★ 8月15日は「終戦記念日」である。
1945年(昭和20年)のことだから79年も前の話である。
私は「中学1年生」、当時の朝鮮京城城東中学校の校庭で、
直立不動の姿勢で天皇陛下の「玉音放送」聞いた。
よく聞こえなかったが、戦争に負けたということだけは解った。
こんな内容だったのである。
当時の「玉音放送」を生で聞いた人も、今では少なくなっただろう。
★ 漢江の近くにあった城東中学校は文字通りソウルの東にあって、
我が家からは約3km、市電も走っていたのだが、
その市電は大勢の朝鮮人の人に占拠されて、乗ることは出来なかったので、
歩いて戻ってきたのを覚えている。
朝鮮は即刻、北と南に38度線が出来て、
いまの北朝鮮と韓国に分断されたのだが、
韓国の人が望んだのではなく、アメリカとロシアの判断だから
考えてみると不幸なことである。
我が家の向かい側の家のご主人は当時、平常に出張中に終戦になり、
南に戻ってこれなかったのだが、その後日本には戻られたのだろうか?
南鮮はアメリカの管轄だったから終戦後も特に問題はなく、
日本に引き揚げたのだが、家も財産もお金もみんな置いたままだった。
そんなことになった8月15日なのだが、
私自身はその年の12月8日に日本に引き揚げてきたのである。
いまでも毎年「8月15日」には中学校の校庭で聞いた「玉音放送」を想いだす。
でももし、あの時終戦にならなかったらどうなっていたのか?
多分、非常にひどいことになっていたような気がする。
以来、日本は平和である。
そんなことで「私の人生」も平和な世界で生きることが出来た。