田舎暮らし?

2007年04月05日 | 健康・病気
去年の6月26日の九想話に「実家にいます」というのがあります。
このときは東京上野の職安で宇都宮のある会社の紹介を受けて
面接に行くために実家に帰っていた。

去年の今ごろ、私と女房との老後をいろいろ考えていた。
どう考えても所沢に住み続けられない、
というのがそのときの結論だった。
なにしろ家賃が高い。
私は収入のほとんどを息子たちの教育にあてたので、
家は持てなかった。
年金暮らしになったとき所沢にいられない。
それで考えたのが、茨城に住もうということです。

茨城の実家に土地はある。
現在、兄1人しか住んでなく、田畑の耕作はしていない。
草茫々になった1000坪ほどの田んぼを、
兄が「やるよ」という。
それで田舎に就職してそこに家を建てようと考えた。
職安で実家の近くから通える会社を探し就職しようと思った。
宇都宮のその会社までは、車で1時間ほどで通える。
小さな精密加工の製造会社だった。
粗末な建物の工場でした。

初夏の暑い日、私はほとんど着ないスーツを着て面接に行きました。
結果はだめでした。
資材購買経験者という求人だった。
私は資材購買、生産管理という仕事を長い間してきた。
この職種では誰にも負けないという自負がある。
40代の若い人を採用したと社長から連絡があった。
若さでは負けますね。

面接のあと同級生の建設会社を経営している
一級建築士の友人に会った。
田畑を宅地に転用するには測量したりいろいろ手続きして、
かなりの費用がかかる、
銀行から住宅ローンを借りるのには、
1年間こっちに暮らした実績がないとだめだ、といわれた。

私と女房は田舎に住むことを軽く考えていた。
社会の現実を知らないということをあらためて知った。
田舎に建てる家の間取りを考え、
犬も飼いたいなどと思っていた女房の夢はもろくも潰れた。

しかし、いずれは田舎に住もうと考えています。
なにしろここの家賃が高い。
年金暮らしになったら払えない。
私が65歳(あと10年)になるまでに、
なんとかお金をためて田舎に小さな家を建てようと思う。
バーチャルではない現実の九想庵です。
私の実家は、益子焼きの益子町の隣です。
あと10年、陶芸を勉強して、“九想庵”に窯をつくる。
焼き物をやり、ギターを弾き、ケーナを吹く生活。
とうぜん九想話は書き続けている。
どうなりますかね?

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九想庵の誕生日

2007年04月04日 | 健康・病気
今夜は九想庵の誕生日です。
2001年の4月4日の深夜に九想庵は生まれた。
そういうわけで今日で九想庵は6歳になりました。

今夜は、陶芸教室があった。
それが終わっていつものように楽家で飲んだ。
みんなとワイワイ飲んでいて、
「じつは今日は九想庵の生まれた日なんだ」というと、
「そう」とだけいわれて、たちまち違う話題に移ってしまった。
あ…、あぁ………!
こんなもんです。
九想庵の生まれた日、それがどうした?

明日からも、とつとつと九想話を書いていきます。
それだけです。

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帰国

2007年04月03日 | 健康・病気
今ごろ唐さんは、北京から家に向かう電車の中か。
今日、成田から中国に飛行機で帰った。
北京から9時間かかる奥さん子どもの待つ家に
着くのは何時ころか?
25キロ以内におさえた荷物をかたわらに、
電車に揺られているのだろう。
パソコン、デジカメ、DVDビデオを持って帰れば、
彼は近所でうらやましがられるだろう。
新築の家を買うお金も日本で稼いだ。

何年か先、私も唐さんの乗っている電車に乗りたい。

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職安

2007年04月03日 | 健康・病気

現在は、ハローワークというらしいが、
とうぜん「公共職業安定所」というのが正式で、
私の雇用保険被保険者証に、「公共職業安定所」はあるが、
「ハローワーク」という言葉の記載はない。
なので私は“職安”でいきます。

職安というところは好きじゃない。
嫌いですが、私の人生でずいぶんお世話になっている。
最初に利用したのは私が27歳のときだった。
そのころ私は東京の御徒町にある小さな広告代理店に勤めていた。
そのときのことは2001年12月14日から4日連続の
営業マンだった私」に書いてあります。 

あのときは自分が求人広告の営業をしながら、
自分の転職先を探していた。複雑な心境でした。
飯田橋の職安、池袋の職安に行きました。
そのとき会社の求人を探すときは今のようにパソコンはない。
パスケースに入った求人票を1枚1枚見た。
現在は便利です。
家のパソコンでインターネットで見られる。
今日はもう眠いので続きは明日書きます。

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無職のとき

2007年04月02日 | 健康・病気
そういうわけで私は1月20日、作業所を辞めた。
“そういうわけで”といわれても、
どういうわけだ、とみなさんは思うでしょう。

そのへんのところは生々しいので、九想話にふさわしくない。
私としては、九想話は明るくいい話ということを心がけています。
なので書きません。
いつか小説の形にして書きたいと思っています。
(でも、作家ではないので世の中に出ることはないでしょう)

仕事を辞めて田舎に行った。
友人の幼なじみの奥さんが亡くなって落ち込んでいる、
という電話があったからです。
久しぶりに彼の家に泊まり、酒を飲んで一晩話した。
でも、彼には仕事を辞めたことはいわなかった。
いえなかった。

家に帰って職安通いが始まった。

コメント (2)
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弾き語り生歌

2007年04月01日 | 健康・病気
桑田佳祐弾き語り生歌 サザンオールスターズ
 
昨日、あることでネットをさまよっていたら、
こんなところにたどり着いてしまった。
思わずすべての曲を聴いてしまった。

桑田佳祐の歌はもちろんいいが、ギターがよかった。
あらためてギターを弾こうかなと思いました。

ここにある歌をCDにしたら売れるのではないかと思う。
できることならiPod に入れて持ち歩きたい。
コメント (2)
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