『夏の秘密』でもうひとつ疑問なのは、“どこまでサスペンスにする気があるのか”ということです。
サスペンスと言うと狭くなりますから、“ハラハラ心理の共有”と言ってもいい。下町女性殺人事件の真犯人探し以外にも、究明のために身分を隠し偽名を使って、殺人現場の部屋のあるアパート夕顔荘に引っ越し情報収集しようとする紀保(山田麻衣子さん)の正体が、ネイティブ下町住民たちにいつバレるか/バレないかという点も、やりようによってはじゅうぶんハラハラの盛り込み場所になりそうなのですが、そこはお嬢さまの紀保、“バレないための武装”がまるっきりユルユル。
夕顔荘に部屋を借りる下見の際も、部屋代月4万円を「一泊で?」とか、「バスルームはどこかしら」とか、金銭感覚も生活感も全然下町古アパートに住むような人品じゃないのがまるわかりで、「冗談きついよ」と怪しまないのは宅建浪人の雄介(橋爪遼さん)が無類のお人よしだからでしかない。
今日4話で、伊織に朝食のおかずを届けに来たフキ(小橋めぐみさん)や、和風喫茶浮舟の女主人(姿晴香さん)ら近隣住民に手土産を配って挨拶かたがた、事件の情報を聞き出そうとする場面にしても、“礼儀正しくするのには慣れているけど、下手(したて)に出るという発想がはなからない”令嬢育ちが面白いように漏れ出ています。
これだけガードが薄いと、少なくともこの部分に関しては、観客が「そんなものの言い方したら、バレるぞ、バレるぞ、よしよし、その調子…あっと危ない!」の綱渡りハラハラを、ヒロインと共有できるようには作られていないということです。
そもそも、ひたすら“婚約者が犯人ではないという証明につながる情報を、現場近隣から得たい”と思うのであれば、身分を隠して現場に潜入などせず、親の資金力をバックに、住民たちに札束積んで「私は容疑者のフィアンセです、無実を信じているんです、どんな小さな情報でも提供して下さい、おカネはいくらでも出します」とネジ巻けば、金欲しさと可憐な悲劇のヒロイン見たさに「こんな人影を見た、物音を聞いた」「殺された女にはこんな背景や噂があった」と不況にあえぐ商店主や店員工員たちが尻尾を振ってたれ込むはずです(もちろん伊織のようなタイプ・立場の住民なら「カネで何でもどうにかなると思うなよ、あんたは世間知らずだから人間のウラオモテがわからなかったんだ、その弁護士に騙されたんだよ」と食ってかかって、別の展開があるかも)。
2話で潜入を決心した紀保が髪を切っていましたが、潜入先の下町には髪の長い紀保を知る人はいないのだし、紀保自身マスコミのカメラを避けていたので、面が割れるのを防ぐために短髪になる必要はまったくない。
あの髪切りは紀保にとって“婚約者逮捕に打ちひしがれ(幼い日に亡き母がいましめたように)嘆くだけの自分からの訣別”の象徴であるとともに、潜在的には“信頼できると思っていたのに裏切っていた(出張先で見ず知らずの女の誘惑に屈し孕ませ金で黙らせようとした)婚約者への、内なる最後通牒”なのです。
どんなに紀保が「この先龍一さん(内浦純一さん)と一緒に生きて行くと誓ったの、だから無実を信じる」と繰り返し自答しても、たとえ無実が立証されたところで、龍一は紀保にとってこの一件以前の、非の打ちどころなく優しく誠実でどこに出しても恥ずかしくない婚約者ではなくなり、永遠にそこへは戻れなくなりました。
紀保の髪切りは“何不自由なく育ち社会的地位も教養もあり、親や世間に祝福される結婚をする、リスペクタブルなワタシとの訣別”でもあり、武家社会の既婚婦人が夫の没後髪を下ろし仏門に入る(=女であることをやめ、他の男との間に子をなさない)感覚にも近い。「生物としては生きているけれど、社会的には一度死にました」宣言です。
大企業社長の父に庇護され、持てる才能と趣味嗜好を活かした事業を営み、そんな自分を愛し尊重してくれる、学歴地位あるエリート男と、海の見えるチャペルで友人知人の前で誇らかに挙式して幸福になる。そういう人生を、紀保はここで降りたのです。実態はどうあれ、降りるわという宣言を、鏡の自分に向かって発したのです。
『夏の秘密』は、純愛ドラマとかロマンチックラブストーリーとか、殺人事件をめぐるサスペンスとかいろんな側面でアピールしていても、結局は“お嬢さまの自分探しアドヴェンチャー”なのです。
過去の自分と訣別し、一度死んだ気で新しい人生の冒険に踏み出すヒロインといえば『美しい罠』の類子がいますが、あちらは名もなく貧しく強者に踏みつけにされ、日々の身過ぎ世過ぎに追われる殺伐たる人生から、輝かしく尊崇を受けちやほやされて胸を張り生きる、持てる者・勝者の人生への渇望とハングリーさがあり、その点で観客に支持されました。
今回のヒロイン紀保は、仕事も、事件への巻き込まれも背水の陣ではなく“戻って行ける裕福なバックグラウンド”をキープした上での“いままでとは違うワタシになる自己実現”の冒険。その点で観客のホットな共感や応援を集めにくいかもしれません。
潜入先での、被害女性の恋人で犯人を恨んでいると目される工員・伊織(瀬川亮さん)との衝突や打ち解け合いにしても、少女漫画に数多見られる“おてんばドジっ子ヒロインとツンデレ男のラブコメ”と、構造的にはきわめて相似しています。笑いを取るように作られているかいないかだけの違い。
古き皮袋に新しき酒。使い古され、評価され尽くし、消費もされ尽くした枠組みを使って、どれだけ斬新感のある物語にできるか、挑戦はまだ始まったばかりです。
それよりいまちょっと困っているのは、伊織役を好演中の瀬川亮さんが、話数進んでアップの場面が増えるにつれ、かねて思っていたとは言え、思っていたより深刻に、いや深刻ってこたぁないか、強硬に…いや痛切に…じゃなくて、そう、かなり鮮明にハイキングウォーキング松田に似ているのね。
おかげで、3話の納豆チュルリ戴き場面での山田麻衣子さんが次の瞬間「スーパー・イリュージョン!」って言い出しそうに見えて参りました。TVの中の誰かが、別の誰かに似ていることはあまり気にならない月河ですが、今作は、イメージ払拭が若干難しそうだなあ。