いやぁ、行ってしまいましたねえ、布美枝ちゃん。東京へ。
「来てしまった」と言ったほうがいいのかな、今後の舞台を考えるとね。
『ゲゲゲの女房』、昨日(22日)の駅ホーム旅立ちは、単なる親子愛・家族愛、郷愁なごりのお涙にとどまらない、大勢の人のこまやかな心情の交流が表れた、本当に丁寧で中身の濃い場面だったと思います。NHK朝帯のソコヂカラを見せつけられた15分でした。これに比べると30分、CM引いても24分ある昼帯は最近ラクしすぎだなあ。
駅までの道、右腕ひとつでトランクを軽々と持ってくれた茂(向井理さん)に初めて頼もしさに似たものを感じはじめた布美枝(松下奈緒さん)ですが、昭和36年当時の安来から東京は一日がかりの距離で、嫁いだら滅多なことで里帰りもできない遠さです。列車待ちのホームで泣き別れのカップルを目にして心細さがつのる様子の布美枝に「(布美枝実家の)大塚のほうに(出発前に)泊まれなくてすまんでしたね」と気づかう茂、そこへ駆けつけてくる布美枝実家の面々。
ここからが濃い。
高校生で日中、学校のある妹・いずみ(朝倉えりかさん)は、茂とは初対面です。活発な性格のいずみはそつなく「初めまして」の後「姉がお世話になります」と頭を下げますが、つい腕のない左袖だらりに目が行ってしまい、打ち消すように彼女なりに笑顔をつくります。その様子に“余計なことを言わんでごせよ…”と案じる弟・貴司(星野源さん)と、“大丈夫さ、いずみもそれぐらいの分別はあるし、村井さんは気にしない人だ”と自分にも言い聞かせるように口元を引き締める兄・哲也(大下源一郎さん)。
嫁ぎ先から駆けつけてきた姉・ユキエ(星野真里さん)も含めて、布美枝のきょうだいたちは、それぞれの体温と世間知経験値で茂の片腕に配慮しながらも、「こういう(障害のある)人と連れ添う姉さん(妹)は苦労するかもなあ」と、同情の重心はもっぱら血のつながった布美枝のほうにあります。
そこへ母ミヤコ(古手川祐子さん)と、哲也妻の邦子(桂亜沙美さん)に連れられて、幼い甥っ子の俊文くん(馬渕誉さん)も駆けつけます。日頃布美枝になついていた俊文くん、大好きな叔母ちゃんがどこかわからないけどえらく遠くに行ってしまうらしいのが淋しいのですが、それはさておきとにかく好奇心盛りの子供ですから、もう茂の手のない左袖にまっしぐら、目をまん丸にして、言葉も出ない勢いでまじまじと見つめてしまいます。
このときの布美枝の表情がいい。“あ、甥が失礼な振る舞いを…たしなめなければ”と喉まで出かかるのですが、同時に“あぁ、でも、どうたしなめれば茂さんが傷つかないかしら”と、甥っ子を一瞬コッチにおいといてまでも茂に向かう思いやりのベクトルが、新妻布美枝にすでに芽生えているのがわかるのです。駆けつけてきた家族に思いがけず囲まれて、気持ちはまだ9割がた実家に沿うているのですが、頑是ない子供に怖れ半分に物珍しがられる茂を見ると、「いままでもっと心ない好奇の目を浴びてつらい思いをしてきたに違いない」「私が支え、力になってあげたい」と、夫となった人に寄り添う心情も1割から2割3割と広がってきている。
村井家に泊まった前夜、義手について「無いものを、カタチだけあるように見せても、しょうがないですけん」と一笑に付し、人前に出るときは着けなさいと叱る母(竹下景子さん)に「邪魔だけん」と拒む茂を見た後でもあります。知らない者からは不気味に見える片袖だらりも、“これがこの人のスタイル、考え方なら、受け入れて私が味方になってあげよう”と、最愛の実家家族と対面していても、心はちょっこしずつ卒業して“茂さんの妻”になる、最初の階段に(サイズ十一文の)足を載せかけている。
…と見る間に、茂は微笑んで肩先で空っぽの袖をふわり持ち上げ腕組みの格好にして見せ、硬直しかかっていた場の空気を魔法のように救います。本物の魔法を見たように俊文くん、これまた無邪気に開いたクチがふさがりません。「うまいことするもんですね」といずみが素直にリアクション、「器用なほうですけん」と茂。兄弟たちは茂の即妙さでやっと微笑むことができ、背に乳飲み子を負う邦子さんも「すいません」と俊文を手元に引き戻すタイミングができた。
このとき茂を見やる布美枝もいいですね。見合いの席でストーブ点火してくれたときのことを、一瞬思い出したに違いありません。“掴みどころがないようだけど、明るさも優しさもある人”“幸せになれそう、きっとなれる”と、新しい伴侶へのリスペクト、里心に負けそうになる自分を駆り立てて前を向く健気さが滲み出ていました。
たった5日前の見合いで顔を見知ったばかりの相手、しかも超マイペースで奇矯な言動、地方のコンサバ商家育ちには想像もできない漫画家という職業。不安に押し潰されそうだった布美枝が、“ゲゲゲの女房”となるファーストステップの、そのまた口火の取っ掛かり。
相手が漫画家でなくても、将来斯界の大家になる運命ではなくても、見合いでなくても、スピード婚でなくても、生まれ育ちの違う他人と、共白髪の人生を分け合う決断と実践の過程とは、普遍的にこういうものではないかと思う。
布美枝の表情が映るカットはほんの僅かだし、松下さんの顔面表現力も決して引き出し豊富とは言えないのですが、共演の人たちの表情の移ろいの拾い方、カメラ視点の移動の間合いで、ちゃんとそれなりの心情の波紋が伝わるように撮り、放送している。
木戸銭払って大画面で見るよそゆきの劇場映画でなく、朝の忙しい時間に、僅か15分の、端切れのような時間、食卓でも台所でも待合室ででも、日常にまみれたまま観られるTVドラマだからこその丁寧な仕事に、久しぶりに会った気がします。