★ カワサキの二輪事業の中で、田崎雅元さんと言えば =アメリカ というイメージが強いのだが、その田崎さんがこんな メッセージを添えて、何枚かの写真を送ってくれたので、ご紹介したい。
KMCからの帰国、KHI(USA)からの帰国後は私もアジアマーッケトに深く係わりました。
タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピン、インド、 オーストラリア、コロンビアにも行き、新車発表会、ディラーミーティングにも参加、特にオーストラリアのアギバイクは設計の杉山課長と現地で市場調査、超特急で製品化し成功、マレーシアではマハティールの肝いりで新製品を開発、一時はホンダを抜いてシェアーナンバーワンとなった事もおもいだします。
いろいろな工場で記念の植樹をしました。大きくなっているでしょうか。
いくつか写真を送ってみます。 ご参考までに。
1990年代のことだと思う。
私はその10年ちょっと前、『市場開発プロジェクト室』当時、カワサキのCKD事業創成期にアジアのマーケットを担当したのだが、10年経ってタイの市場なども様変わりしていた時代である。
田崎さんと並んで、これもアメリカをやっていた 小川優さんの顔も見えて懐かしい。
これは、ずっと昔、田崎さんがアメリカのシカゴにいたころ、1960年代のカワサキW1を投入していたアメリカ市場開拓初期のころである。
『アメリカのハイウエイをWで走った、初めての日本人』というのが田崎さんの自慢だが、その当時は、確かに二輪車に乗るカワサキの従業員がまだ少なかった頃なので、彼は日本でも通勤にバイクを乗ったりしていた数少ない一人ではあった。
丁度、一緒に カワサキの創世期のレースをやってて、そのあとアメリカの『シカゴ』に行った頃で、流石に田崎さんも若いな。
その後もいろんなところで、自らバイクに乗っているのだが、アジア・マーケットでもこんな写真を送ってくれている。
こちらはマレーシヤかな。
それにしても、田崎さん長く体調を崩していたが、元気になられてよかった。
ご縁があって、1961年以来のお付き合いだから、もう50年以上にもなる。
昔の儘に気安くお付き合いが出来ていて、こんな写真も送ってくれたりする。
私自身は、現役の頃は、カメラも持っていなかったし、『現場は自分の眼で確り見ればいい』と思っていたので、当時の『写真』は一切持っていないのである。
こんな時代になるのなら、写真も撮っておけばよかったと今になって思っている。
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