★ よく人は「何になりたい」などと人生の目標を持つのだが、私自身は子どもの頃から「何になりたい」と思ったことは一度もない。
これは考えてみると不思議だが、そうなのである。
ご縁があって何となくサラリーマンになったのだが、
それが希望だったわけでもなくて、何となくそうなるものだと、
当時は思っていたように思う。
そう言う意味では、私の進路は周囲の人が決めてくれたようなところがある。
たまたまカワサキの二輪の世界にスタートの時期から関わったのだが、
「新しく出来た部門」を別に希望したわけでもなく、
バイクが好きだったわけでもない。
ただ、与えられた仕事は、どんな仕事でも結構面白かった。
特に新しい経験者や先輩がいない環境で、
広告宣伝やレースと言う全く新しい分野を担当したのは、
それを「やってくれ」と頼まれたからである。
その後の、営業第1線の分野も代理店営業、東南アジアのCKDなど、
それに関わった先輩たちが居ない分野を何となく頼まれてやったようなところがある。
まだ係長にもなっていない時期に子会社に出向して
広告宣伝課を担当したので「課長」という職位についたし、
その後、与えられた職位は所長・母店長・統轄部長・常務などを早い時期に与えられ、一時は系列子会社の社長を7つも兼務した。
川崎重工業の職位で言えば「部長」の頃の話である。
川重の職位には全く拘らずに、むしろ事業本部長になることをずっと避けていた。
その理由は事業本部長は技術系の事柄が多くて、
どうも「技術関連」はややこしくて嫌いだったからである。
そんなことで「取締役」などになることも何となく避けていたら、
「技監」なる職位が与えられて私の最後の職位は「技監」なのである。
これは技術関係の博士や、官公庁から天下りしてきた技術屋さんに与えられる、取締役待遇の職位なのだが、
当時の大庭社長が「お前はマーケッテングの分野が得意だから」と
川崎重工業始まって以来初めての事務屋の技監になって自分でも大いに満足していた。
当時はカワサキの国内市場担当だった頃である。
★ 生き方としては、人を疑わずに徹底的に人を信じて、部下を信じて、殆どすべてを任していた。
部下にあまりと言うか、殆ど指示をしたことがない。
好きなようにやらせたら結構上手く行くものである。
「信じる者は儲かる」と思っていた。
★世の中には、性善説と性悪説があるが、
私は「人はみな生まれつき善の性質をもつ」とする馬鹿みたいな「性善説者」なのである。
部下でも、取引先でもみんな信じてしまうのだが、
幸いにして「騙された」ことがない。
性善説型に「新しいことを始める」とあるが
「新しいこと」はいっぱいやって生きてきた。
定年後もネットの世界を楽しんで、
ブログやツイッターFacebook にハマっている。
世の中に91歳の人でネットの世界にいる人は珍しいのかも知れぬが、
Facebook などいっぱいトモダチがいる。
そんなに知っている訳ではないのだが、どなたも「信じている」のである。
疑ったりするよりは、信じて騙される方がいい。
でも、ホントに騙されたりしないのである。