イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

草場の陰から

2010-09-13 22:14:34 | アニメ・コミック・ゲーム

少し日にちが経ってしまいましたが、クレージーキャッツOBの谷啓さん、亡くなられましたね。

NHK教育『美の壷』が“甥っ子”設定で草刈正雄さんにバトンタッチされた頃から、体調問題かな…という気はしていたのです。“趣味人で笑いを解するシニア”がとても似合っておられたのに。78歳という享年を聞くと、いま少し…と思ってしまうのですけれどね。

クレージー全開時代の映画を、BSなどで何度か観ましたが、メンバー7人の中で若いほうから数えて2番め(19322月生まれ。同年9月生まれの故・安田伸さんが最年少)で、小柄でまるまっちい体格、丸顔の風貌もあってか、“ワケ知りで、ちょっとヤなやつ寄りの、でも、いいところでその小知恵が発揮される父っちゃん坊や”キャラが多かったようです。

しかしそれより何より、谷さんと言えばとにかくトロンボーンですよね。月河はNHK朝ドラマ『瞳』のOPで中川英二郎さんを知るまでは、「日本でトロンボーンと言えば谷啓さん」あるのみでした。

昭和44年頃でしょうか、まだ少年マガジンで『巨人の星』をバリバリ連載中の川崎のぼるさんが少年サンデーに連載していた『歌え!ムスタング』という、スポーツ根性もの略してスポ根ならぬ“芸術根性”もの漫画で、谷啓さんが実名登場したことがあったんですよ。

主人公の、少年院育ちの草場剛(たけし)は、星飛雄馬と花形満の合体したみたいな、打ってよし投げてよしの天才野球少年だったのですが、事故か何かで二度とボールもバットも握れない手になってしまい、絶望の果てに“ジャズミュージシャンとして生きる”という道を見つけ出すわけです。詳しいことは忘れましたが、もともと野球以外にそういう素養もある少年(という設定)だったのでしょうな。

んで、そういう逆境の草場が思いついたのが、「谷啓なら日本を代表する音楽家」「弟子入りを目指そう」。深夜押しかけた谷啓さんの自邸では、昭和44年頃当時の谷さんが「ガチョーン!それではまた来週をお楽しみに!」と、ひとり自主リハを繰り広げている。そこへ草場が押しかけてくる。草場、星飛雄馬と『アニマル1(ワン)』の一郎を合体させて、花形の身長にしたようなヴィジュアルと記憶しています。

ここらへん記憶があいまいなのですが、すでに大物ミュージシャン兼売れっ子コメディタレントでもある谷さんは、何度か草場を追っぱらうはずです。『巨人の星』での青田昇さんや、金田正一さん、監督川上哲治さんを描いた、川崎のぼるさんのあのタッチの谷啓さんを想像して下さいな。とにかく草場の押しかけが深夜ばっかりなので、ここで登場する谷さんはいつも重役みたいなガウン姿です。

んで、何度めかに作中の谷啓さんが根負けして、草場を居間に招じ入れ、「キミに見せたいものがある、みたまえ!」となんか見せるのですが………

…その次の回から未読なのです。ちょうど、いつもの、男の子向け漫画雑誌がしこたま読める床屋さんに行かなくなった時期だったのかもしれない。あの後、谷啓さん草場に何を見せたのか。草場はめでたく弟子入りして、ミュージシャンとして再起大成なったのかどうなのか。

“谷啓(たに・けい)”という芸名が、ダニー・ケイからの命名だったというのもずいぶん後になってから知りました。江戸川乱歩、もしくは久石譲方式ですな。

戦後のバリバリ直輸入ジャズと、高度成長期のTV芸能の世界を橋渡ししてくれた功労者のおひとりだったと思います。映画『釣りバカ日誌』のレギュラーに定着した1980年代頃だったか、当時の若手お笑いの番組に大御所としてゲスト出演、「“ガチョーン”は手を前に突き出すんじゃなく、“ガ”で前に出して掴んで、“…チョーン”で手前に引っ張るんだ」と、ガチョーン指南をしてくれていました。アーティストそのもののエキセントリックさと、素でおもしろい人という親しみやすさが入り混じって、クレージーのメンバーの中でも独特な持ち味の人でした。

あれはクレージー映画、無責任映画とは別立ての作品だったと思うのですが、『図々しい奴』ってのもあった。主題歌も谷さんが歌っておられました。

♪アタマは悪いし カネもない だけどいつでも幸せさ 図々しいヤツと 人は言うけど………

……この先が、また記憶がない。なんか谷さんがらみの記憶って、こういうのが多いんですよ。アート、芸能の才能に抜きん出ていた分、逆に、ガキでもジャリでも口ずさむ国民的なブームとまではなりにくかったのかもしれません。かえって、若い主役を引き立て、渋く奇妙な味を出す脇役に回ってからのほうがいい仕事をされたかもしれない。

意外ですが、あれだけ時代の笑いを先導したクレージーキャッツの中で、最初からミュージシャン志向でなく“お笑いをやりたい、喜劇役者になりたい”との強い希望を持って加入したのは谷さんひとりだったとも聞きました。

人間、“いちばんやりたいこと”“いちばん人より秀でていること”でもっぱら評価され、人気を得るとも限らないからおもしろい。それでも78歳と聞けば、もう少し…と思うことに変わりはありません。

『ムスタング』の草場はたぶん団塊世代だったと思うので、現存人物ならいま還暦ぐらいにはなっているかな。本当に、あのとき谷さんに何を見せられたのだろうか。

コメント
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