プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

橋本孝志

2022-03-24 14:40:55 | 日記
1964年
近鉄はよい投手をとった。すぐにも役立たないことはないが、一、二年たつうちに、きっと第一線に出てくる逸材だと思う。体も大きいし、投手としてのセンスもあるようだ。身長1㍍80、体重80㌔。下半身の強くない高校生の年代では、こんなに大きな体は使いこなせないものだが、橋本は理想に近いフォームをしている。上体のこなしに柔らかみがあり、前傾姿勢もいい。下半身のバネがもう一つ不足だが、ふみ出した左ヒザにそれほどの堅さはない。球にウエートをよくのせている。投球は直球とカーブ。今春の選抜高校大会では準決勝まで進み、二ヵ月後の新潟国体では見事に優勝した。この時の印象ではカーブの使い方がうまくなっていた。技巧に走ったというのではない。単調な投球から考えるピッチングに進歩してきたものと見た。自信がゆとりを生み、ゆとりが考える投球になったのだろう。制球力もまずまずだ。これで直球に一段と鋭さをつけ、シュートが切れてくるとプロでも一人前である。肥満型なことと人柄がおとなしい点、気がかりでもあるが、努力の二字さえ忘れなければ、だんだん光りがかがやいてくるタマである。

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カスパラヴィッチ

2022-03-24 13:36:19 | 日記
1953年
五月十三日、後楽園での初のナイター、その第一試合に近鉄のマウンドを踏んでデビューした新鋭カスパラヴィッチ投手は、相豊な速球で、ビシビシと極めつけ、大映に二点しか与えず快勝した。彼の球は、スピードを主武器に、鋭く切れこむドロップ、それにシュートとシンカーで、巧みに配球して打者を幻惑させるところ、なかなかあざやかなものだ。その投球フォームには、まだ研究する余地があるとしても、日本の風土になれ、言葉を解して、チームに溶けこんで来れば、もっと威力を増すに違いあるまい、ともあれ、昨年度の外人部隊より活躍しそうだし、近鉄の協力化にまたひと役を買ったといっても、過言はあるまい。彼にいわせると、「日本に来て、まだ幾日も経っていないね。そして、ゲームにも沢山出ていない。見てもいないから、日本のバッターよく判らないね。だけどみんな、スウィングはベリー・グッドだと思う」だそうだが、あながちこれは社交辞令だけでもなさそうである。彼の幾度の登板の経験から見て、日本の打者はいいが、しかし、こわくはないそうである。ではカスパラヴィッチ投手の極め球は何かとの問に答えて、彼はまたいう。「ぼくには別に得意な球なんかないよ。その日、その日のコンディションで、球が速かったり、遅かったりね。カーブ、スライダーを投げるが、どの球で打者を牛耳るかは、その場面、場面で考えが違う」彼は臨機応変で、打者を料理するコツを大いに心得ているのである。ハワイのベースボールと比べると、どっちが上手いか?「そうね、バッティングもいいが、フィルディングは、もっともっといい。どのプレーヤーも、軽いこなしで球をよく取って、速くなげている。球に飛びつく元気もあるし、強いチームが揃っていると思っている」と、ばかにほめ上げる。彼の眼にうつった日本の野球、なかなか見棄てたものではないのである。カスパラヴィッチ投手は、幼い時からハワイはホノルル郊外に住んでいた。だから彼の性格の中には、アラブ的な匂いは一つも感じられない。話をしていても、すっかりアメリカ人である。彼は恵まれた体格にまかせて、ベースボールをはじめるまでは、種々のスポーツをやっていたという。初めてボールを振ったのは、1940年だそうだ。それは彼の17歳の時で、ホノルル近くのハイスクール時代であったわけ。本格的にベースボール・プレーヤーとなったのは、1946年にソートレーク・チームのエースとして、マウンドを踏むようになってからだから、球歴実数は七年であるが、そのソートレークも、約1年間いただけで、本土にわたってサンフランシスコの一チームに三ヶ月籍を置いたこともあるという。最近はハワイ・オールスターズのこれまた主戦投手で活躍しているのだからまずまず豊富な経験の持主といっていい。「日本はいい国ですね。とても美しい国ですね。パールスもいいチームですね。だからぼくは、出来るなら、二年でも、三年でも留って、ベースボールを遊びたいものです。だけど、冬はとても寒い。それがツライな」と、丸い顔でニッコリ。「今年は特に寒いのだが、もっと暖かくなったら、素晴らしいピッチング出来るか」と問いかけたら、「イエス、イエス。大いにやる積りさ。けれど、話に聞いている日本の夏ね、とても湿気が多そうでね、ぼくそれが心配だ」と答える。日本が気に入って、長滞在ということになると、二代目スタルヒンが出来ようかも知れない。「ワイフと、子ども三人ね、六月のはじめに日本に飛んで来る。それがね、とても待遠しいな、家族来たら、このきれいな日本方々見せて、よろこばせるよ」彼はこんなお世辞も忘れないのである。

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アキーノ

2022-03-24 13:02:41 | 日記
1996年
ちょっとした掘り出し物になるかもしれない。メジャー通算31勝。91年にはロイヤルズで先発投手として8勝をマーク。ジャイアンツから今季、近鉄に入団したプレルトリコ生まれの30歳。ルイス・アキーノ投手(右投げ右打ち)だ。サイパン、キャンプでは環境の違いと緊張感から下痢、発熱を訴え、筋肉痛でリタイアした日もあったが、佐々木監督はじめ首脳陣のアキーノ株は上々だった。助っ人投手特有の早いテンポで石川ブルペンコーチのミット目がけて繰り出すストレートは七分程度のものだったが、低めへのコントロールは抜群。左右にキッチリと投げ分け、威力も申し分ない。「これはいける」と佐々木監督が思わずほくそ笑んだのはタコのように長い手がやわらかくしなり、ボールがかなり遅れて出るピッチングフォームを見たときだった。「タマの威力はなかなかのもの。100㌫の出来になれば、相当なものになるだろう。MAX145㌔は出るというしな、それにあれだけタマが遅く出てくれば、打者は相当タイミングが取りづらい。かなりやってくれそうな手応えを感じる」(佐々木監督)昨オフ、ビデオを見てアキーノを選んだ佐々木監督だったがナマのピッチングを見るまで「使えるかどうか分からん」と、半信半疑だった。だが、ブルペンでの来日初のピッチングを見るなり、不安は一瞬にして吹き飛んだばかりか「二ケタ(勝利)計算できるんじゃないか。ローテーションの柱として働いてくれるかも・・。そんな期待を持たしてくれるピッチングや」とまで褒め上げた。さらにアキーノが変化球を披露したとき、佐々木監督の恋心は募った。「シュート、チェンジアップ、カーブ、どれもクセがあって一級品。特にシュートがいい」と絶賛した。佐藤投手コーチもブルペンでうなり声を上げた一人だ。「真っすぐがどこまで速くなるかがポイントだが、かなりやってくれそうや。それにあのえぐいシュートは武器になる。コントロールがいいし、右打者はかなり恐怖感を抱くだろう。通用するぞ」と、あっさりと合格点を与えた。昨年の10月以来、約4ヶ月ぶりのピッチング。右肩の軽い張りを訴えたり、スパイクサイズも0.5㌢大きめだったにもかかわらず、メジャーで31勝を挙げた片鱗を十分に見せつけたあたりはさすがだ。もうひとつ首脳陣をニンマリとさせたのがアキーノの「僕は左打者封じを得意としているんだ。左打者のヒザ元へのスライダーはメジャー時代、十分通用したからネ」というひと言だった。「イチロー(オリックス)は知らない」というアキーノだが、首脳陣の目にはイチローを沈黙させるアキーノの姿が浮かんだはずだ。来日1ヶ月前に日本のボールの感触をつかむために、使用球を1ダース取り寄せたり、マリーンズ時代に同僚だったデストラーデ(元西武)から日本の野球について学んだ勉強家。推定年棒5000万円という格安助っ人、アキーノが近鉄の再建にひと役買う可能性は十分あり得る。

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