私は寝ることが大好きです。
九想話を書き上げ、九想庵の更新を終えて、
どてらの中に身をおさめたとき、しあわせを感じます。
それがいつもだいたい2時から3時。
起きるのが6時半。
ですから、私が蒲団で寝るのは4時間前後です。
毎日晩酌のあとにコタツで1、2時間寝てしまうので、
合計の睡眠時間は5、6時間というところです。
「睡眠時間6~7時間が長寿の秘けつ
米で110万人調査」
という記事が、2/15のasahi.comにあった。
> 最適と言われることの多い
> 8時間睡眠の人の死亡率は、
> 6~7時間の人より1割ほど高かった。
> また、8時間以上の人と5時間の人を比べると、
> 8時間以上の方が高い死亡率を示した。
むかしから、睡眠時間は8時間、といわれてきた。
毎日8時間寝られたらいいな、と思っている。
でも、8時間寝ていたら自分の時間がない。
やりたいことが出来ない。
それで慢性的な睡眠不足で生きてきた。
こころのどこかで、
満足に寝てないから、どうせおれは長生きできない、
と思ってきた。
この研究グループの結果だけで考えると、
人間の睡眠時間は6~7時間がいいということになる。
でも、この調査に対し、全米睡眠財団は反対している。
(私は、全米睡眠財団なるものがあることに驚いた)
「今後も7~9時間の睡眠が重要と訴えていく」
とのコメントを出している。
私は、その人の最適な睡眠時間は、
その人なりにあると思っている。
しかし、わが女房の睡眠時間は異常だ。
常日頃は、6~7時間というところだが、
休日は“冬眠”状態だ。
フラメンコの練習や友人と会うときには、
テキパキと起きて出かけるが、
何もないとなると
家で目を開けてることのほうが少ない。
男3人(私、息子たち)は、
“眠り姫”(ジブンデ ソウ イッテイル)を無視して
めいめいに活動している。
今日は曇天で暗かった。
私と女房は一日コタツムリになっていた。
女房はオリンピックのかかってるテレビの前で
ほとんど寝ていた。
私は、ときどきテレビを眺めながら、
本を読んだり眠ったり。
夕方からパソコンもいじった。
6時半、眠り続ける女房を起こした。
「晩飯はどうする?」
と訊くと、
「メモするから、材料をスーパーで買ってきて」
という。
仕方ないので私は駅にある西友に出かけた。
スーパーでメモを見ながら、
漏れがないように品物を探していると、
ケータイの着メロの
「コンドルは飛んで行く」がかかった。
「牛乳ないから、買ってきて」
スーパーを出て、
家まであと30メートルというところで、
また「コンドルは飛んで行く」が鳴った。
「今どこ?」
「もうすぐ家だ」
「よかった。ラップがないから買ってきて」
私は、近くの小さなスーパーに行った。
まだまだ外は寒い。
ぶら下げたレジ袋が重かった。
本日、河辺ケーナ工房からケーナが届いた。
昨日配達されたようだったが、
家に誰もいなくて受け取れなかった。
今朝、玄関ドアの郵便受けを見ると、
いろんなチラシにまじって、郵便局の紙があった。
あわてて電話して、
夕方再配達してもらうことをお願いした。
厚紙の筒の両端の布テープを剥がし、
中からケーナを出した。
私の持っているケーナとほぼ同じ太さ長さだった。
材質は篠竹のようだった。
これまでの葦のものより肉厚が薄い。
なんの装飾もなくてさっぱりしている。
(写真の上のケーナです)
さっそく吹いてみた。
音が楽に出る。
> このケーナ、音が抜けすぎず、
> 少しこもる感じですがいかがでしょう。
と、河辺さんからの手紙に書いてあった。
私のPINTOSのケーナより音が抜ける。
河辺さんのケーナと比べると、
PINTOSのものは音がこもっている。
へたな演奏でも、
このケーナだと少しうまく聴こえそうだ。
10日に電話したとき河辺さんは、
「今吹いてるのはどんなケーナですか?」
と訊いてきた。
「ケーナにPINTOSと書いてあります」
とこたえると、
「私も、最初に買ったのがPINTOSです」
といった。そして、
「在庫の中から一番いいものを送ります」
といってくれた。
いいケーナを送ってもらった。
さっそく、河辺晃吉ウェブサイトの掲示板に、
お礼の書き込みをした。
これまでいろんな楽器に色目をつかってきたが、
これからは、ケーナだけでいこうと思う。
中途半端にいろいろやるより、
ケーナをきちんと吹けるようにしたい。
「リストラ…職探しの果てに地方で農林漁業に」
という記事が、
Yomiuri On-Line (2月16日00:06)にあった。
都会での職探しに見切りをつけ、
農業や漁業をするサラリーマンが増えているらしい。
以前のような「田舎暮らし」に憧れてではなく、
仕事を探し求めた末にたどりつく中高年の姿も目立つ、
と書いてある。
東京・町田市の49歳の男性のことが紹介されている。
> 25年間、大手食品会社の外食部門で働き、
> 最後は約20人を束ねる東京・渋谷店長だったが、
> 3年前、部門ごとリストラに遭った。
飲食店を経営しようとしたり、
就職活動もしたが、年齢ではじかれた。
>「この年では仕事はないのか」。
> 焦燥の1年が過ぎたとき、漁師の求人を見つけた。
初めて足を運んだ東北の漁港で
案内された4トンの漁船は、
乗組員10人のほとんどが地元の年上の漁師で、
> 船が揺れると足元がよろけ、失笑を買った。
朝5時から夕方まで、タイやサケをとり、
もたついてとどなられたこともあったらしい。
> 月収は手取り12、3万円。
> 以前の3分の1だが、半分を仕送りに回す。
きびしい現実だ。
> 「自然のリズムで生活すると、イライラしない。
> 店長時代より幸せ」。
> 今ではそう言えるようになった。
そういう心境になるまでは、
なみたいていではない苦労があっただろう。
家族と離れて慣れない漁師の仕事。
同じ歳の私は複雑な想いで読んだ。
私も4年前にリストラにあい、退職した。
生産管理ということで今の会社に入ったが、
昨年、製造に回された。
長い間ディスクワークをしていた私は、
製造現場の動きがとろい。
50を目前にして新しい仕事を覚えるのは難しい。
なにしろ体力がない。
今でも30代の“先輩”に毎日注意されている。
木の葉髪自尊心など捨てました
これは私の俳句ですが、
こういう環境で仕事をするには、
自尊心など持っていられない。
職場の若い人に腰を低く敬語を使って話している。
仕事が出来ないのだから仕方ない。
(なんでこんなことになっちゃったのかな)
日々想う毎日です。
「中高年の就職説明会、求人457人に2100人殺到」
同じ Yomiuri On-Line (2月16日01:08)にあった記事だ。
おれには、関係ないものになってしまった。
女房からは、数年前にもらえなくなり、
今の職場に女性はいない。
こうなると、すっきりしていい。
ホワイドデーなんていう日のことを
考えなくていい。
でも、チョコっとさびしい。
会社と家の中間ぐらいに大きなパチンコ店がある。
会社の帰りに、
そこの、畑に囲まれただだっ広い駐車場を見ると、
かなりの車がある。
おそらく会社帰りの勤め人がほとんどだろう。
私は20何年パチンコをしていない。
やっても勝てるわけないと思っているのでやらない。
パチンコを含めて私は賭事が好きだ。
好きだがやらない。
お金がないというのが大きな理由だが、
それだけともちがう。
会社でいやなことがあり、
それを忘れるために玉を打ち込んでる人もいるだろう。
たんに週何回と決めて、楽しんでる人もいるかな。
今日はちょっと女房の顔を見たくない、
ということで寄ってるかも知れない。
この前とられたから今日はとりかえす、
というリベンジ青年もいるはずだ。
(みんながんばれよ)
私はなかなか進まない渋滞の中で応援する。
あの駐車場の車たちは、
静かにご主人の帰りを待っている。
さて、ご主人はどんな顔して戻ってくるのかな。
電通の「全国デジタルライフスタイル調査」
の結果によると、
自宅や職場、携帯電話などで少なくとも一つ以上で
インターネットを利用している人の割合は
53・6%と前回2001年2月の調査の41・6%から
大きく増え、ついに過半数を占めたらしい。
これは、asahi.comの日刊工業ニュースに書いてあった。
私が9年前にパソコンを買い、
パソコン通信を始めた頃には想像もしなかった。
インターネットというものが普及し、
これだけ利用者が増えるとは。
私は、パソコン通信というものを知ったとき、
ものすごく憧れた。
なんとしてもやりたいものだと考えた。
そんなとき新聞で、
ASAHIパソコンネットが、
パソコン通信で文学賞をやる、と知った。
これは参加しなければ、と思いパソコンを買った。
買ったけど、パソコンのこと何も知らなかった。
買ってきたパソコンの電源を入れても、
何も画面に現れなかった。
あたりまえだ、MS-DOSも入れてなかった。
それから必要なソフトを手に入れ、
毎日パソコンに向かい勉強した。
私がこれまでで、
ひとつのことをあれほど勉強したことはなかった。
インターネットというものに、
一般の人がもっと簡単にアクセス出来ると、
ますます広まるだろう。
まだまだパソコンというものを苦手と思ってる人は多い。
テレビに、ある機器を接続して、
手軽にインターネットに
アクセスするものが出来ないのかな。
携帯電話のような小さいものでも出来るのだから、
そういうものがあってもいいと思う。
インターネットを利用したいと考えていても、
パソコンが難しそうだから、
と諦めてる人は多いと思う。
私の生活に、
インターネットのない暮らしは考えられない。
今ではホームページを持って、
毎日の更新が生きる支えにもなっている。
“苦しみ”にもなっているが…。
朝、夢で目が覚めた。
久しぶりの夢だ。
私のような男がいた。
その男の妻が赤ん坊を抱いている。
赤ん坊が男を見て叫ぶ。
「パァーパ、パァ~パ」
それで目が覚めた。
その声は、
息子たちの赤ん坊のときのものだった。
うちは双子だが、
夢ではひとりしかいなかった。
でも、男を呼ぶ声は息子たちの声だった。
赤ん坊の頃、ふたりはすべて似ていた。
今でもよく間違えている。
私は目が覚めて、
涙が出そうになった。
今もそうだが、
息子たちの生まれた頃は、
経済的に貧しかった。
でも、
「パァーパ、パァ~パ」
とすがってくる息子たちが可愛いくって、
こいつらのためにがんばろうと思った。
あの声で呼ばれていたから、
私は今日まで生きてこられた。
午前11時、図書館に行く。
図書館は航空記念公園内にあるので、
いつもは公園の駐車場に車を置く。
今日は曇った寒い日なのに、
満車になっていて、
駐車場の前には車が何台も待っていた。
なにかイベントがあるのだろうか。
私はUターンした。
図書館わきの道路にも沢山車が停まっていた。
そこには駐車メーターがある。
私は空いている所に車を停め、図書館に急いだ。
少しぐらいだからいいか、と思い、
お金をメーターに入れなかった。
ほとんどの人がお金を入れずに停めていた。
何年か前には、駐車メーターなどなかった。
文學界の今月号に、
長嶋有さんと川上弘美さんの対談があった。
今月号は借りられないのでイスに坐って読んだ。
ASAHIネットの
「パスカル文学賞」や「第七句会」のことを
二人は話していた。
私も仲間だった。
もう私には遠い存在になってしまった。
本を借り車に戻ってみると、
ワイパーに紙が挟んであった。
私は“二人”のことを考えていて、
駐車違反の紙を無視して車を出した。
ガソリンスタンドで給油してるとき、
紙を読むと300円入れてくれ、と書いてあった。
私は急いで戻って、お金を入れようと思った。
しかし、その駐車スペースには他の車が停まっていた。
私は、焦った。
このままでは“犯罪者”になってしまう。
道路わきに駐車し、
ケータイで紙に書いてあるところに電話した。
「こまかいお金がなかったので
両替して入れようと思ったが、
他の車が停まっていて入れられない」
というと、そこに行くということだった。
しばらく待つと、
制服を着たおじさんが来た。
その人に300円を渡すと、
「私が責任を持って、駐車メーターに入れときます。
この紙は破棄しておきます」
と去っていった。
ちょっと心配だったが、
私は車を発進させた。
家に帰ると、
「東京国際マラソン」を映すテレビの前で、
女房が気持ちよさそうに寝ていた。
今日、会社から家に帰ったら、
家族連絡用のホワイトボードに女房の字が書いてあった。
「札幌のケーナの人からTEL
今夜おそいですといったら
ちょっとお話したかったということです。
又、メールかきますとのこと!
よかったね。
すごくかんじのいいおちついた人」
昨夜、河辺ケーナ工房にケーナの注文をした。
その件だろうと思った。
残念。私も河辺さんと話したかった。
今日は会社に出勤した。
最悪の日だった。
でも、そんなことがすべて削除されるものだった。
私が現在持っているケーナは、
15、6年前、
あるフォルクローレのコンサート会場で買ったものだ。
私としては3本目のケーナです。
けっこう気に入っている。
この頃、新しいケーナが欲しいと思い、
楽器屋に行くと探している。
しかし、気に入ったものがなかなかない。
「河辺 Webサイト(http://quena.org/)」で
ケーナを販売していることを思い出した。
製造工程などを見ると、
きちんと作っているなと思った。
それに、製造者と直(ジカ)につながっているのが嬉しい。
さあ、つまらない暮らしに、楽しみが出来た。