雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

肺結核で1年間の入院   自分史

2024-09-22 05:59:34 | 自分史

★ 学生時代から肺浸潤になり入社当時も空洞があったりしたのだが、
 全然休むこともなく野球などもやめなかった。
 入社してからも3年間休まずに勤めていたのだが、
 昭和35年(1960)に診療所の先生が代わって、当時も空洞があったので「野球は止めるように」と言われていた。
 夏頃だったと思うが、ユニホーム姿を先生に見つかってしまい。
 その直後の血液検査で「菌が出てる」ので「入院しなさい」と仰るのである。

 菌が出てたのでは仕方がないなと、この年の10月25日から
 当時三田・大原にあった川重の「大原療養所」に入院したのである。
 いまは無くなってしまったが、この辺りは国立の病院もあり、一大結核療養病院だった。
 当時はそれくらい「結核になる方」は多かったのである。

 入院してから療養所でも「菌の検査」は有ったのだが、
 菌など出ていなかったのである。
 「菌が出ています」は私を入院させる方便だったようだが、
 今になって思うと「天の声」だったような気がする。

 


★ この約1年の入院は私の人生で大きな転機になった。
 1年で空洞も消えてしまったのである。
 当時家内と付き合っていた最中だったが、
 家内はよく見舞に三田まで来てくれたし、
 週に1度ほどの頻度で手紙もくれたのである。

 ここに入院するまではそんな病気のこともあって、
 家内とは付き合ってはいたのだが、「結婚する」と言う決断は下しきれなかったのである。
 1年間の療養生活で完全に全治したこともあり、
 退院後1年で結婚することになるのである。

 この写真が手紙の中に入っていた。
 当時はカメラは持っていなかったので、3年も付き合ったのだが、
 当時の写真は手紙の中にあったこの2枚の写真だけである。

 


★ そして退院してから配属されたのが、
 新しくスタートした単車事業の単車営業課なのである。
 これが私の「二輪との出会い」になったし、
 退職する1998年までの約40年間一貫して「二輪事業」を担当したのである。
いまもFacebookなどで、二輪の愛好者とは親しく関係もあるので、
二輪車」は持っていないし乗りもしないのだが、
「二輪車」私の一生のトモダとなったのである。

 そう言う意味でも私の人生にとって、
 この1年間の療養生活は、その後の人生の核となった1年間なのでる。
 こんな日記を書きだしたきっかけの一つも「長くは生きられない」と思っていたからなのに、
 以来、結構元気に生き続けて今91歳なのある。

 「菌が出ています」が私の人生を決定づけた一言だったと思っている。


  
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