今週アタマ(8月30日~)放送分から、『ゲゲゲの女房』の毎話本編終了“つづく”後の、目玉親父の止め絵のバックが紅葉オレンジになりました。
スタート当時の桜、梅雨時のあじさい、夏のひまわりに続いていよいよ秋ヴァージョン。OPで布美枝さん(松下奈緒さん)が自転車で走る風景の順に来ているので、次は石灯籠に白パステルの雪がちらつくのかな?…と思ったら、ドラマ自体が今月25日で完結なので、冬ヴァージョンは存在しようがないのでした。残念。
劇中でしばしば、出来事と出来事の間に“数日後”の字幕やナレーションがあったり、村井家の玄関先に桜が咲いたり紅葉落ち葉が舞ったり、はたまた夏雲もくもくセミが鳴いたりで時間経過や季節移行を表現するのはドラマのお約束ですが、ドラマのネタになるような出来事がなんにもない普通の日々も、村井夫婦や藍子喜子姉妹、イトツ祖父ちゃんイカル祖母ちゃんを眺めていたい。
描写なく飛ばされた数日、数ヶ月がいささか「…もったいない」と思ってしまう。
『つばさ』の玉木家、つばさをめぐる連中も年中ウォッチしていたい興趣尽きない人物たちでしたが、あちらは“何やかやあってこそ”輝くタイプ。『ゲゲゲ』の人たちは、いろいろあって苦労したり、衝突葛藤したり努力したり、解決して喜んだりしている姿も愛おしいけれど、“とりたててなんにもない、何事も起きない”ということの幸せをもしみじみ感じさせてくれるのです。
何かが起きて、あだこだ動いて、どうにかなるのがドラマというものですから、『ゲゲゲ』の人物たちはドラマの人物でありながら、“ドラマしていない”ときでも魅力がある。
故・金丸信さんがかつて「平時の羽田(孜)、乱世の小沢(一郎)、大乱世の梶山(静六)」と評しておられましたが、平でも乱でも大乱でも美味しくいただける『ゲゲゲ』ファミリー。
“ユニホ着て打ったり走ったりしてないときもカッコいい野球選手”のようなものか。なんか、喩えると安くなるな。「オレのこと?」と来ても、新庄くんは却下。
“楽屋でも自宅でもハイテンションおもしろいお笑い芸人”…明石家さんま師匠がリアルにそうらしいし。
“25時間めを過ぎても不眠で突入しまくり尋問しまくるジャック・バウアー”…ただの凶悪犯だし。
……喩えれば喩えるほど砂地獄にはまっていくのであきらめますが、ホンがなく、キャメラが回っていない、もちろんTVで全国のお茶の間に流れることのない時間も、この人たちの日常、日々の会話や哀歓はきっと愉快で、情感豊かで、さりげなく美しいと思う。『ゲゲゲ』の人物たちはそういう人たちでした。
さて、“紅葉の時代”第1週は昭和56年春。漫画賞受賞→『悪魔くん』『鬼太郎』TV化で一気に売れっ子になり、10数年がむしゃらに上り坂を漕ぎ続けてきたしげるさん(向井理さん)が、エアポケットの様に嵌まった停滞の時期。
「今年に入ってから漫画の注文がぱったり途絶えた」と案ずるマネージャーにして実弟の光男(永岡佑さん)をよそに、最初のうちは「この仕事に多少の浮き沈みはつきものだ」とドンと構えていたしげるが、何も予定が書き込まれていない白紙のスケジュール帳を見て「何だ、これは」とショック→TVオカルト番組の無神経なクルーの「何かおトク情報がないと、昔ながらの古くさい妖怪の話だけじゃ受けない」発言に時代と人心の移ろいを痛感→あんなにご執心だった南洋祭祀グッズにも気がつけば超自然のオーラを感じない「ただのガラクタじゃないか」→お父ちゃん描く妖怪が大好きな喜子ちゃん「(修学旅行で行く)京都にはどんな妖怪が?」にも「何もおらんだろう」と白紙の原稿用紙を前にどんより…と、徐々に具体的に“行き詰まってる感”がこたえてくる過程の描写がよかったですね。
「ガラクタ」と呟いた時点であんなにシニカルな虚脱した表情をしたとは俄かに信じられないけれど、実際にしげる先生がそういう顔をしたのではなく、日頃のお父ちゃんの嗜好ぶりとあまりに落差のある唐突な物言いだったので、“布美枝さん目線でああいう顔に見えた”ということなのでしょう。
子供時代の見聞や体験が溢れる発想の源泉だったしげるさんには、小学生たちの無邪気な瞳や好奇心に触れることが、アズキを研ぐように感性の絶好の洗濯になったようです。橋渡しをつとめたのが、元・少女漫画家志望のはるこ(南明奈さん)で、都合よくも小学校教師になっているというのは、まぁドラマですから。
本採用になったばかりの美人先生、生徒たちと一緒に、パンツをたくし上げてすらりとしたおみ足を見せ川釣りや水遊びに興じる場面が無かったのは残念。
…そういうサービスをすると、イタチ(杉浦太陽さん)が嗅ぎつけて現われるかな。川だからカワウソになっちゃうな。
二世代同居開始当時、「しげぇさんにだけは精のつくものを食べさせんと」と連日うなぎを買っては請求書を回して、布美枝さんにありがた迷惑かけていたイカルお義母さん(竹下景子さん)も、今週のうなぎは「布美枝さんの分もあるけんね」と自腹で。一度は“この人、このやりクチ、感じ悪い”と思わせてから、放送で数週、劇中時制で10余年を経過した後に“でも根はいい人”あるいは“この人も成長してマルくなった、ヒロインの気持ち(=大半の観客の気持ち)を汲んで歩み寄った”を伝えて味わいを増す。帯ドラマの多話数、長年月時制を味方につけた脚本上のロングパスが、今週も冴えました。
ところで、村井家お台所の、流しの手前の、布美枝さんじゃないと手が届きそうもないの高い棚の上に常時2~3袋積んであったインスタントラーメン袋が、昭和56年時制になってから見えなくなったのがちょっこし淋しいような気もしますね。安来での独身時代、当時発売されたばかりのインスタント麺の実演販売会をお手伝い、慣れない人混みを前に緊張のあまり大ドジを踏んだイタい経験が布美枝さんにはあります。一人前の専業主婦=プロダクションスタッフを含む一家の“補給大臣”に成長した彼女が、時代とともにヴァージョンアップしたインスタント麺をちゃっちゃと手際良く調理してお夜食に配る場面なんかも見たかったけれど、そういうわかりやすいサービスの代わりに“いつも映る場所に常備してある”ことで“しっかり使いこなしてますよ”を暗示。
代わりに小ぶりなセカンド冷蔵庫の上に、カップ麺が2個ずつ並ぶようになりました。場所と数量からいって、アレはお父ちゃん&アシさんたち用というより、この春にめでたく大学生になった藍子お姉ちゃん(青谷優衣さん)の受験期のお供として参入し、喜子ちゃん(荒井萌さん)にも愛されて、そのまま定番常備化の運びになったのではないかな。お湯を注いで3分のあのお手軽感は、万事手づくりが当たり前の布美枝さんには逆に違和感があり、平和で物資豊富な時代に育った子供たちのほうが親しみやすいはず。
昭和56年なら、エースコックスーパーカップ“1.5倍”シリーズ発売までまだ7~8年あるか。イトツお祖父ちゃんなら大好きそうだけどな。演じているのが風間杜夫さんだけに。