日本郵政の社長人事が話題である。
社説でも一斉に取上げられ、その殆どが批判的である。
どう考えても、『拍手喝采』という訳にはいかないのは当然である。
民間の会社の社長人事がこれほど政治の世界で取上げられるのは、
実質は民間ではなくて、まだ実質『官』ということなのだろう。
西川社長は、どうも評判はよろしくなかったが、間違いなく『民』ではあった。
今度の斉藤さんは、実力者かも知れぬが、元官の大物である。
お二人がどんな方なのか、よく解っている方はともかく、
何も知らない一般大衆は、『何故、この時期に、官出身の大物を』と思ってしまうのは、至極正直な感想なのだろう。
Yahooの意識調査でも、72%の人が、『納得できない』と言っている。
民主党もこれだけ、官主導からの脱皮を言っている最中に何故こんな経歴の人を選んだのか?
これは民主党人事ではなしに、亀井さんの独断だったのだろうか?
一般論として、
あまり、官や民だと色分けするのはよくないと思っている。
民はすべて所謂民らしい企業や人ばかりではないのである。
官僚にも民以上に民らしい人もいるはずである。
解りやすく、官や民というのはいいとしても、あまりそれにこだわるのもどうかと思う。
もう一つは、『老害?』である。
年寄りがみなダメだとは言わぬが、規模が大きくなれば、必ずその長は役目の終わったような、経験豊かな年寄りが候補に上がるのが一般的である。
むしろ、課題いっぱいの日本郵政などは、『やる気満々の若手実力者』がやればいいと思っている。
今、人気の国交省の前原さんも、大阪の橋下さんも、年寄りにない、『いいもの』を持っている。
日本郵政などという大規模なものは、そんな新鮮な『やる気』よりは、過去の経験や調整力のようなものが必要と思っているのだろうか。
もう、決まってしまったので仕方がないが、
この人事は『今の民主党らしくない』人事であったことは、確かである。
でも、自民党も国会で、こんな話を細かくつつくのだろうか?
従来の野党と同じような追求の仕方は、出来たら止めて欲しい。
新しい野党としての、自民党の追及の仕方であって欲しいと思っている。
世の中は、いろんなことはあるが、間違いなく方向は『新しい時代』へと向かっている。
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