★ 中学校に入学したのは戦時中のことで、
当時は朝鮮京城(今のソウル)にいて城東中学校に入学したが、
その年の夏8月15日に大東亜戦争は終戦になったのである。
夏休み中だったが、天皇陛下の玉音放送を運動場で、直立不動の姿勢で聞いたのを覚えている。
よく解らなかったが『戦争に負けた』と言うことだけは解った。
そしてその年の12月8日に日本に一人1000円と身の回りの物を持って引き揚げてきたのである。
日本に引き揚げてからは明石の上ノ丸の家は焼失してしまっていて、
いまは神戸市になっている田舎の伊川谷の疎開していた家に引き揚げてきた。
そして、翌年4月に神戸一中に入学したのである。
名門・神戸一中は難しかったのだが、なぜか試験も受けずに入学出来た。
伯父がいろいろと手をまわしたのだと思う。
★そんなことで入学した神戸一中なのだが、『試験も受けずに入学出来たのだから、ちゃんと勉強するように』と父に言われて神戸一中時代は私の生涯で一番勉強した時期だと思う。
アタマは悪くはなかったと思うのは、小学校でも卒業時には京城府伊賞(知事賞)を頂いたし、秀才ばかりだという神戸一中でもずっと10番以内にいたのである。
ただ、私の学生時代に勉強したのはこの中学2年間だけだと言っていい。
中学3年の時に男女共学になって県一女と一緒になったのである。
それで特に英語と数学は1年前ぐらいのレベルになって、勉強する必要がなかったと言っていい。
そして高校入学は学区制で明石高校に転入したのだが、ここでの英語・数学のレベルも既に習ったレベルで、特に勉強する必要がなかったのである。
そんな中学時代だったから、私の学歴は『中学卒』と言ってよく、
その後学生時代に勉強したという記憶がないのである。
何をしてたのかと言うと『野球をしてた』と言っていい。
野球はホントに一生懸命で甲子園にも出たし、大学時代は1年留学して野球部監督などもしているのである。
★ そんな神戸一中時代、2年生の時に天皇陛下の『神戸行幸』があった。
ホントかと思われると思うが、戦後のことで神戸には陛下がお泊りになるホテルが無くて、
神戸一中の教室を改造してお泊りになり、我々クラスは選ばれ『天覧授業の栄』に浴したのである。
世の中で『天覧授業』などあったのはこのとき1回限りではなかろうか?
授業参観とは後ろからご覧になるものとばかり思っていたら、
天皇陛下は前から入ってこられて、教壇の横にお立ちになったのである。
『天皇陛下』と言う言葉を言う時は『気をつけの姿勢』になるという時代に育ったので真正面に近いところで陛下を観て本当に緊張してしまった。
そんな想い出のある私の中学時代である。
いまは神戸高校になり色も白くなっているが、建物は昔のままである。
神戸一中時代の私である。
私の人生で得た学力と言えばこの神戸一中時代だけで、
知識はむしろ就職してから、勉強して身に付いたものが殆どで、独学だと言っていい。
別に勉強が嫌いであった訳ではないので、そんな運命だったのだと思っている。