実家から帰ってきました~。スケジュールが大幅にずれてしまったので、あまり余裕がない!やばい^^;久しぶりに死に直面して考えさせられる事もたくさんありました。こっからは結構暗い話も混じってるので、見たくない人は飛ばしてください。
まずは流れをざっと…
親族である自分は1時からばあちゃんの家に挨拶に行き、住職さんの説明を聞きながら遺体に仏となるための旅をさせる準備(足袋を履かせたり、甲をつけたりする)をしました。そして住職さんのお経のあと、3時から遺体を棺に入れ、霊柩車に載せ、お通夜の会場に運びました。そして、親族待合室で待つ事2時間、6時からお通夜開始といった感じ。
遺体を見るのは2回目でしたが、やはり変わり果ててしまったなという感じでした。大変失礼ないい方になるけど、遺体は人間ではなく「もの」という表現が合う。生前は本当にこれが生きていてばあちゃんだったんだなぁって感じ。結構衰弱してたけど、それにしてもあまりに変わり果てた姿に動揺してしまいました…。でも遺影のばあちゃんは本当に綺麗でした。去年の9月にガンを宣告されるまでは本当に元気で誰も病気なんて疑ってなかったのに、たった4ヶ月でこうまでになってしまうとは…。自分は手を怪我してとき、再び動くようになった時、人間の回復力って奇跡的だと思ったけれど、人間のはかなさというか、脆さも同様の勾配を持っているのかもしれませんね。若いうちは多少ムリしてもたくさんの事をしておけという言葉の意味を再認識しました。はぁ、でも人間はやっぱりはかないです。若くても事故とかで亡くなる事はあるしね
ばあちゃんは享年78歳でしたが、本人はもう十分生きたといつも言ってました。十分ってのは人それぞれだろうけど、自分はばあちゃんがそう思ってたなら、本人にとって素晴らしい人生だったんじゃないかと思ってます。最後に「死ぬも勝手、生きるも勝手。もう好きにさせてくれ」と言ったそうですが、ばあちゃんらしい言葉である一方、自分の死を悟ったかのような最後のフレーズが気になりました。
まあ死んだらどこ行くのかわからないけど、行き着いた先でもばあちゃんらしく過ごしてくれ!
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