プロ野球 OB投手資料ブログ

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大場豊千

2024-10-20 22:48:27 | 日記
1995年
運命の日には父子2代の夢が託されている。「夢がかなうかどうか、大事な日ですからね。不安でどうしようもない、というのが正直な気持ち」練習だけが大場の不安な気持ちをまぎらわしてくれた。父・隆広さん(47)は大分・別府鶴見ヶ丘時代の1966年、第二回ドラフト第一次指名(この年は2回開催)で中日から1位指名を受けた。期待を集めた剛腕も、その後、南海で現役生活を終えるまで勝ち星に縁がなかった。「高校に入って意識していたのか、ほとんどしゃべる機会がなかった」(大場)という父親と、ひざを交えてじっくり話すようになったのは、最後の夏を終えてからだった。「プロの世界でやってみたい。どうせやるならずっとあこがれていた球団がいい。順位も気にしない」と幼いころからあこがれていた巨人への夢を語る息子に、父親は賛成した。ただ大学、社会人に受け皿を持たないことに対して、ひと言だけアドバイスした。「ダメだったら、アメリカでやってみることも考えてみたらどうだ」隆広さんは現役時代、ドジャースの会長補佐だった故アイク生原さんと親交があった。その縁で、2Aの「サンアントニオ」に留学する道も開けた。「甲子園に出た実績もないし、自分で希望をどうこう言える立場ではないことは分かっています。でも、巨人に入りたいというのは夢です」打っても抜群の飛距離を誇るが、打撃を捨てて投手一本という決意で待つドラフト。プロでの白星という夢には、日本と米国、2つの入り口がある。


1977年、大阪市生まれ。明治小5年から軟式野球を始め、花乃井中時代はボーイズリーグ「大淀」に所属。3年夏は全国大会準優勝。高校では1年夏からベンチ入りを果たし、2年夏にエース。最後の夏は府大会ベスト8に進出した。打っても高校通算38発を記録。182㌢、79㌔、左投左打。


巨人は6日、伊藤菊(前スカウト部長)、中村、山下各スカウトが大阪市内の上宮高を訪れ、ドラフト4位指名した左腕・大場豊千(とよかず)投手と仮契約を交わした。契約金6000万円、年棒480万円。かつて中日で投手を9年、近鉄でトレーニングコーチを10年間務めた父・隆広さん(47)=飲食店経営=は、大場に一流のプロ野球選手の手本として「桑田を目指せ」と激励した。「社会人としての常識は必要だが、一度ユニホームを着たら、桑田君のように我を通すことも大切」と隆広さん。オフはランニングとウエートトレを勧め、最速145㌔を出す大場のキャッチボールの相手まで務める覚悟だ。


1996年


140㌔台の速球とクロス気味に投げ込む大型左腕。高校通算38本塁打を誇る打撃センスも。父・隆広さんは元中日・近鉄の中継ぎ投手で0勝0敗。父の果たせなかった夢をかなえるため東京ドームのマウンドに立つ。


サウスポーということでは大場も期待をかけられている一人だ。新人としてシーズン前半は体力作りに励み、試合登板のチャンスはなかなかこなかった。初登板は7月に入ってから。7月4日、神宮という最高の舞台でマウンドを踏むことになった。4番手としてマウンドに登って2回を無安打と上々の内容だった。素晴らしいデビュー。大場は「久々の実戦でのマウンド。楽しんで投げられました。神宮球場はとても投げやすい。今度は一軍のナイターでマウンドに上がりたいですね」と笑顔を見せた。地肩が強く、球が重い。先輩・水野に似たタイプのピッチャーだといえる。入団時からバッティングセンスの良さにも定評があり、打者転向もささやかれていた。

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