11月4日、「アナザーストーリーズ 運命の分岐点」(NHK 総合テレビ 22時~)
「熱気が生んだ真夜中の解放区~オールナイトニッポン伝説~」を見た。
>オールナイトニッポン:始末書もいとわない作り手たちによる“伝説の数々”
>「アナザーストーリーズ」で特集 ビートたけしも当時を回顧
(略)
> 番組の副題は「熱気が生んだ真夜中の解放区~オールナイトニッポン伝説~」。
>ビートたけしさん、タモリさん、明石家さんまさん、中島みゆきさんら歴代パー
>ソナリティーは300人以上で、数々の伝説を生んだ深夜ラジオには、始末書もいと
>わない作り手たちがいた。
> 毒舌トークを10年続けたたけしさんが当時を振り返り、 大人気を博した初期パ
>ーソナリティーの亀渕昭信さん、放送作家として多くのことを学んだと語る秋元康
>さんも登場する。
この番組を見て、芸能界の大物を育てたラジオだったんだなとあらためて思った。
私はその頃、まったくオールナイトニッポンを聴いてない。
私が、オールナイトニッポンを聴いていたのは、私が中学3年(1967)の晩秋からです。
(糸居五郎・斉藤安弘・今仁哲夫・高崎一郎などのアナウンサーのときでした)
私は、中学3年の秋ぐらいから高校受験のための勉強を始めた。
私の家は農家で、8畳間が3つと囲炉裏のある板の間という間取りでした。
台所や風呂は土間にあった。
私は、自分の部屋も机もかなった。
そういう環境なので私は考えた。
みんなが寝てから私は起きているということにした。
家族(祖母・父・母・兄)が寝ているときは、家の中が私だけの空間になった。
夕食が終わったら私は寝た。
そして、11時ぐらいに私は起きて、それから翌日の午前3時ぐらいまで勉強をした。
勉強をするふりはしていたが、ほとんど深夜放送を聴いていた。
オールナイトニッポンは、1967年10月2日に開始したラジオ番組なんです。
私は10月に始まったばかりのラジオを、11月頃から聴いていたんですね。
そのときによく流れていたのは、ザ・フォーククルセイダーズの
「帰ってきた酔っ払い」、高石ともやの「受験生ブルール」だった。
私は、高校生になってからも自分の部屋がないので、深夜に自分の空間を作っていた。
深夜放送は「オールナイトニッポン」から、TBSの「パックイン・ミュージック」に変わった。
北山修の水曜日、野沢那智と白石冬美の金曜日、
それ以外はニッポン放送を聴いたり、文化放送(セイ!ヤング)を聴いたりしていた。
私は高校に行っても、私が考えていることを話したい人がいなかった。
クラスにも、吹奏楽部の中にも誰もいなかった。
北山修や野沢那智の話すこと、リスナーのハガキが読まれる深夜放送が、
その頃の私の心を救ってくれた。
高校を卒業してから深夜放送を聴くことは、なくなった。
社会人になり、仕事がたいへんで、深夜に起きていることはなくなった。
26歳で結婚をして、28歳で子どもが生まれると、毎日を生きるために必死だった。
ところが40代中頃から、深夜放送をまた聴くことになった。
それはNHKのラジオ深夜便です。
今でも、夜中に目が覚めれば聴いてます。
この番組が、11月9日(水)午前0:30 再放送予定です。