雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

7月16日 日曜日のニュース

2017-07-17 06:53:50 | 発想$感想

 

★ 北海道では、小樽市付近で16日、午前11時10分までの1時間に約80ミリの大雨が降ったとか。

 

     

 

 どうも、昨今の雨の降り方は異常で、これも地球温暖化の影響かなと思う。

 北海道札幌には2年程住んだことがあるのだが、事務所もエアコンを入れるのは、7月末ほんの数日だったのに、最近は北海道いたるところで、35度を超す猛暑なのである。

北海道は梅雨もない、と言われていたのに この雨は梅雨なのかどうか?

 

    

 

 兵庫県三木市は、最近殆ど雨らしい雨も降らないので、夕立でもあればいいのにと思っていたら、いま雨が降っている。

 雨雲を調べたら、こんな状態である。

 もう少し降るのかなと思ったら、陽が差し出した。

 

   

 

   同じころの全国の状況である。

  やはり、東日本中心のようである。

 

 

★こんな日曜日、中国のニュースが、二つ。

服役中にノーベル平和賞を受賞し、肝臓ガンの治療のための仮釈放中に死去した中国の民主活動家・劉暁波氏が15日に火葬され、海に散骨されたという。

劉氏が15日に火葬され、中国東北部の大連沖で散骨されたことを明らかにした。散骨は家族の希望に基づいて行われたと言われているが ホントだろうか?

中国政府は民主化運動のリーダーであった劉氏の墓がシンボル化することを警戒していて、今回の散骨にはこうした事態を防ぎたい中国政府の意向が反映されたのだろう。

各地でデモなどが行われたようである。

 
     

 

   

 

 

 もう一つは、中国海警局所属の公船「海警」が 対馬と沖ノ島周辺で日本の領海に侵入したという

2隻は午後5時すぎまでに領海から出た。

領海にとどまらなかったことから、領海侵犯にはあたらないというが、日本の対応が大人しすぎるのか、尖閣でもそうだが、日常化してしまうと、南の島のように『自分のもの』と言い出しかねない。

 

  

 

 中国と言う国は、今後一体どの方な方向に進むのだろうか?

 今の体制がおかしだけで、民族そのものは優秀なのだと思う。

 世界の華僑などの動向を見ていても、日本人と違って出て行った海外で住みついてしまうのである

 日本にも、いっぱい中国人が来ているし、土地や建物なども買っている。

大都市にはどこにも中華街があるが、世界例外なく『一等地』まちの中心にある

 

人口は多いし、そのうちに世界は中国人が支配してしまうのではと、思ったりする。

タイや、マレ―シヤ、インドネシアなども、実質華僑の力は大きいし、アメリカのカリフォルニアあたりでも、中国人は珍しくなく、むしろ白人などより中国人のほうが目立つようにもなってきている。

それはそれでどうしようもない趨勢みたいなものを感じるが、今の中国政府の発想は、何とかして貰わぬと困ったことになると思う。

10年後、どんな国になっているのだろうか?

 

 

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孫からの電話と思い込み

2017-07-16 15:18:08 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram

 ★私は結構、ネットをやっているように見えるのだが、自分のやってること以外は全く解っていないと言っていい。

外出先から帰ると、Facebookのメッセージにこんなコメントが入っていた。

 

 
門野 真也
 
門野 真也

 おじいちゃん、今から電話しても大丈夫ですか?

ちゃんと『門野真也』とあるのだが、兄貴のほうの『門野力也』からだとばっかり勝手に思い込んでしまったのである

 

門野真也』はアメリカだが、『門野力也』はいま鎌倉にいるし、8月には三木に遊びに来ると連絡もあったので、電話をしてくるというので、これは兄貴のほうだと思い込んでしまったのである。

電話を掛けてくるというから、普通の電話だと思ったら、Facebook の何か電話だという。

掛けてきたのだが、どのように取るのか その取り方が解らないのである

どこかをクリックしてなどと言うが、どうも解らない。

 

門野 真也
もう一度やってみて。
 じゃあラインで電話できる?
ラインはよく解らんけどやってみて。Skypeはダメですか?
スカイプは持ってない今ラインで電話してますなんか来てない?
 
 
こんなやり取りをしている間も、こちらは兄貴の『門野力也』だと思っているので、こちらから『門野力也』の携帯に電話してみたら、『今電話には出ることができません』という。
 
電話したけど繋がらないというと、『なにで掛けてるスマホか?』というので、ガラケーだというと、
 
 
ガラケーじゃダメです!
今からSkypeをダウンロードするから3分後くらいに電話します
おじいちゃんのスカイプIDはなんですか?
 
IDを送ったら、確かに3分後にSkype で電話があって、その画面を見たら、『門野力也』ではなくて、弟の『門野真也』なのである。
 
 
  
 
 
 それでも、まだ解らなくて、
『今力也から電話が掛かってくるので、もう少し後にしてくれるか?』と言ったら
ずっとやり取りしてたの、俺だよ。ちゃんと 門野真也と出てるだろう』と言われてやっと気が付いたのである。
 
 
 私の勝手な『思い込み』も、相当なものである。
 
用件は、ずっと先の話なのだが、今年の12月の中旬ごろから1月初旬にかけて、日本に遊びに来るというのは聞いていたのだが、その時フランス人の友達が『1月の初旬に何日か一緒に、三木に来るが大丈夫か』というのである。
 
フランス人と言っても、お母さんは日本人で、昨年、孫のサッカーを観に行ったときに会って、ちょっと喋ったこともある。
 
 
 
 
 
  間違ってるかも知れないが、彼じゃないかと思うのだが・・・・
 
 
 
  
 
 
 
 
 
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夏の三木山森林公園

2017-07-16 05:29:30 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★昨日は、午後『三木山森林公園』に行ってきました。

最近、Instagram にハマっているのですが、毎日1回の写真をアップすることにしています。

毎日、1枚と言っても、出来る限りちゃんとしたものをアップしようとすると、結構大変です。

  https://www.instagram.com/rfuruya2/?hl=ja

 今は、こんな状態で、ちょっといい写真だと700人以上の方から『いいね』が頂けます。

 

 

 

 

 家から車で10分余り、毎週泳ぎに行ってる三木市民プールのすぐ横ですが、こんな広さです。サッカー場や野球場と比べて頂いたら、その広さはお分かり頂けると思います。

 

  

  

 

 この写真を、Instagram にアップしました。

 そのほかにも、花の写真などいっぱい撮ってきました。

 3連休で、子供連れの家族の方がおられましたが、やはり35度の暑さで人はまばらです。

 

 歩いたところの動画です。

  https://www.youtube.com/watch?v=x-MWYxK6JEQ

 

 

 

 こんないい環境ですが、入園料も駐車料も無料です。

都会の方には、考えられないいい環境です。

 何枚か写真、ご披露します。

 

   

 

  今、アメリカにいる孫たちも、『お気に入り』の公園でした。

  こんな時期も、あったのです。

 

   

 

 

   

 

  展示場の場内の模型を写してきました。

上の写真は、この模型の右上の10%ぐらいの場所で、この公園の一番の売りは、まさに森林の中に『張り巡らされている散歩道』でしょう。

 

   

 

   私は一応は全部歩いたことがあります。

   奥の方は人と出会ったりしないこともあります。

   犬がいる時は、しょっちう来て歩いていた大好きな公園です。

 

  『三木山森林公園  雑感日記』と検索すると、ずらりと私のブログが並ぶのだが、3つだけご紹介しておきます。

 

   http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/d2e969aacaba1795f32d1f7d36a7ceeb

  http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/f875db0e02671b642803d1646f063385

   http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/d0584faa14135e1a1d31fd76fe4c32f7

 

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NMCA 雑感

2017-07-15 05:40:49 | 発想$感想

 

★田崎さんからこんな Googleに寄稿したページを送ってこられた。

 座右の銘『着眼大局 着手小局』 とある。

 田崎さんらしく、英語でも Think Globally,  Act Locally. と言われている。

 

こんなメッセージが、添えられていて、

お読みになったかも知れませんが、平成12年3月1日の雑誌 GOGGLEに、私の思いを寄稿しています。

誰かが、ホンダさんのエライさんが、「カワサキさんにも、こんな人がいるのか」と言っていましたよ! と伝えてきました。多分、NMCA の 宗国(ホンダ)さんあたりだろうと思っています。

 

 文章の中身は、アメリカの子供たちのモトクロス大会のことなどが書かれているのだが、

その中に『日本でも最近は日本二輪車協会 NMCAなどが、草の根的な活動を始めている』と書かれている。

そんなことから、『多分 NMCAの宗国さんあたりだろう』と言うコメントに繋がっているのだと思う。

このGoogle への寄稿が、平成12年3月とあるので、NMCAの会長が宗国さんの時代なのである。

 宗国旨英 さんはその後、10代目(2002-2004)の自動車工業会の会長をなさっているのである。

 

 

     

 

 ★田崎さんのこの寄稿文をお読みになってもお解りのように、このような末端のイベントに至極関心をお持ちだし、珍しくご自身で二輪でも、Jet Sky でもお乗りになるし、息子さんの『はじめくん』もバイクにも乗るし、飛行機も操縦できるはずである。

 

    

 

これを書かれた時が、平成12年(2000)だから、私はその前年が現役最後で、二輪業界の中に『末端ユーザーが主役の組織、NMCA』をホンダの宗国さんや水島さんと協働して、創り上げたのが『現役最後の仕事』だったのである。

 

★8年ほど前、NPO The Good Times を立ち上げる時、こんなブログをアップしている。

   http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/405d7ddeaf1a39049d3bd2cf64b93394

 その中からの抜粋である。

 

 NMCA」 といっても、ほとんどの方がお解かりにならないのではと思う。
日本二輪車協会のことである。

1996年後半、自動車工業会の『通称ニ特』で、後自動車工業会の会長を務めれたホンダの宗国さんや水島さんと、真剣な討議を続けたものである。1997年1月に設立されたのだが、私の二輪関係の最後の仕事であった。
4月末の二輪車協会の会議で最後のご挨拶をしている。


この二輪車協会の設立は、二輪車のユーザーだけでなく、二輪に関心のあるファン層も含めて、タテ型ではない、それこそヨコ展開の横断的な組織活動を夢見ていたのだが、果たして現実にどんな活動になっているのか?




NMCAのホームページにある 『理念』にはこんな風に書かれているのだが

『人々の暮しが、豊かになるにつれ、時間的ゆとりや、心の解放、自然への関心が急速に高まっています。
二輪は本来、便利な生活の道具としてばかりではなく、“人に近く、また地球にやさしい”遊び、文化としての楽しさも兼ね備えています。こんな時代だからこそ、人と社会に、二輪の「夢」と「素晴らしさ」をもっと伝えたい。「夢」と「素晴らしさ」をもっと分かちあいたい。
私たちはそう考え、国内二輪車4メーカーが発起人となって、1997年1月、NMCA日本二輪車協会を設立しました。

すべての二輪ユーザーと二輪ファン、そして販売店、卸、メーカーがひとつとなる団体、それがNMCA日本二輪車協会です。

私たちは、二輪の遊びや使い方の可能性を追求し、二輪車の利用環境整備や、社会的なイメージアップ、そして省資源や環境保護など社会的課題への対応、といった二輪を取り巻くさまざまなテーマに取り組み、広く社会のお役に立ちたいと考えています。』

 

★ 田崎さんの 座右の銘『着眼大局 着手小局』 の通りの基本コンセプトなのだが、どうも日本では末端の人たちがなかなか主役にはなり難い体質なのである。

いつの間にか、NMCAも メーカーの業界団体、二普協の中に吸収されてしまっている。

それでも、NMCAにおられた方が、今も二普協におられて、その方とは今でも繋がっていて、つい先日ご連絡を受けたりした。『Facebook で毎日会っています』などと書かれていたので、このブログも届くだろうと思っている。

 

同じようなコンセプトの『一般社団法人日本二輪車文化協会』が順調に育って欲しいなと思っている昨今なのである。

 

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フレイル ? 雑感

2017-07-14 06:09:42 | 発想$感想

★ 昨日どこかのテレビでやっていたのだが、『フレイル』ってご存じですか?

 あなたもいつかは『フレイル』がやって来ます。

 

人は人生の中で、『健康な時期』と 人生の末期『要介護期』があるのだが、『フレイル』とはその間の期間を言うのかなと思ったりしているが、もう一つはっきりしないので、調べてみた。

 

Google で検索して調べてみると以下のような文章が出てきた。

・・・平均寿命が延伸し,元気な高齢者が増えているといわれているが,健康寿命は男性で約9 年,女性で約13 年平均寿命より短い。 これは、男性は死を前にして平均9 年間要介護状態にあり、女性は13 年間要介護状態にあるということである。・・・・したがって、健康寿命を延伸し、要介護状態でいる期間をいかに減らすかが世界一の長寿国である日本において喫緊の課題であり、同じく高齢化が進む諸外国は日本がどのようにこの問題に対処するかを注視している。』

 

日本人の平均寿命は、男性が80.79歳、女性が87.05歳 だから、健康寿命を逆算すると男性は72歳ぐらいで要介護になっているというのは、いささかびっくりした。

 84歳にもなると、このような話題は関心事だが、私自身は何事も『私流に解釈して、私流にいろいろとする』ことにしていて、『素直にその通りにする』ことは少ないのだが、『納得できること』は採り入れなければならないとは思っている。

 私自身思っているのは、人の人生など基本的にその人が持っている『』がベースで、それ以上のことを望んでも無理だと思うのだが、一般に折角の『自分の運』を見逃してしまっている人も多いとも思っている。

自分で言うのもおかしいが、私は持っている『私の運』を私なりに上手に取り込んでいるとは思っているのである。

 

★この『フレイル』という言葉も、テレビで耳にして、それ以上番組を見たわけではないのだが、このようにネットで『自分流に』調べてみたりするのは、殆どの方はなさらないと思うのだが、私はちょっと気になると、結構熱心に調べてチェックしたりはするのである。

チェックしてみようと思ったのは『筋力』という言葉をがその中にあったからである。

私は別に、そんなに健康に留意しているわけでもなく、体重は80キロ以上もあるのだが、筋力の維持には非常に関心がある

一般にお医者さんは、体重を減らせ減らせと仰るのだが、『何のために体重を減らすのか?』という私が納得できる『説得力』をお持ちでない。私の血液検査の結果は非常にいいので、体重はあるが『メタボ』ではない。

単純に『筋力だけはちゃんとつけなければ』と思っているのは、68歳の頃、整形外科のお医者さんに『筋肉は何歳になっても付く。腰や膝が痛いのはその周辺の筋肉が弱っているからだ』と言われて、これは納得できたのでそれ以降、ストレッチと筋肉をつける運動は続けているのである。

素直に考えて、人間がちゃんと歩けるのも、体重を支えるのも『筋力』で、筋肉が衰えたら『綺麗に歩く』ことも、腰や足を支えれ事もできないと思うからで、別に体重を落とさなくても『それを支え得る筋力』さえあれば大丈夫だと思っている。

従って、『ストレッチ』と『50メートルダッシュ』はするのだが、散歩など熱心でないのは『散歩など』してもそんなに筋力は付かないと思っているからである。

 

Google で検索して調べてみたら、こんなことが書かれていた。

フレイル予防のポイントは「運動」「栄養」「社会参加」の三位一体です

 

  

 
サルコペニア肥満群になってはならない
とまた初めて聞く言葉があったので調べてみたら、

 

サルペコニア肥満とは、筋肉量が著しく減少してしまう肥満です。
この肥満の呼び名の意味は

  • サルコ=筋肉
  • ペニア=減少

という意味があり、「筋肉が減少し代わりに脂肪が着いた肥満」ということらしいのである。

 

フレイル予防』の運動もやってるし、サプリメントなどは一切飲まないが、何でもよく食うから『栄養は大丈夫』だと思うし『社会参加』というほどのことではないが、若い人たちとも付き合えるし、結構ちゃんと『生きている』と思って、我ながら安心もした。

この理屈は私自身も納得できるので、こんなブログにアップして、ご紹介しているのである。

 

    

 

サルコペニア』の疑いで、こんなチェック方法が紹介されていたが、

この『サルぺニアの危険度』は私の場合は『囲めない』まだ大丈夫である。 『ふくらはぎの筋肉がある』のは、歩いているのではなくて『50メートルダッシュ』や『筋トレ』『ストレッチ』のお蔭だと思っている。

体重も今は81キロもあるので、腹回りが大きすぎるのでもう2.3キロは落としたほうがいいとは思っているのだが・・ 

 

 今の『私の目標』は、『要介護期間』をできるだけ短くすることなのだが、まずは自分の足で歩けることが最低の条件だと思っている。 50メートルダッシュが出来てる間は大丈夫だと思うので、まずは『ダッシュ』の目標を極力続けてみたいと思っているのである。

 

最近は1週間に3回、泳いでいるし、1週間に3回ほど50メートルダッシュを8~10本ほどやっている。

どちらも、1時間は掛からないので、いい運動になっていて、『フレイル予防』には、なっていると思う。

何歳まで生きれるかは、『これは運命だ』と思っているのであまり気にはしていないのである。

 

  

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梅雨明けはいつ

2017-07-13 05:17:19 | 発想$感想

★ 今年の梅雨明けはいつなのだろう。

 この1週間ほど連日こんな写真を見せられて、今年ほど『いつ梅雨明けなのか』と思った年はない。

 

   

 

 昨日7月12日、 『今日の天気』を見てみた。

  東北では豪雨もあったようだが、

 九州は、7月12日は、『大丈夫』のようである。

 

  

 

  

  何とか今日は、九州北部も大丈夫なようである。

  明日は? 明後日は? とこんなサイトを見てみると、大体大丈夫なようで、ちょっと『ホッとした

 

    https://weather.yahoo.co.jp/weather/10.html?day=1

 

 

 

 ★ 梅雨明けして、暑いのももう一つだが、災害になるよりは much better である。

 梅雨明けはいつかな?  と調べていたら

 

   

 

  こんなデーターもあった。

  九州北部は、『7月19日ごろ』で、上の各曜日ごとのデーターを見ても19日までは大丈夫のようだから、一安心である。

  近畿地方は、『7月21日ごろ

 

  それにしても、たった1日の降雨であんな災害だから、自然災害は何と言っていいのか。

  『たった1日』雨がどこかに行っていたらよかったのにと思う昨今である。

 

 

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カワサキの二輪事業と私 その62 平成3年(1991)

2017-07-12 06:32:30 | 自分史

★1991年は、東京都庁が新宿に移転し、新東京都庁舎開庁などあったようだが、あまりはっきりとは覚えていない。

会社での業績は、現役時代の最高の年であったと言っていい。

高橋鉄郎本部長とのお約束の国内市場7万台、400億円の売上 がこの年の6月に実現したのである。

円高対策が事業部の課題であった時期なので、国内市場の位置づけが従来とは全く異なっていて、国内市場を事業部の最重要市場に位置付ける対策であったのだが、現実にその通りの状況になったのである。

この年の記録を見るとこのようなことが残っている。

 

    

 

   

2月には事業本部の課長以上の集会で、この『新しいイメージ戦略』について発表しているのだが、それは決して単なる台数目標のための営業活動ではなくて、グループ全体、全員で動いた『総合的な新しい仕組みの構築』であり『新しいカワサキのイメージ創造』という非常に高度な目標だったのである。

イメージとは他人の評価なのだから、単に二輪ファンでだけではなく一般社会に対する働きかけがMUSTなのである。

これは当時のカワサキの基本コンセプトなのだが、このような発想は私自身に沁みついていて、20年経った今も全く同じ発想でいろんなことに対応しているのである。

 

    

 

 数値目標であった台数目標7万台は移動値で6月1日11時55分に達成されて、事務所から歓声が上がったのをよく覚えている。

なぜ時間まで出るのかというと当時の移動値は電算システム管理となっていて、刻々とその時間の実績が出ていたのだが、これらのシステムは若手が創ってくれたのである。

記念にグループ全員と川重の関係者にこんなマグカップを贈ったので、お持ちの方もおられるだろう。

 

    

 

 

このようなカワサキの新しい取り組みは、中大型車のシェアなどもトップになったりしたこともあって、日経ビジネスなどにも注目されて、こんな記事になったりしたのである。

業界からは『一強3弱』などと冗談で言われたりしたのだが、二輪業界の『ソフト分野での対応』は間違いなく業界の先頭を走っていたのである。

 

   

 

 記事には、この年の神田ショールームの写真が載っているが、神田をはじめ 岡山・札幌・福岡・明石などなど全国展開したのだが、20年近くも前の時代には、『綺麗な店舗』は非常に新鮮に人々の眼に映ったのだと思う。

当時日本の二輪車は間違いなく世界一の評価を得ていたので、『世界一の商品』はそれに相応しい場所と環境の中で売られるべきだと思っていたからなのである。

 

   

 

★こんなカワサキの政策は、進歩する世の中の環境の中でも『時代の先端』を走るものだったし、直接二輪に関係のない先生がたからも、興味・関心を持って頂けたのは、当時のカワサキの方策が単に業界だけでなく一般社会に向かっての情報発信であったからだと思っている。

これからの流通業』の著者、後 立命館大学の教授もされた服部吉伸さんは、『ご自身の本に書かれたことを実際にやっている企業がある』とカワサキと繋がって、そんなご縁で兵庫県の『中小企業大学』で私や株)ケイ・スポーツ・システムの南常務などが講師を務めたりすることになったのである。

 

また当時の『好感企業の時代』という著書を出された中央大学の中江教授からも面談の申し入れがあったりして、年が明けて高橋本部長ともどもお会いさせて頂いたりしたのである。

先生は、4輪の国際A級ライセンスも持たれていて、この年開発中であったX-11についても非常に興味を持たれていて、SPA直入もご覧になったりX-11にもT1サーキットでお乗りになったりしたのである。

 

   

 

サーキット専用走行車 X-11の開発がすすめられていて、それをいろんな形で支援したのも当時の『カワ販』なのである。

このマシンの開発担当者は、若き日の山田浩平くんで、最近では『Ninja750H2』を技術本部長として世に出しているのだが、このマシンのエンジンはカワサキ、車体については鈴鹿のウエストの神谷さんが担当して頂いた本格的なものだったのである。

このマシン走行は、SPA直入では短すぎてダメなので、当時4輪の会員制サーキットとして登場したTIサーキットの会員権をカワ販で購入してTIサーキットで走らせていたのである。

ちなみに、TIサーキットの初代社長ホンダの常務をされていた千々岩さんだったので、そんな関係もあって側面からの協力でもあったのである。

 

★二輪のレースの活性化対策にも尽力したが、この時期 JSの国内レース関連についても、二輪以上注力していたのである。

1987年に国内でのJS販売をスタートさせたのだが、その販売台数記録を辿ってみると以下のような数値で、年間1000台以下でも、成り立っていた販売会社がその9倍もの台数になったりすると、利益はどのようになるのか想像してみて欲しい。

   1987年  1117台

   1988年  3096台

   1989年  5145台

   1990年  8757台

   1991年  9270台 (ピーク)

 この間、カワサキJS販売会社も設立し、私はその社長も兼務してはいるのだが、このJSの国内市場をここまで持ってきたのは販社の常務担当だった藤田孝明くんと、JJSBAの会長も兼務しカワサキのJSの世界展開をリードした鶴谷将俊さんの功績であり、今現在もお付き合いのある渡部達也さんも、89年までの創世期は、JS担当だったし、90年ソフト会社株・ケイ・スポーツ・システムを起ちあげてからは、この新ソフト会社の中枢として関わってくれたのである。

この当時の、JSの販売会社も、その当時の販売店JS・ARKもこの1年を経験された方は、極端に言うなら人生が変わるほどの大きな経験をされたであろうと思うのである。

この年の7万台の達成の中には、このJSの台数も入っているのだが、利益的には台数比以上の大きなウエイトがあったのである。

 

★この1991年は、本当に最高の年だったのである。

40年務めたカワサキの二輪事業で、非常に難しい高度な目標に挑戦することが出来ただけでもよかったのだが、それが結果が伴ったものになったことは、ZEPHYR  や JS などの商品に恵まれたこともあるのだが、そこで展開した戦略は、それまでの二輪事業で身に付いた『マーケッテング』をベースにしたもので『私だけが出来る』というそんな『差別化意識』もあってホントに満足しているのである。

この年の2月に、当時のCP事業本部の課長以上の人たちに『7万台への挑戦 新しいカワサキのイメージ創造』というテーマでお話をしたものを、営業業務部の岩崎茂樹くんが冊子に纏めて頂いているのだが、

 

        

   

その冒頭、高橋鐵郎本部長がこのような導入挨拶をして頂いているのである。

こんな紹介をして頂いて、今でも嬉しく思うのである。

       

   

 

 カワサキの二輪事業がこのような『ソフト分野』を含めたグローバルな展開になればいいし、特にCI ブランドイメージについて特に留意してほしいなと思うものである。

 

  

★ その歴史ー「カワサキ二輪事業と私」を最初からすべて纏めて頂いています

https://www.facebook.com/%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-662464933798991/

 https://www.facebook.com/1126074024157186/

 

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昨日は 7月10日

2017-07-11 05:46:22 | 発想$感想

★昨日は、7月10日だった。

1年365日ある中の1日なのだが、7月10日は家内の誕生日なのである。

それも80歳になったので我が家は80歳以上の文字通り『老夫婦家庭』になった。

こんな年になると、特に誕生日がどうということはなくて、ホントに365日の中の1日になってしまうのである。

そんな1日、結構いろいろあった。

振り返ってみるとこんなことなのである。

 

★5月まで建物の修理で長く休んでいた三木市民プールが再開して、6月から毎週月・水・金と泳ぎに行っているのだが、その月曜日なので10時から泳ぎに行った。

お蔭様で二人とも結構元気で、一応はちゃんと泳げるのである。

水泳は家内のほうがこの30年程熱心で、去年足を折るまでは水泳教室の上級で泳いでいたので『一家言』を持っている。

何だかんだと言いながらも、毎回500メートルほど泳いでいる。

私は、ストレッチをしてただ泳ぐだけだが、クロールで25メートルを25秒では泳げるので、様にはなっているはずである。

昼前にプールを出て、ごく最近家内の部屋のエアコンがおかしいので、修理を頼みにEdionにより、そのあと回転ずしを食いに行った。

誕生日だから』というわけでもないのだが・・・たまたまそんなことになったのである。

 

★Edionの修理の人が夕方来てくて見て貰ったが、これは修理するよりは新品を買うほうがbetterだという結論になった。

昨今の電気器具は『8年ほどでダメになる』という話である。このエアコンも2009年に買っているからもうぼつぼつ壊れる時期だという。いつ買ったのか解っていなかったのだが、Edionのほうは記録を持っていて2009年に買ったものだというのである。昨今のコンピューターはなんでも解るようである。

 エアコンを新調しないといけなくなった。

今月は車検もあったし、洗濯機も買ったし、さらにエアコンで大変だなと思うが、テレビで九州の水害の状況が映し出されたのを、見ると、これくらいで『大変だ』などとは言っておれないのである。

ただ雨が短時間に多く降っただけで、あんな状況になってしまうとは、ほんとに想像もできないのである。山が崩れたのが、こんなことになった一番の原因で、それは川幅は大きくない小さな河川で起こっている。

日本は基本的に山国で、あちこちに小さな河川はある地形なので、これは要注意である。

 

             

                       

 

 ★ そんな中で、国会では前川さんが出廷して、午前も午後も与野党の議論がなされていた。

 野党の質問を聞いていると、この人たちは日本の国を『いい国』にしようという気持ちがあるのかなと思った。テレビで写っていることに過剰反応で、与党・政府をやり込めさえすれば、とそれが目的の質問ばかりである。

大体この問題も、ペット関連の獣医師は多いが地方の畜産業の獣医師は少なくて困っているのに、文科省や農水省は50年も放置しているので、その対応を国家戦略特区で、『政治主導で対応しようとしているものである

安倍さんや、国の中枢が『そうしたい』と思っているのは、当たり前の話なのである。なぜそうなるかというと、官僚に任しておくと、『何時まで経っても問題が解決しない』からなのである。

国会議論を見ていて、一番納得できたのは前愛媛県知事の加戸守行さんの証言だった。

 

      

 

  同じ文科省出身でも、こんなに違うのかと思った。

  これは日本の政治構造の問題なのである。

  その象徴のようなのが、前川さんだと言ってもいい。

 

  同じ官僚出身だが、岸さんはこのように言っている。

   http://www.sankei.com/politics/news/170612/plt1706120032-n1.html

 

   

  

 

★ 事の本質の議論をせずに、誰が言ったとか言わなかったのかなどという、低次元の議論などするのなら、時間の無駄みたいなものである。

何か、昨今『安倍内閣の支持率が下がった』と喜んでいる人もいるようだが、そんな人たちは今の民進党にでも国を任す気持でもあるのだろうか?

都議選が、自民党が大敗したというが、単に小池さんが勝ったというだけで、これで自民が大敗というなら、何年か前の大阪維新の会に大阪の自民党が大敗したのはどうだったのか?

同じことが起こっただけなのである。

若し『都民の会』が国政に参加したら、維新も都民の会も、橋下さんも、小池さんも憲法改正には『大賛成』のはずだから、『憲法改正反対』の左翼の人たちは、今回の事態を喜んでいたりするのはおかしいと思うのだが・・・

 

なぜか、マスコミも含めて、目先の事象ばかりに目が行って『大局』が見えていないような気がしてならないのである。

 

7月10日、結構いろいろあった1日であった。

 

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監督業 雑感

2017-07-10 05:51:57 | 発想$感想

★監督というか『グループを引っ張るリーダーの力』とは、どれくらいのものなのだろう。

監督やリーダーの力』は相当なものだと思うが、

そんな名監督でもおかしくなることがあるから、不思議である。

 

 

Jリーグのサンフレッチェ広島と言えば、常勝軍団だと思っていた。

 

     

 

その監督 森保 一さん の評価も安定してよかったのだが、何故か今シーズンは全然勝てないのである。

とうとう最下位近くに低迷して、辞任してしまった。

 

 

     

 

 サッカーの監督は、何故か厳しくて、ちょっと負けが続くと直ぐ『解任』になってしまう。

 サッカーの得点自体が、『運』みたいなところもあって、すべてが監督の手腕だとも思わないのだが、兎に角厳しいのである。

 然し、長年に亘って広島を率いた『監督の手腕』は確かなもので、『名監督』であったと言えるのだろう。

 

 

★ 同じプロ監督だが、こちらは『プロ野球』

昨年『日本一』だった『日ハム』がおかしい。

 

2012年から北海道日本ハムファイターズの監督を務める栗山英樹さん。

日本のプロ野球の監督で、国立大学出身・大学教授の経歴を持つ人物は史上初めてだと言われている。

正直、現役時代はよく知らない。

最初はピッチャーで、後ショートで活躍したそうだが、印象にあるのは日ハムの監督になってからである。

 

   

 

  プロ野球の常識に拘らず、大谷を投手・打者の『二刀流』に育て、チームも優勝に導くなど、名監督だと思っていたのだが、

こちらも今年の成績が、全然なのである。

 

   

  

  下位に低迷していて、今年の優勝はないだろう。

  サッカーなら、監督辞任になっているかも知れない。

 

 ★それにしても『プロの監督』は厳しいなと思う。

 プロ野球が6チーム、セパ合わせて12チーム、サッカーが18チームでその監督と言えば日本で30人しかいないのである。

 社長というリーダーは、数えきれないくらいいるが、プロチームの監督は30人、これは『リーダーの極み』みたいなポジションだから、少々厳しくても仕方がないのかも知れない。

 栗山英樹監督は、『好きな監督の一人』だから辞めないで欲しいと思っている。

 栗山監督でなかったら、『今の大谷』はいなかったかも知れないのである。

 

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昔の記憶 夏・ 甲子園

2017-07-09 05:51:49 | 発想$感想

 ★昔のことは、よく覚えていないことも多いし、明確に覚えていることもある。

昨日は7月8日、兵庫県では夏の甲子園の予選が始まった。

 

   

 

  夏の予選のことぐらいは、もう65年以上も前の話だがよく覚えている。

 

  

 

 今は、兵庫県下、高校の数が増えたのだろう。

 我々の時代は兵庫県で80校ほどだったのである。

 予選は、当時はそれこそ甲子園球場と西宮球場で行われていて、私は明石高校だったものだから予選前の練習はずっと明石球場だったのである。

その明石球場は『明石トーカロ球場』というらしい。

 

昔も、ちょうど今頃から予選は始まったはずである。

夏だから当然暑かったのだと思うが、今のように暑くはなかったのかも知れない。

 

厳しい練習で、真っ暗になってからベースランニングが始まるような、長い練習だったが、その間水は一切飲めなかったのだが、当時は、『熱中症』で倒れるようなのはいなかったように思う。

多分、その記憶は正確で、熱中症で死人が出るようになったのは、極く最近の話のようである。

或は、高齢者社会になったので、『高齢者の熱中症』が増えたのかも知れない。

 

   

 

 ★ネットの中で、調べてみたらこんなやり取りが見つかった。

 

昔の人は熱中症や脱水という症状は起こさなかったのですか?

スポーツをやっている会社の社長が「わしの若い頃は熱中症や脱水なんか「なかった」」と言っています。

ベストアンサーに選ばれた回答

昔は、脱水症状とか水分不足とかいう概念がなかったんです。
それは、ある実験に基づいてそう信じられていたんです。
その実験とは、大正時代に旧帝国陸軍によって行われた実験で、ある一定距離を行軍するのに、1つは水分を補給しながら行軍する部隊、もう1つは水分補給をせずに行軍する部隊という具合に、水分補給の影響を調べるものだったそうです。
そのとき、偶然にも、水分を途中で補給せずに行軍を行った部隊の方が早かったとか効率的だったとか、そういう結果が出てしまいました。
恐ろしいことに、その実験結果はなんと昭和50年代くらいまで信じ込まれていたようです。
それまで事故が起こらなかったのが不思議なくらいですが、昔の人はその陸軍が行った実験結果を信じ込んでいたのは事実のようです。なので少し前までは、スポーツの練習中にもあまり水分をとらないようにするという考え方をする人は結構多かったようです。

 
★ 陸軍の行軍の話は、初めて聞いた。
 
 高校の時は間違いなく、水は飲まして貰えなかったが、大学の時はどうだったか? 
多分、自由だったと思うが、水を欲しがったりした記憶はないのである。
 
それにしても、大学時代のことは、なぜ覚えていないのだろう?
 
 
甲子園というと、夏の大会に出場したチームが甲子園の土を持ち帰る光景がよく放映されるが、あれはいつごろからだろうと調べてみたら、
 
 

持ち帰るのはいつから始まった?

一番有名な説は「打撃の神様」として名高い川上哲治氏が、夏の甲子園第23回大会で持ち帰ったのが始まり、という説です。甲子園の公式ホームページを見ると、「甲子園の土を持ち帰る風習は川上哲治氏から」となっています。しかし、川上氏の長男の「最初に甲子園の土を持って帰ったのは、父ではない」との発言が残っているので、「いつから甲子園の土を持って帰る風習は始まったのか?」の真相は定かではありません。

「甲子園の土=負けたチームが持ち帰るもの」という考えが広まったのは、とある事件がきっかけであると言われています。それは、1958年の大会で沖縄の首里高の選手たちが持ち帰ろうとしたら、検疫に引っかかり海に捨てさせられた、という事件です。当時、沖縄はまだアメリカ統治の下にあり、アメリカの国の一部という扱いになっていました。地元である沖縄に帰る時には入国検査があり、その検疫で引っかかってしまい泣く泣く首里港に捨てられた、という事件です。この事件が大々的に報道されたことにより、「甲子園の土=負けたチームが持ち帰るもの」という認識が私たちの間に広まった、ということです

 
 

 この話も、初めて聞いた。

私たちの時代は、甲子園で予選があったし、兵庫県の野球部のOB戦は毎年新年に甲子園であったので別に特別の球場でもなかったのである。

特に私は、大学のリーグ戦が甲子園で行われていたので、『生涯一番多く野球の試合をしたのは甲子園』という今では考えられない野球人生だったのである・

 

その頃の甲子園での話を、もう一つ。

阪神の名投手小山正明 は兵庫県の高砂高校の出身で私の1年後輩なのである。

同じ東播地区だったので何度か試合をしているが、負けたことはない。高校時代はそんなに『有名選手』でもなかったのである。

 

   

 

 小山正明を『Wikipedia 』では、このように書いている。  

 高砂高校3年秋の1952年に進学を勧める父親を説得し、その父親のつてで大阪タイガースの入団テストを受け、契約金なしの月給5,000円で打撃投手も兼ねたテスト生として入団

 大学のリーグ戦のあと、阪神の2軍の練習が甲子園で行われていて、その中に『練習生・小山正明』はいたのである。

ちなみに、小山は明石の出身なのに、なぜ高砂高校に行ったのだろう?

小山の妹さんは、間違いなく明石高校なのである。

 

  

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読売新聞が読めない ??

2017-07-08 08:00:55 | 発想$感想

★もう何日も、『読売新聞のニュース』が読めなかった。

今朝も未だダメだったのである。

 

  『読売新聞』と検索すると  

https://www.google.co.jp/?gws_rd=ssl#q=%E8%AA%AD%E5%A3%B2%E6%96%B0%E8%81%9E&spf=1499467998548

 

   

 

  こんな画面が現れるのだが、『読売新聞』をクリックすると 『そのページは表示できません』となってしまうのである。

 

 

    

  ところが、今朝一度だけこんな画面が現れた。

 

    

 

 が、今またダメになってしまった。

 皆さんはご覧になれるのですか?

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アメリカで育った 孫たち

2017-07-08 06:14:36 | 発想$感想

 

★昨日だったか、アメリカにいる娘が、こんな写真をFacebook にアップして、Skypeでその経緯を伝えるべく電話してきた。

  https://www.facebook.com/noriko.kadono?fref=ts     3人の孫の末弟門野哲也と ご存じ 田圭佑である。 

   Ivine で練習してるのは、アメリカにでも移籍するのだろうか?

  

 

 孫は、日本で言えばいま高校1年生である。

 キーパーをしてるのだが、背だけは結構一人前である。

 日本と違って、アメリカで育つと、有名人に会っても堂々としていて、決してビビったりはしない。

 どん人でも『You 』と対等なのである。

 本田圭佑 も確かに有名人だが、世界的な有名人が、この辺りには結構現れるのである。

 そんな環境で、練習させてもらっている。

 

   

 

  これは少なくとも、本田圭佑 よりは 格上のベッカム

  何年か前、まだ小学生の頃である。

 

   

 

  この時は、調子よく、お母さん方も、一緒に納まっている。

 

   

 

   こちらは次男と、そのチームメートなのである。

 

 

     

 

  これは、誰だか解らぬが、 アメリカサッカー代表チームのスターであることは間違いない。

  アメリカ代表チームの練習場が近くにあるらしい。

 

孫たちが入っている Strikers FC は 結構名門チームで、その監督は元アメリカ代表だし、アメリカ代表にも何人かの選手を送り込んでいるのである。

 

    

 

  これは、サッカー界なら、ベッカムより、ひょっとしたら格上かも知れない、前アメリカ代表監督クリンスマンさんで、

  彼の息子さんは、Strikers のメンバーだったし、今は次男とは、 UC Berkeley でチームメートなのである。

      3列目の左が クリンスマン で前列左が孫の次男 門野真也 なのである。

  クリンスマンは、すでに20歳以下のアメリカ代表チームのキーパーでもある。

     

 

    

クリンスマンさんも、ドイツ代表監督をしたリ、ワールドカップ優勝のドイツチームのフォワードだった超有名人だが、Irvine の Strikersでは、一人の親ばかに変身して、

この時は息子の試合を観に来ていて、これもサッカーをしていた息子と談笑しているのだが、果たして話は通じたのだろうか?

 

   

 

   

 

 

  こんなこと書いてたら、こちらは娘婿、 アメリカ代表の Bobby Wood選手 と、Facebook にアップしてた。

 アメリは兎に角、有名人が、有名人ぶらない雰囲気があるようだ。

 

昨日は日本代表 本田選手。今日はラーメン食ってたら横にアメリカ代表のBobby Wood選手。
なんか似てるなーと思いながら横を見ると奥さん女子会でお馴染みのBobbyのママYokoさんが!ということは間違いなくBobby!
店の中で迷惑かけたらと思い、挨拶だけで遠慮してたら「一緒に写真を!」と言ってくれて、Bobbyの美人奥様とも一緒に記念撮影。

      

 

 

 

   

 娘一家が、アメリカのIrvine に移住したのは、2004年のことだから、もう13年も前のことである。

3人の孫たちは間違いなく、『アメリカ育ち』と言っていい。

 

   

 

この時はまだ高校生だった長男は、今は慶応の4回生で、いま就活の最中なのである。

多分長男は、日本の会社に入るのだろうが、下の二人は『日本は遊びに来る場所』で生活のベースは『アメリカ』だし、多分日本語よりは英語のほうが、話し易いのではなかろうか?

 

   

   

  

 下の二人は、今はサッカー夢中で、結構いい線行ってるのだが、

 もし日本にいたら、間違いなくこうはなっていなかったぐらい、『デブで ダサかった』のである。

 それが、ここまで来たのは本人達の努力もあるのだろうが、アメリカ社会の『人を育てるシステム』の素晴らしさだと思う。

 

    

  

  こんなチームメートと 非常にいい環境で育っている。

  多分、女子たちもサッカーチームメンバーなのである。

 

    

 

  日本に遊びに来た時に、息子の紹介で ヴィッセル神戸のジュニアチームの練習に参加させてもらった時、石末コーチと。

  この末弟のアメリカでのコーチは、元メキシコ代表キーパーの方なのである。

 

     

 

 アメリカに渡ったころの、次男と末弟。

Strikers に入れてもらうために『デブはダメ』と言われて、2年間減量してやっと入れて貰えた次男だったのだが・・・

アメリカのチームはみんな、年齢別に構成されていて、1チーム14人ぐらいの陣容で、全員がレギュラーなのである。

同じようにアメリカの大学もサッカー部は1学年4・5人の推薦者以外は入部できないシステムで、次男も推薦者の枠に入って入学できたのである。

そこに入った人は育てる』という仕組みが出来上がっていて、ハーバードも、バークレーも、日本で言えば東大のような大学が結構強くて確か昨年の大学No.1は、あのスタンフォード大学だったはずで、末弟は スタンフォードから推薦が来ないかな などと思っているらしいのである。ただ、大学での授業は厳しいらしい。入学よりも卒業のほうがムツカシイようである。

推薦入学で入ったら年間500万円近くもする授業料が免除なのである。

孫たち、そんな仕組みのアメリカで育っことができて『よかったな』と思っている。

  

 

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ESTA  雑感

2017-07-07 06:41:45 | 発想$感想

★今年の初めにパスポートを更新したので、従来のESTAの承認も消滅してしまった。

9月にアメリカに行こうと思っていて、昨日はESTAの再申請をやったのである。

 

ESTAとは

Electronic System for Travel Authorization  こういうことであるらしい。

電子渡航認証システム(略称:ESTA)とは、ビザ免除プログラムで、船舶または航空機でアメリカ合衆国へ入国する入国者に対し、米国出入国カードをアメリカ合衆国への渡航前に、インターネットのウェブサイトで電子申請することを義務付けるものである。日本語を含む複数言語をサポートするウェブサイトが運営されている

とある。

 

ESTAの申請手続きを検索すると こんなページが現れる。 https://esta-center.com/

 

 

 

 この申請をしなければ、アメリカへの渡航は認められないのである

 ● 申請は全てネットからである。

 ● 申請書の中身を満たすためには、パソコンによる申請で、パスポートを持っていること記載内容項目をを完全に埋めること

 ● 連絡するメールアドレスを持っていること、14ドルの代金を支払うカードを所有すること

 ● そしてそれらの内容を記入し、14ドルを払う手続き

 

 を満たして申請すると、ホントに即刻と言ってもいいほど早く認可通知が来るのである

 

 本人がパソコンが出来なくても、メールアドレスを持っていなくても、代理の人が代わって申請して、14ドルの代金をカードで支払えば、すべて問題なく認可されるところがいい。

記入項目も多く大変だが、間違っていれば懇切丁寧な指摘があるし、前に進まないので、システム通りに進んでいけば問題なく承認されるようになっている。

こういうアメリカ式の徹底したやり方が、大きな合理化に繋がるのではと思っている。

それに比べて、日本の社会はどんどん細かくなって、結果的には大きな出費になっているような気がしてならない

役所の書類もそうだし、本人確認の制度なども『やりすぎ』で手間ばかりが掛かるような気がする。

基本的に『自分のことは自分で責任を持つ』という『自己責任』がアメリカのように徹底されてないのが問題なのである。

 

★ESTAの申請にしても、パソコンが使えない人は、自分ではできないのだが、記入内容さえあっていれば他人にやって貰っても大丈夫なのである。現実に家内はパソコンなど出来ないので、私が代わりに必要事項を記入さえすればOKなのである。

日本の社会も、もう少し徹底して『合理化の方向』を採れば役所の職員も減るだろうし、『本人確認』などもその趣旨は解らぬではないが、そのための経費が大きすぎるのである。

アメリカは基本的に『自己責任』が徹底していて、車の通りの少ない山道にはガードレールなどは見られないのだが、日本は道のガードレールは通行車両を守っているよりは、ガードレール業界を守っているようなものである。

先月、車の車検をやったが、昔に比べて圧倒的に走行距離が少ないのに、『なぜ車検か?』と思ってしまうのである。

日本のやり方は、表面は末端の人たちを守っているようで、ホントのところは関係官庁の役人や、その業界などを守っていて、その費用を末端の国民が負担しているのではないだろうか?

もう少し『自己責任』自分のことは自分で責任を持つ方向にしないと、無駄ではないかなと思うのだが・・・

自分の国さえも『アメリカに守って貰えばそれでいい』と思うような『自主性のなさ』が大きな無駄に繋がっているように思うのである。

ESTAの申請をしながら、そんなことを考えていた。

 

 

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カワサキの二輪事業と私 その61 平成2年(1990)

2017-07-06 08:07:46 | 自分史

★平成・1990年、新しい時代の幕開けは、『バブル経済崩壊で株が暴落』から始まった。

カワサキの国内販売も90年代最高の時代に向かって走り始めていた。

この時期の具体的な数値目標は、7万台、400億円の販売台数、売上高だったのだが、そんな具体的な売上高を達成・実現するために、自然に売れる『全体の仕組み構築』が第1の目標だったと言っていい。

そのベースにあったのは『カワサキの新しいイメージの創造』で、そのために初年度であった前年度に『レースに強いカワサキの復活』と末端のユーザーを含んだ社会に対する働きかけとして、ソフト会社『ケイ・スポーツ・システム』を立ち上げ具体的なユーザー組織 KAZEを創ることからスタートしているのである。

 

 この表はその5年間の活動を振り返って纏めたものなので、これはその2枚目、平成2年の実績なのである。

 

 商品としては ZEPHYR が売れたし、利益的には、川重企画室時代にスタートさせたヨーロッパ・国内市場へのJet Ski の販売が軌道に乗り始め、国内市場でも1月にユーザー組織 KAZE Jet Ski を立ち上げ、その販売組織 Jet Ski ARK(Authorised & Riliable shop of Kawasaki) もスタ‐―トして、これは台数もさることながら利益的に大きく貢献したのである。

同じ1月には、業界で初めての受注取引制度(仕切り販売)に踏み切って、二輪業界独特の『委託販売からの脱皮』に取り組んだりしているのである。

この年、岡山を皮切りに広島・宇都宮など新しいショールームを開設したりしているが、すべてが『イメージ戦略』に裏打ちされていて、『時代の先端』を走り『日本で初めて』ということばかりだったのである。

その極め付けが4月の SPA直入のオープン フェスタで、当日の写真の数々を、極く最近 田崎雅元さんから送って頂いたのである。

 

 

 

この日、日本で初めて一般のライダーたちが『サーキット』を自分の車で走ったのである

幕開けのご挨拶を頂いた直入町の岩屋町長は、『有史以来、一番多くの人たちが直入町に集まった』とご挨拶されたのである。

その数4000人以上もいたのではないか、小さなサーキットだがホントに SPA直入がパドックだけでなく、コースまでバイクで埋まったのである

 テープカットのあと最初にこのコ―スを走ってくれたのは 清原・和田・多田・宗和・塚本などのOB/現役ライダーたちだったのだが、当時は既にヤマハに移籍してた金谷秀夫にも声を掛けたら、喜んで来てくれたのである。

 

  

  写真をご覧いただければお分かりのように、当時は『レーサーレプリカ全盛時』なのである。

 

このサーキットを創ろうと思いたったのは、こんなマシンを走らせる場所がなく峠に集まり『峠族』と呼ばれたりしていたユーザーたちに、自分の車で走れる場所を提供してあげたかったのである。

当時の日本では、一般車の走行を許すサーキットは皆無だったのである。

この日ここに集まったライダーたちが、日本で初めて自分の車でサーキットを走ったライダーたちで、これを契機に徐々に日本のサーキットが一般車への開放を始めたのである。

  

 

   

 

 こんな自然豊かな環境の中に、SPA直入は創られている。

 

  

   

 

  これは開設以来20年以上も経った現在の SPA直入  Google マップからの写真である。

   

 

   

 

 

 

 直入町の長湯温泉とベルギーの世界的に有名なサーキット、スパ・フランコルシャンとかけて名付けられた『SPA直入』の名づけ親も、そのコース設計も手掛けたのは今は亡き『岩崎茂樹』なのである。

彼がいなかったら SPA直入はできていなかったし、大袈裟に言えばカワサキのいろんな歴史も変わったものになったかも知れない。高橋鉄郎さんの最初の販売分野の先生は岩崎だったし、田崎さんとは二人でリンカーン工場を担当したり、田崎さんのKMC社長時代も大いに貢献したのである。CKD市場開発時にはイランに現地出向したり、レースにも大いに関与して、カワサキの唯一の鈴鹿8耐優勝時のスポーツ推進部長でもある。私とはSPA直入を作ったり、晩年は国内の物流改革で援けてくれたりしたのである。

Zのファンで世界的に有名なミッキーヘッセが『岩崎は恩人』と言って憚らないのである。

 

  

 これも田崎さんが送ってくれた写真だが、これは92年10月とあるので、オープン後のことだが、たまたま田崎さんと岩崎君と3人、直入町でとある。

私自身、カワサキでの40年間いろんなことをやってきたが、何か一つ選べと言われたら躊躇なく『SPA直入』を選ぶだろう。

国内の二輪関連で、ソフト関連では『国内初』の先頭を走り続けたカワサキだが、一般ユーザーが走れるサーキットの先導役が果たせたことは、本当によかったと思っている。

 これらは、単にカワサキだけでなく、地元大分県直入町のイメージアップにもいろいろと貢献出来て、一時は非常に難しかった直入町とカワサキの関係は、これを契機に見違えるように前進したのである。

 

   

 

 二輪だけでなく、直入町の芹川ダムはジェットスキーのゲレンデとして解放され、バイクだけでなくジェットスキーのファンでもある岩城滉一は度々直入町を訪れて直入町の人たちとも密接に繋がっていたし、90年代カワサキと岩城滉一の関係は7年間もの間、熱烈なカワサキファンとしてお付き合いが続いたのである。

東日本大震災のあった年、青森県でのロケが急遽ダメになったご存じテレビの人気番組『旅サラダ』で、岩城滉一さんか急遽SPA直入をお借りできないかと私に電話があって、この番組の『大分直入の旅』が実現したりしたのである。

 

    

   

 

   

  こんな方たち、みんな岩城滉一さんとも、カワサキとも繋がってるオトモダチなのである。

 

★この1990年代、私は現役最後の国内販売を担当しているのだが、確かに全軍の旗振りはしたのだが、具体的に動いてくれたのはのは、KAZEの会員たちや、販売店ARKやライダーなどなど、当時カワサキに関係のあった人たち全員だったと言っていい。

新しいカワサキのイメージ創造』という基本コンセプトに向かって、みんな夫々自由に動いてくれたのである。

KAZE やARK やZEPHYRなどのネーミングの名付け親は、入社早々の若手だったし、HART(ホンダ)、YESS(ヤマハ)など当時は各社熱心だったユーザークラブ対策も、カワサキだけはソフト会社ケイ・スポーツ・システムを創っての専門的・本格的な対応だったので、完全に他社を圧倒するレベルになったのである。

KAZEの会員カードも、JCBと組んだ独自の会員カードとしたのは、会員を増やすにはこれに限るという『私の仮説』が当って、このカードだったから、最高55000人と他社を圧倒する規模となったのである。

なぜ?と思われる方のために・・年会費を採るシステムは1年後には期限がくる。その時辞める人員を少なくすることが会員を増やすMUST 条件なので、継続率を上げるためにJCBカードとしたので、その継続率は90%を超えたのである

 

そんな周辺対策の結果、肝心の カワサキのイメージはどう変わったのか?

 

 

 

私の担当した1年目の4社のイメージである。

博報堂の調査チームにお願いしての現実の調査結果はこんなイメージだったのである。

個性的なデザインで、玄人受けなどはするのだが、広告のセンスはなく、常にチャレンジしない こんなイメージでは7万台など売れるわけがないのである。

イメージは他人の評価なのだから、社会に対する活動や継続した情報発信がない限り『イメージチェンジ』など出来ないのだが、強力に戦略的に動いたので1年ちょっと経った89年末のカワサキのイメージはこのように変わったのである

 

 

 何よりも、イメージ総量が大きくなっているのは、いろんな活動の成果なので、宣伝のセンスも、常にチャレンジしないも、それなりに動いたし、個性的なデザインデザインセンスは、ZEPHYRの好評が後押ししたのだと思うのである。

 

 

私自身の経営戦略というか、その具体的な対策や方向が独特で差別化されているのは、若い時担当した本格的な広告宣伝から得た『ソフトノウハウ』のお蔭なのである。

日本人は殆どの方が自分の側からものごとを考える所謂『上から目線』で『マーケッテングマインド』は殆ど持ち合わせておられないのである。

また『みんなで頑張る』方式が一般的で『個別最適値を積み上げたら全体最適値になるという錯覚』で対策をされるから、具体的な結果が出ないのだと思っている。

客観的な厳しい現状認識が出来ていない』ことが多いように思うのである。

昨今の世の中はどんどん変化するので、『経営環境もどんどん変化する』のである。

現状がどんな世の中なのか?

末端の消費行動はどうなっているのか?

そんな現状を、シビアに観て、それを解決できる『いい仕組み』を創ることが最も近道なのだが・・・

 国内担当2年目にして、『カワサキのイメージ』が幾らかでも変わったことが、当時の基本コンセプト『新しいカワサキの創造』に何となく自信が持てだした2年目だったのである。

 

 ★ その歴史ー「カワサキ二輪事業と私」を最初からすべて纏めて頂いています

https://www.facebook.com/%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-662464933798991/

 https://www.facebook.com/1126074024157186/

 

 

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台風3号

2017-07-05 06:41:44 | 発想$感想

★台風は9月になってから来るものだと思っていたら、7月の初旬だというのに台風が来るという。

これも『地球温暖化』などの異常気象なのだろうか?

ただ、最近は情報過多というか、情報が丁寧だというのか、刻一刻とどのようになっているのか解るのである。

 

  

 

 これは昨日の朝6時の状況である。

 兵庫県三木市には夕方ごろである。スピードが速いと言ってるからもう少し早まるかもしれない。

いずれにしても台風の進路の左側だから、風は大丈夫である。

 

  

 

  午後2時の情報、近畿は夕方から夜の初め頃だという。

    

  

 

  17時20分、三木の上下に雨雲があるが、ちょうど三木を避けたのかな?

 殆ど強い雨は降らなかった。

 

  

 

  6時には、こんな予想だが、いまちょうど6時、青空で太陽が出ている。

 

   

 

  19時はこんな予報だが、もう台風の影響はないと言ってもいいだろう。

 

★ テレビのニュースでは、災害のひどいところを写すので、被害のあったところは大変である。

三木に移り住んでもう40年以上になるのだが、一度も台風に見舞われたことがないような気がする。

その前は明石にいたのだが、毎年のように台風に見舞われたのである。

この地は、なだらかな丘陵地を開発しているので、水が溜まる心配は皆無で、風だけが警戒なのだが、台風が来ないというのは運がいいのだろうか?

『災害の少ない地域』に住んでいる幸せを感じている昨今である。

 

台風一過、何もなくてよかった。

 

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