★久しぶりに川重明石工場を訪ねて、その帰り道、玉津の部品発送部門にちょっと顔を出したのである。
カワサキの部品発送システムは、昭和48年(1973)ごろ当時大阪の責任者だった私が発想して、業界に先駆けてスタートしたものだし、玉津の事務所も私の時代に新しく創ったものなので、非常に懐かしいのである。
いまは、この部門の長が望月君、部品と用品の担当を原クンがやっていて、2時間ほど雑談して戻ってきた。
望月くんは、私の息子と同い年の当時は若手も若手だったのだが、ジェットスキーの創世期にJJSBAに出向してくれたりして、援けてくれたメンバーの一人である。そんなこともあって彼の結婚式には出席したりした。
そんな昔話を『カワサキ単車の昔話』というカテゴリーでアップしてみたい。
★昭和48年ごろ大阪に『浜寺モータース』というお店があった。
あの有名な徳野3兄弟の実家である。まだその頃はレースはやってたが、アマ時代で親父さん自慢の3兄弟だったのである。
その浜寺モータースに行ったとき、親父さんが1台の修理車を私に見せて言われた一言、確かにその通りなのである。
『この車の修理をしてるのだが、部品が10種類ほど要る。注文をしたら4,5点は大阪営業所にあった。あとの幾つかは1週間か2週間で入ってきたが、残りの数点はまだ入ってこない。全部揃わないと修理は完成しないのに、最初の部品の請求書だけはもう届いているが、どうもそれを払う気にならない。』
この一言で、私はすぐ動き始めたのである。いまから40年前の話である。
●カワサキのその時代画期的な部品発想送ステムは、この徳野のおやじさんの一言からスタートしているのである。
●当時は各営業所に部品庫があった。部品補給を円滑にするためには各営業所が部品在庫をたくさん持とうとする。するとどういうことになるかといえば、メーカーがトータルで準備した部品の幾つかは、日本のどこかの営業所にはあっても、現実には手に入らないことになってしまうのである。
●『営業所の部品倉庫をなくして、明石に集めてそこから送ればなんとかなる』という発想から、まず大阪の部品倉庫をなくして、明石での部品集中倉庫のシステムをスタートさせたのである。
●賛成して頂いて動いてくれたのが苧野豊明さんであったし、大阪で部品担当をしていた西川君と入社早々の鍛冶クンだったのである。
●ちょうどその頃、佐川急便などの宅急便のシステムが動き出したころで、今のように翌日必ずではなかったが、2,3日で全国どこにでも届く状態になったのである。
●全国の営業所の在庫をなくして、明石に集めたら欠品部品も無くなって、その頃からカワサキの部品供給は非常によくなったのである。
●今はどこでもこんなシステムだが、40年前の当時はこんなことをしてるのはカワサキだけだったのである。
当初のこのようなシステムは、明石工場内からの発送だったのだが、その後何年か経っていまの玉津に部品倉庫を併用したKMJの本社を建てたのである。
FX400 が世に出てカワサキが意気盛んな頃だったと思う。
そこ頃の国内の責任者が私で、機能としては『本社機能』『部品発送機能』それに関西一の『写真撮影スタジオ』の3つを備えたもので、非常に私としても想い出深い場所である。
★帰り際に、今の倉庫の状況を見せて貰った。
ここの部品発送システムは、川重の生産管理のメンバーたちが当初指導してくれて創り上げたものだけに、非常に効率的になっているはずである。
その動画はこちらだが、
世の中変わったな、と思ったのはこのように保管されている部品は、タイや ブラジルから送られたものだそうである。今は明石工場のものもあるのだが、タイやブラジルがメーカー機能を果たしているのである。
そんな懐かしい、昔話がいっぱいのいい時が過ごせたと思っている、
川重の明石工場もなかなかよかったのだが、それ以上に懐かしかった玉津の事務所だったのである。
★ちょっと別の観点から、
いま、玉津の部品センターに送り込まれてくる部品は、明石の工場のものもあるのだが、タイやブラジルからも送られてくる。世の中はそれくらい変わっているのである。
中大型スポーツ二輪専門店や、このような部品発送システムなどなど、今の二輪販売システムは当時のカワサキが先駆けてスタートしたのだが、『もう40年も前のシステム』なのである。
世の中は進歩して、全く変わった環境になっているのに、『いまだに40年前のシステム』をそのまま継承している『二輪業界の販売方法』は、『昔の米屋の販売方法』を今の時代に使っている『時代遅れも甚だしい』と私はずっと思っているのである。
1973年10月に私が大阪でスタートさせた『カワサキ特約店システム』を2016年のいまも継承して頂いているのは、誠に「光栄」ではあるが、まさに『時代遅れ』だと思っている。
玉津で、望月君や原君とは、こんな雑談でもあったのである。
こんな『私の一言』で どこかが動いてくれたらいいのにと思っているのだが、この話の続きは、『シリーズ』でも書きたいほど、『私のアタマの中』にはいっぱいの想いがあるのである。
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