昌幸は、天正15(1587)年、真田郷の水源林であり、神の山である四阿(あずまや)山の主要な樹木であるとが(ツガ)とひそ木(シラビソ)の一切の伐採を禁止する通達を出しています。真田郷の人々にとって、村の水源林である四阿山は神の山でした。伐採禁止政策の意図が宗教的なものか、それとも洪水対策など治山・治水上の必要性によるものか、朱印状には理由は書かれていません。おそらくその双方の理由を含んでいたのではないでしょうか。日本の山林保護思想の先駆者というと、1654年の備前の大水害を教訓に、岡山藩で治山・治水のための山林保護政策に取り組んだ熊沢蕃山などが有名です。真田昌幸の山林保護政策は、それより70年も遡るわけです。 . . . 本文を読む