11日(土)放送で大往生旅立ったイトツ修平じいちゃん(風間杜夫さん@『ゲゲゲの女房』)の戒名は“清陽院明雲修道居士”というんですね。デジタル放送を大画面TVで見ると本当に“文字系”ははっきり読めます。
イトツさんなら「戒名はいらん位牌もいらん」と言いそうだけれど、それでも故郷=境港の先祖代々の墓に入りたいともらしていたそうだし、相応の格式で送らないと「名字帯刀御免の家柄」を誇りにするイカル絹代ばあちゃん(竹下景子さん)が黙ってなさそうですもんね。
戒名中の“修”は本名の修平からでしょうけれど、「人生は流れる雲の如し」との生前の名言(?)と、物欲出世欲のまったくない清清しいお人柄が反映した戒名で彼岸に行けて何より。昔は地元から一歩も出なかったとしげる(向井理さん)が懐古する絹代さんが、修平さん亡き後「ますますパワーアップしたようで」、日光は渋滞でいけん、「ヨーロッパの紅葉はどげなだらか?今度はヨーロッパに連れて行ってごすだわ」と出歩き志向になったのも、着物履き物や宝飾アクセのたぐいにはあまり執着ありげではない彼女のこと。寿命尽きる前にゼイタクがしたいというより、本当は修平さんの自由な生き方をリスペクトしていて、一緒に雲のように、好きな事をして好きなところで、目新しい風物に興じながら、にぎやかにほがらかに生きたかったという潜在願望のあらわれなのかもしれません。
「間違ったことを間違っとる、悪い事を悪いと言って何がいけん、悪い事を悪いと誰も言わんだからこげな世の中になった」と、事あるごとに“イカって”いた絹代さん、職業など人生行路の選択肢がほぼ皆無だった明治の女性、それも誇り高い封建旧家出身ゆえに持てるエネルギーやパワーの使い所が見つからなかった年月は、さぞ長かったことでしょう。彼女の体力気力が残っているうちに、しげるさんたち息子は、手分けしていろいろ連れ出してガス抜き機会を与えてあげませんとね。
それにしても、最期の数日まで、構想60年の活動脚本『第三丸爆発』執筆に余念がなかった修平さん、「芸術を解さん女だけん」と嘆いていた女房絹代さんのクチから「楽しみですねえ、出来上がるの」の言葉が聞けて(よく聞こえなかった振りをしていたけど)、もう完成したも同然の気持ちだったかもしれませんね。
「ここからが、ええとこだぞ」「なんだ、もう終わりか…あぁおもしろかったなあ」と想像の銀幕に向けた言葉はそのままみずからの人生への賛歌。生きるということ、生きてきた道程、そして天寿のその先にまで、ここまでとことんポジティヴを貫ける人は、ドラマの中とは言え羨ましいのひと言。リアル水木しげるさんの奥様布枝さんの原案エッセイ本の中で触れられている以上に、ドラマのしげる父イトツさんは風間杜夫さんという唯一無二の役者さん実体を得て輝いたのではないでしょうか。
風間さんを抜擢し鍛え抜いたつかこうへいさんも、彼岸で「オマエなんかまだまだだよ、色気が予定調和だ」とか毒吐きながら拍手しているかも。
「ヨーロッパならパリがええねー、けど“ナポリを見て死ね”とも言うけん…」と遺影になった修平さんから返事のないのが淋しそうな絹代さん。お父さんも好きだった香水をたっぷりつけて、うんと息子たちに親切してもらって下さい(“孝行”なんて封建な用語じゃなく“親切”と言うのがまた村井家らしくてナイス)。