プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

成田昇

2024-10-12 15:48:29 | 日記
1968年
立ち上がり荒れもようの試合が、愛工大の新人成田の救援で引きしまった。三回本田に打たれた風三塁打で風な点を取られたあとは、内角をつく速球と、外角低めにコントロールしたカーブで、愛学院を寄せつけなかった。


長身の右腕成田は、一昨年春一宮商を卒業、外地の学校に入学したが、日本の野球を忘れられず舞い戻った異色。


エースの成田は、制球力を増し、安定してきた。


1969年


「成田はタマが重くなった。変化球の切れもよいから…」と愛工大・川合監督。


成田の外角から真ん中に来るスライダーぎみのボールを右中間へ快打した。


成田はスライダーで名商大を手こずらせて好投したが、まずい攻めで報いられなかった。


三連投で名商大に初めて土をつけた成田は、昨シーズンより威力を増したスライダーぎみの速球を生かしている。低めに決まると、ちょっと手が出ない。走者を出すと単調になる欠点もだいぶ直ってきた。


エース成田が見違えるほど成長した(川合監督)ので投手陣が安定してきた。成田は好投していても時々棒ダマを投げ、打たれるとムキになる強気が災いしてくずれるケースが多かった。だが宮本と組んでサインの種類をふやしたり、ピッチングの間のとり方を練習してきた。スピードも乗ってきただけに心強い。


中京大のあざやかな逆転勝ち。五回までの中京大は、シュートとスライダーで入念にコーナーをつく愛工大・成田にノーヒットと押えられたが、六回二死二塁から当たり屋森が、内角高めの速球を左翼に打ち込んだ。


成田はスピードはいまひとつだったが、カーブがよく今季初勝利。

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川口孝秀

2024-10-12 15:35:07 | 日記
1968年
中日ドラゴンズは、二日PL学園・川口孝秀投手(18)=1㍍82、70㌔、右投げ右打ち=を獲得した。韓国籍の同投手は、ドラフトの対象にならず、中日のほか広島も入団交渉を進めてきたが、一日午後一時、土屋球団総務が本多代理監督とともに父親秀治氏(43)母親一美さん(40)それに川口投手を大阪市北区の新阪急ホテルに招き入団を説得、高誠意が川口家を動かし内諾を得た。正式発表は五日午後名古屋市中区の球団事務所で行われる。同投手は長身から投げ降ろす本格派。球種は直球、カーブ、それと自然に変化するというシュートだが、直球の握りでカーブを投げているなど、まだ未完成。同投手は「プロはきびしいところですが自分の限界をためしてみたい。江夏さん(阪神)のように速球で押す投手が目標」と抱負を語った。


中日・東方担当の話 川口投手の話を聞き、長谷川、高木時両コーチに見てもらった。すばらしい素質だとの報告だったので、さっそく交渉を進めた。からだもいいし、練習不足にもかかわらず生きたタマを投げていたと聞いて大いに期待している。

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平松秀敏

2024-10-12 15:27:03 | 日記
1971年
中日がドラフト会議で七位に指名した尾北高・平松秀敏投手(18)=1㍍75、75㌔、右投げ右打ち=は六日午後三時から名古屋市中区栄、中日ビル内の球団事務所で正式契約をすませたあと、同四時から中川球団担当、両親の幸吉さん(56)智恵子さん(40)が同席して入団発表を行った。濃い太いマユ、がっちりした体格、学生服を着たときより、ユニホームを着たときの方がひとまわり大きく見える平松。同投手は幼少のころ父に死別、義父幸吉さんと母に育てられ、貧しい生活の中で中学を卒業するまで家計を助けるために新聞配達をやっていたという。「小さいときからプロにはいるのを夢見ていました。地元の中日にはいれてしあわせです。大洋の平松投手のような力で押しまくる投手になりたい」と、はっきりした口調でいった。同投手は十月中旬、中日の練習に二日ばかり参加している。そのときピッチングを見た本多二軍チーフコーチは「真っ向から投げる本格派でタマが速いし重い。鍛えたらきっとモノになる」と自信ありげに話していた。中日では即戦力というより二、三年先を楽しみにしている。


平松投手の話 いま毎日8キロ走っています。プロにはいる以上きびしさは覚悟しています。一日も早く一線に出られるよう努力するつもりです。大洋の平松投手のような力でどんどん押す投手になりたい。

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