られて八回まで三安打を放つたにすぎず九分九厘まで負け戦だった。

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