『夏の秘密』は第3話、いまだ潜在力は感じるんだけど、真っ芯に当たってないなという助走が続きます。
やりたいことはわかっている。現代を舞台にすると、こと恋愛に関してはまったく障害がなく、誰が誰を好きになっても携帯さえあればメール・ムービー写メール・テレビ電話、いくらでもコミュニケーションはとれるし密会デートもできる時代、社会や世間が許さない恋や、逢えずにつのる思いなどはいっさいリアリティがなくなっています。
『夏の秘密』も、紀保(山田麻衣子さん)は大企業社長令嬢で、お嬢さま教養の延長みたいなウェディングドレス工房を経営しているご身分、伊織(瀬川亮さん)は下町のしがない旋盤工ですが、これから盛り上がってくっつこうってんなら、紀保父(篠田三郎さん)の反対や逆玉婚のそしりは免れないでしょうが、くっついて悪い致命的な障害はどこにもありません。基本的には娘ラブな篠田さん演じるパパなら、伊織を婿にして鉄工場のひとつやふたつ建てるか買収するかして持たせてくれそうな勢いです。
致命的に恋愛が許されない障害の王道として、かつては、“好き合った男女が異父(母)姉弟・兄妹だった”が三日にあげず登場していましたが、少子化の昨今これも難しくなってきた。そこで、この枠の最近の現代もの作品が好んで使うのが、男女間における“利害・立場の対立”。つまり、くっつきたいカップルを敵味方に分かつ構図です。
思う相手が亡き親の仇であったり(『愛讐のロメラ』)、財産目当て謀略の正犯と共犯であったり(『美しい罠』)、金を狙う俄か色悪と狙われる富豪であったり(『金色の翼』)、普通に祝福される結婚をしたい向きと、自分の主義信条を貫きたい者であったり(『契約結婚』)、こういった、身分でも制度でも出自血縁でもない、言わば内的障壁で主役カップルがくっつけない設定の例では、ドラマ冒頭から最終盤まで一貫して相思相愛なのに、ツラ当てとプライドだけで対立・挑発を繰り返した『危険な関係』の柊子&律が最右翼にして最高峰かもしれませんが、今作『夏の秘密』も、婚約者の殺人容疑を晴らしたい令嬢と、殺された元・看護師の恋人?で真犯人を突き止めたい工員。
令嬢の、逮捕された婚約者がシロなら工員には苛立たしいことですが、元・看護師が令嬢の婚約者の子を身篭って殺されたとあれば、真犯人が誰であれそこに至る事情を知りたいでしょう。斯くして協働と互いへの猜疑・不信、両輪に跨る危うい関係が今後恋愛含みに変化していくわけです。
こういう、犯罪や悪事を間にはさんだ対立構図で“くっつけない恋”をアレしようという制作企図には月河、まったく反対しません。このモチーフを採り入れて傑作・佳作になった小説や映像作品も数多あるし、スーパーヒーロータイムの戦隊や仮面ライダーは、男性キャラ同士で普通にこの手の感情の衝突交流を毎週繰り広げます。目標が恋愛成就でなく、凌駕と屈服、リーダーシップと協調の確認を目指すというだけの違い。
ただ、『夏の秘密』、ここで惹きつけよう、ここで萌えさせようと仕組んだ場面や絵が、いちいちスイートスポットに来てない。1話の、放送前予告でも使われた、龍一(内浦純一さん)拘束のパトカーを追う紀保のウェディングドレス疾走→靴が脱げ転倒の痛そうカワイソ場面を筆頭に、第一発見者かつ参考人として伊織連行、動揺するフキ(小橋めぐみさん)、2話の面会紀保&取り乱す龍一の拘置所ガラス越し、紀保髪ジョキジョキ、アパート下見時の、お嬢ぶりが速攻ばれそうでバレない不動産屋息子(橋爪遼さん)との会話、半裸の伊織と湯上がり紀保の共同浴室ガッチャンコ、3話の紀保の納豆頂戴糸ヒキヒキなど、観客の胸がキュンと痛むように、あるいはハッとしワクワクし、微妙にむらむらするように狙って作られているのはわかるんだけど、作っているほうが狙うほど胸も痛まないし、ワクワクもむらむらも来ないのはなぜでしょう。
月河はずばり、物語が“過去がかり”に過ぎるからだと申し上げたい。人物の行動や情念の動機・源泉が、物語開始以前の、映像化すると回想シーンにしかならない“過去に何が起こったか、何が真実なのか”に拠りかかり過ぎで、この人がこういう言動をするのも、あの人がこんな表情を見せ、こんな台詞を発するのも、ぜんぶ“過去を知るため”。そのために、現在時制のドレス疾走や、半裸ガッチャンコの影が薄くなるのです。
06年の『美しい罠』以後、この枠のこのクールはなぜかサスペンスに重心をおくようになり、それだけならまったく問題ないのですが、とりわけ“謎解き”“フーダニット”の要素を過分に取り入れがちになって、結果『金色の翼』などは、修子の夫の事故死も謎、修子が異国の富豪夫人におさまった経歴も謎、槙の兄の殺人容疑逃亡・生死も謎、宿泊客絹子の素性も謎なら、修子&玻留姉弟の幼時も謎、謎また謎の周りを撫で回したり突っついたり、一歩前進二歩後退しているだけで、全65話のかなりの部分を費やしてしまい、現在時制で起きている謀略・駆け引きや、愛欲もしくは純愛のストーリーが相対的に軽くなった弊が否めません。
観てるほうとしては「そんなことより、結局修子は手を汚してたのかしてないのか」「槙兄は恋人を殺めたのか無実なのか」のほうが気になって仕方がなく、甘美な抱擁や、緊張感ある抗争劇を見せられても「だからさ、どうでもいいよ、そんなことは」と常に微量イラついてしまう(以前ここで、現放送中の『夜光の階段』について“もっと成功したかもしれない『金翼』”と書いたときに、『金翼』を「小さくない欠点を抱えたドラマ」と表現したのは、以上のようなことをも含みます)。
ドラマでは、過去に起きたことは如何ようにもマスキングできるし、回想や推理シーンで真犯人の正面顔を撮らない、決定的な物証をフレームに入れないなどして、物語が適当な段階まで進んだところで顔を映し物を映し「実はこれこれこうでした」と明らかにすることもできる。さらに進んだ段階で「これこれは誰某のウソで、真相はこうでした」とくつがえすことも自由自在です。言わばドラマ自体が壮大な叙述トリックになり得るわけで、現在時制の人物の言動動機が大半“過去の究明”に領されている状態は、物語として“ずるい”し、作品として狭小だし、エンタメとして不親切だと思います。
ちゃんと観客の目の前で出来事を起こし、提示して、その出来事によって人物の感情が惹起され、人物同士・感情同士が衝突し摩擦し合うさまに合理性納得性をつけていただきたい。謎解きを軸にするならするでいいから、物語開始前、観客の見ていないところで起きた謎のどうこうより、解かんとする人物たちの現在の情動のほうに、より観客の気持ちが添うように描いていただきたい。観客はどうしてもこうしても美しい女優さんのお似合いな衣装や、男優さんの筋肉美やブランケットの下での絡み合いを見たいわけではなく(見たい人もいるでしょうし、見られたら見られたでそりゃいいものですが)、気持ちを乗せて行ける“物語”を欲して、毎日録画して昼帯を観ているのですから。
岩本正樹さんの音楽が今年は一段と抑制的に使われていていい感じ。何より要所要所での音量が適切で役者さんの微妙な芝居を邪魔しません。今日3話の、杏子(松田沙紀さん)が偽杏子=紀保の身元照会電話にクチ裏合わせる場面に流れていた神秘的な曲がひときわイマジナティヴでした。この次この曲が劇中流れるときは、かなりお話が核心に踏み込んでいそうですね。