私の貧幸生活

2022年11月16日 | 暮らし

文藝春秋9月号に、読者投稿「私の貧幸生活」というものがあった。
「少しずつ、小さく、年寄りの力で、世の中を昔に戻しましょう 選・構成 倉本聰」

>私の書いた「老人への提言」。「貧幸」に戻ろう!という提案に対し、
>沢山の御返事や御意見をいただきました。まずそのことにお礼申上げます。
>『文藝春秋』の読者ばかりですから、これが果して全日本人の考えるところ
>かどうかは判りません。殊に「老人への」と特化してしまったせいか、
>『文藝春秋』の読者層のせいか、若い世代の意見が殆ど見られなかったということは、
>僕の作戦の誤りだったと反省しています。

こんなことで倉本聰が老人に意見を求めた。
老人の意見を読んでいて、私が納得できるもの、できないものがある。
はたして私は70歳の老人なんだけど、私の思いはなんなんだ?

農業
>御老人の集まりで、肥担桶(こえたご)の話を致しますと、人々の顔が必
>ず輝きます。
(略)
>かっての日本では糞尿というものは、食う→出す、とい人の営みの中での
>最も単純な循環の一歩であり、大きな資源の一つでありました。それが単
>に不潔だからということで只の廃棄物にされてしまったことに、僕は大い
>なる疑問を持つものです。


>かって富良野で若者相手の塾をやっていた時、その起草文にこう書いたこと
>があります。
>〝石油と水はどっちが大事ですか〟
>石油の方が値段が高いから、一見石油の方が大事にみえます。しかし、石油
>がなくても生きられますが、人間水なしには生きられません。水の豊富な日
>本にあってはどうもこのことが忘れられている気がします。
>しかも最近はミネラルウォーターをいう商品が流行し、水道の水が飲めるの
>に)金を払ってそっちを飲みます。ミネラルウォーターのボトルとふたが、ど
>の位ゴミとして地球を汚しているか、そのことに早く気づいて下さい。
(略)

あかり
(略)
>昔、日本の時間制度は日が上ったら明六ツの鐘、日が落ちたならば暮六ツの鐘、
>その間を分割して時を決めたと、そういう話をきいたことがあります。(略)

衣服
>衣服とは本来外傷や寒暖から身を守る為のものであり、ファッションとは元々
>用途の異なるものではないかと僕は思っています。
(略)

このあと「冷暖房」「ゴミ」について倉本聰は書いてます。
そして「まとめ」でこんなふうに書いてます。

>僕の仕事は、「創作」という仕事です。
>創も作も、つくるという意味ですが、創のつくると作のつくるは全く意味がち
>がいます。
>知識と金を使い、前例にならってつくることを「作」と云います。
>それに対して金など使わずに、知識でなく知恵で、前例にないものを産み出す
>ことが「創」という行為です。
(略)
>作は容易に考えつきますが、創には深い思考の転換と変革への度胸が必要とさ
>れます。何しろ世の中は本質的に保守的で現状の変化を好みませんから。
>今の豊穣の日本から貧幸の日本へ戻せと云ったって、なつかしがるひとは多少
>いたとしても実践する人、行動を起こす人はほんの一握りしかいないでしょう。

このあとに読者の意見を書いた文章がありました。

私は、〝貧幸〟です。
胸張って〝貧幸〟で生きます。

コメント
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