雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

暑さ寒さも彼岸まで

2015-03-13 17:32:14 | 発想$感想

 ★ 『暑さ寒さも彼岸まで』 とはよく言うし、昔の人はうまく言ったもので、ホントにそうなることが普通です。

先日、春休みに遊びに来てた大学生の孫に、そんなことを言ったら、『お彼岸』が分からなかったので

Facebook にそのことをアップしたら、たくさんのコメントをいただきました

 

   

 

  そんな沢山のコメントの中に、

娘からのこんなコメントも交じっていました。 弟二人は今もアメリカで高校生なのです。

 

   

 

しっかり、教えておいて欲しいのですが、私自身『お彼岸とはなんですか?』 とまともに聞かれたら、

実は、何にも分かってはいないのです

今日、たまたま、ネットで お彼岸の解説 を見つけたので、そのままコピペ しておきます。

 

これも今日のニュースですが、

 

  

 

  まさか、私がコピペしても 厳罰に処されることはないでしょう。

  皆さんは、ちゃんとお解かりですか?

 

 

もうすぐ春のお彼岸 今年の彼岸の入りは3月18日 「この世」と「あの世」つながる日

 今年の春の彼岸の入りは3月18日。彼岸明けの24日までの1週間は先祖供養のため、多くの人がお墓参りに訪れます。彼岸の中日にあたる春分は太陽が真東から昇り、真西に沈むことから「この世」と「あの世」が通じると考えられているためです。お彼岸の由来を紹介しましょう。

 

■なぜ、お彼岸にお墓参り?

 「彼岸」は、春分の日、秋分の日をはさんた前後3日間の計7日間のことを言う。今年の春の彼岸は、3月21日が春分の日で、中日(ちゅうにち)になるため、18日が彼岸入り、24日が彼岸明けとなります。

 「彼岸」は、サンスクリット語の「波羅蜜多」(=完全であること、最高であること)という言葉に由来。迷いや煩悩にあふれた現世「此岸(しがん)」に対して、彼岸は迷いや煩悩から脱し、生死を超えた悟りの世界のことをいいます。亡くなった後に向かう極楽浄土こそが「彼岸」なのです。

 では、この時期をなぜ、彼岸というようになったのでしょうか。

 それは「極楽浄土は西にある」という西方浄土の思想が大きく影響しているのです。

 春分の日や秋分の日に太陽は真東から上り、真西に沈みます。夕方の太陽をみていると、極楽浄土のある方向がすぐに分かります。極楽浄土である彼岸(あの世)と現世である「此岸」(この世)が「通じる」と考えられるようになり、寺院では「彼岸会(ひがんえ)」の法要を行うようになったようです。

■お彼岸は日本独特の行事

 お彼岸に先祖を供養する風習は日本独特のもので、聖徳太子が始めたともいわれているそうです。

お彼岸では、夏のお盆のときのように仏壇を飾りつけたり、お坊さんを呼んでお経を読んでもらったりといったことはあまりしません。では、どんな仏事を行うのでしょうか。

 お彼岸の期間の7日間は、中日が先祖に感謝する日で、残りの6日間は、悟りを開くために必要な6つの徳目「六波羅蜜」を修めます。

 (1)布施(ふせ)=物財や安心を分け与える

 (2)持戒(じかい)=規律を守る

 (3)忍辱(にんにく)=辛抱強く取り組む

 (4)精進(しょうじん)=物事に励む

 (5)禅定(せんじょう)=心を穏やかにする

 (6)智慧(ちえ)=知識を深める

です。

 先祖への供養や感謝の気持ちを持ってお参りするだけではなく、こんな大切な行いをする期間なのです。6つの徳目を修めるのは大変なことですが、彼岸をはさんだ1週間は、自分自身の怠惰な生活を反省し、何か徳を積むいい機会といえるでしょう。

 

 私は、ほとんどのことを知りませんでした。

ひょとしたら、アメリカの孫の次男は、結構勉強家ですから、こんなことをアップすると、

正確に覚えて、逆にやり込められるかも知れません

 

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1999年6月1日 退職後の生活が始まった

2015-03-13 07:32:29 | 自分史

    

★昨日は、『トワイライトエクスプレスの最終列車』 だった。

 

1991年6月1日から、私の退職後の生活はスタートした

人間の記憶はおかしいもので、ずっと昔若いころのことの方が正確に覚えているのである。

学生の頃や、入社当時のことは、やっていたことも、その年次も意外に正確に覚えているのに、ごく最近のことは、ホントに頼りないのである

それでも、所謂勤め人を辞めたのは、1999年の5月末であったことは、確かなので1999年から2001年までの3年間の日記をひっくり返して抜粋してみたのである。

 

    

 

 1999年6月1日から、こんなことから始まっている。

私の最後の勤務地札幌からは、家内と一緒にトワイライトエクスプレスで三木に戻ってきた。

 そこから定年後の生活が始まっている。

 もうそれからでも15年の月日が流れているのである

 

 

★これは自分のためのものだから、別に公表する積りはないのだが、整理のためにここには記録しておくことにする

1999年6月以降   http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=911eb11ba89076214d71ee24dca74113&p=1&disp=50

2000年        http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=d48682c809d0a14708457e13115e5af5&p=1&disp=50

2001年        http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=6057a3edac0197e0d38080ccb37c53f5&p=1&disp=50

 

世の中、個人情報などと騒がしいが、私のパソコンの中の情報なども、どなたに見られても全然問題ない

3年間の状況は日も明らかに載っているが、改めて見てみるとこの当時はホントに、大したことはしていない のである

 

1999年の後半半年間など、特筆すべきことなど殆どない

2000年になって、やっと4月にバラを買って、私のバラとのお付き合いが始まっている。 そして10月に最後の孫哲也が生まれている。

2001年の5月末で、顧問期間が終わり、毎月給与が入ってくる生活が終わった。北海道川重建機のご厚意で、結構な額の顧問料を頂いていたので、人生で一番何もせずに給与を頂いていた、いい2年間だと思っている。

この2年半は、まさに一般のかたの定年後の生活そのもので、家内とあちこちに旅行をしたりのんびりと暮らしている。

 

2001年の7月に、娘婿から残ったパソコンを買ってくれと頼まれてパソコンなるものに初めて出会っている

このことがその後の私の人生を変えたと言っていい、69歳のころである

 

このブログを始めたのが、2006年9月だから、私はパソコンに出会ったのは2004年ごろだと思いこんでいたので、パソコンを始めたのは70歳になってからとずっとそう思っていた。 

2001年だとすればブでの5年間一体パソコンで何をしていたのであろうか

そんなことは2002年からの日記帳でも見直してみないと、全然記憶がないのである

札幌で『くも膜下出血』になって2ヶ月近く入院したのだが、手術も何もせずに治ってしまって、この期間中札幌の病院まで検査に2年間ほど通っていた時期でもある。それも顧問期間だったので、出張扱いにしてくれて、いつも北海道でのゴルフ付きの診察だったリした。

三木の整形外科に通っているが、腰やひざが痛くて、ストレッチを始めたのもこのころなのである

 

★この年までの日記帳が、3年連続のもので、2002年からは5年連続に切り替えている。

2002年~2006年

2007年~2011年 の10年間はもう終わってしまって

2012年~2016年までの5年間のいま4年目を書いている。

考えてみると、退職後の生活ももう15年にもなろうとしているのである

 

そう言う実感は正直、あまりない

最近の方が、間違いなく現役時代に近いように思う

1999年からの2年半を見て、 『何もしていないな』 というのが実感だった。

 

ちょっと時間が出来たら2002年からの2006年までブログを始めるまでの5年間を振り返ってみたい

 

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