雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

門野哲也 と 真也

2024-07-16 06:00:42 | 発想$感想

★ 門野哲也、娘のほうの孫の末弟で、今年大学を卒業した。
 これで孫たち4人はみんな社会人だが、
 哲也もアメリカでサッカーのプロになって、
 それも兄貴のチームに入ったから、今後はチームメートである。
 二人一緒のプレーが見れるかなと思っているのだが、
 哲也はキーパーだから出場の機会があるかどうか?
 それが問題なのである。







 そんな心配もよそに
 早速一緒に出場して、その試合は勝ったようである。

   

  
  11番が兄貴の門野真也で、
  彼はこのチームのキャプテンをしている。


  娘家族は哲也の卒業お祝をしているが、
  兄弟二人が同じチームなのは応援のし甲斐もあるだろう。

  


★ それにしても、二人ともよくプロの世界に入れたなと思っている。
 そんな素質があったのか、本人たちの努力か?
 アメリカの個人を育てるスポーツのシステムのお陰のような気がする。

 子供の頃はこんなかわいいデブで、
 特に哲也は太っていて、
 温泉で『相撲取りになったら』と周りのおじさんに言われてた哲也なのである。
 

 


 それは兎も角、よかったな。
 二人とも頑張れ!


  


  


  

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大相撲が始まった

2024-07-15 07:09:32 | 発想$感想

★ 大相撲名古屋場所が始まった。
 これから2週間、夕方の時間が楽しみである。

 

 
 私の小学校時代は戦時中だから野球もサッカーもなかったから、
 体育の時間は夏は水泳、その他の時期は結構相撲が多かった。
 土俵ではなくて砂場の相撲だから、投げや、外掛け・内掛けなど相手を倒す相撲が多かった。
 結構強くて、対抗試合の選手などにも出たのだが、土俵での相撲でも押し出しなどは頭になくて相手を倒すのに一生懸命だった。
 そんな相撲で小学校時代はご縁があったのだが,それ以降、相撲を取ったことがない。
 相撲は小学校時代で卒業してしまった。


★ そんな私の相撲だが、最近はテレビで大相撲を観ることが多い。
 夕方の時間が潰れるので、1日が短くなっていい。


 


 初日の相撲は大荒れだった。
 横綱は勝ったが、3大関が敗れたし、大の里も負けてしまった。
 果たして、どんな場所になるのだろう?


 
  
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庭掃除

2024-07-14 09:34:52 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

 1年に1度と言っていいと思うが『庭掃除』をする。
 昨日はふと思いたってそんな『庭掃除』をした。

 庭の表ではなくて、庭の裏側などたいして目立たないところの掃除をする。

 先ずはこんなところからスタートした。
 こんな片隅だが、クローバーが生えている。
 クローバーは確り根まで抜かないとちぎったのではむしろ増やしてしまう。

 


 こんなに確りと根まで完全に抜かないといけない。





 こんな三木金物の草抜きの道具が重宝する。





 こんなに綺麗になった。




 そんな草抜きをやったので、溝も掃除をする気になった。


 こんなにごみが溜まっているが、





 こんなにすっきりするまで掃除をした。





 年に1回ぐらいの頻度だが掃除をするとスッキリする。
 昨日はそんな1日だった。
 梅雨時で陽が照っていなかったのがよかった。


  

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庭木の剪定

2024-07-13 06:15:43 | 発想$感想

★ 庭木が伸びると何となく気になる。
 一般のおうちなら当たり前のことなのだが、
 我が家の庭に関してはちょっと伸びても気になるのである。

 これが剪定前だが、特に何も感じられないのが普通だと思うが、
 私はどうも混み過ぎてると思うのである。

 


 こちらの方も特にどうということはないのだが、
 ちょっと気になってどちらも剪定してしまった。
 





 こちらが剪定後である。
 スッキリしたのがお解り頂けるだろうか?

 
  

  こちらの方もこんなになった。
   切りくずなど水で流したのでスッキリした。




  大したことではないのだが、
  こんなのを自己満足と言うのだろう。

  こんな作業はほんの30分も掛からないので、
  庭のあちこちを切り歩いている毎日なのである。


  
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私の子どもの頃のこと

2024-07-12 06:32:37 | 自分史

★ 私は小学校の頃は、朝鮮京城、今のソウルにいた。
 当時は朝鮮は日本だったので日本人はいっぱいいたし、
 朝鮮の人達も日本語が話せる人が多かったので所謂韓国語は覚える必要もなかった、そんな時代である。

 当時は一言で言えば『ぼんぼんの時代』であったと言っていい。
 沢山あった子供の頃の写真も引き揚げの時に全部残してきてしまったので、
 ほんの少ししかないのだがこんな感じなのである。

 父も特に勤めなどはしていなくて
 旅行をしたり家で絵を描いたりしてた優雅な生活だった。
 どうなっていたのだろう?


 


 桜が丘小学校に入ったのだが、
 大東亜戦争が始まってからは、小学校が国民学校と呼ばれるようになった。
 戦争が始まってからも最初は勝ち戦だったので、
 夏・冬の休みには朝鮮から明石まで毎年帰省していた。
 汽車も関釜連絡船も1等車の旅だった。


 終戦の年が中学1年生なので、朝鮮時代が私の子ども時代だと言えるのだろう。

 


 朝鮮からの引き揚げは一等車から一変して貨物列車でひとり1000円だけを持っての引き揚げだったのである。
 それからは戦後の一変した生活が始まっているのだが、
 両親は大変だったのだろうが、子どもたちはまた新しい生活が始まったぐらいにしか思わなかったのだと思う。
 食い物が少なかったのが困ったぐらいで、結構楽しく過ごしたと思っている。


 子供の頃と、神戸一中に転校した中学1年生の頃の私である。

  


★ そんな私の子ども時代なので、
  私の故郷は『朝鮮京城』のような感じがする。
  
  ずっと後、ソウルオリンピックの時に、その開会式の当日漢江でジェットスキーを走らせてほしいと、
 韓国のオリンピック委員会に正式に頼まれて一度だけ韓国ソウルに行っている。
これがその時の写真だが、開会式当日漢江を走ったジェットスキーである。

 


 その時にかって住んでた家があるのかと訪ねてみたらちょっと門の辺りは変わっていたが、家はそのまま残っていたので、
 写真だけは撮ってきた。

 


    桜が丘小学校もそのまま残っていたので
  その時、写真を撮ってきた。
  当時、内地の小学校はみんな木造だったのだが、
  私の通った国民学校はこんな立派な鉄筋コンクリートで、
  冬の暖房はスチームと言う新しい方式の学校だった。
  京城には三越もあったし、いろんな建物や市電や住居など当時の内地よりはみんな進んでいたと思う。
  韓国は、そんな日本の残した立派な遺産の上でスタートしたのでよかったなと思う。





★ 子供時代のこといろいろあるのだが、
  トモダチたちもみんな日本のあちこちに分散してたが、
  一時小学校の同窓会などもあったりした。

  そんな子供時代もホントに遠い昔の想い出として残っている。


  

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新しくできる高齢者の街

2024-07-11 06:01:21 | 発想$感想

★ いま協同学苑の隣に新しく高齢者の街が出来つつある。
 日本でも初めての『高齢者の街』だから何となく関心がある。
 来年の2月末までの工事予定だからあと半年ほどである。

 こんな立地で結構広い。

 


 これが入り口の道だが、




 いまはこんなになっていて、
 中まで入れるので行ってみた。

 



 こんなにまでなっていて、いま何か建造中である。





 多分、街の中心になる建物で、結構大きい。





★ どんな街になるのか解らぬが、
 ひょっとしたら『お世話になる』ことがあるかも知れないので
 関心があるのだ。

 若したった一人になってしまったら、
 こんな『高齢者の街』は便利かも知れないと思っているのである。
 あと半年もすると、具体的なことが解るだろう。
 日本でも初めてのケースで関東・関西に今一つづつ建造中だという。

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熱中症予防の散歩コース

2024-07-10 05:52:14 | 発想$感想

★7月に入って猛暑が続いている。
 世の中熱中症で搬送されている方も増えている。
 そんな中、朝の7000歩の散歩は続けているのだが、
 このところは公園の中の日陰の道を選んで歩いている。

 これが今朝の散歩コースで、その殆どが日影である。
 公園のほんの一部だが、これで延べ5km・7000歩になるから、
 公園の広さがお判りいただけるだろう。
 ちょっとこんなに広い公園は珍しい。

 


 こんな日蔭の山道のコースを選んでスタートした。




 更にこんな山道を歩いて折り返し、




 そのあとは、こんな広いコースだが日蔭のある道を選んで歩いた。





 陸上競技場の周りの道路だが、結構な距離がある。




そのあとメイン競技場を半周したら、7000歩になった。





★ 昨日はこんな山の中を歩いてきた。
  これはこの公園と住宅地を繋いでいる山道で、
  結構な登り下りがある少々きついコースだが、
  ここも往復するとほぼ7000歩になる。

 


  朝のうちの散歩だが、やはり陽の当たる道は少々きつい感じがするので、
  夏の間は、できる限り日蔭の道を選んで歩こうと思っている。

  健康維持のための散歩だから、『熱中症』になったりしたら元も子もない。


  
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メダカを増やす

2024-07-09 05:41:58 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ いま、メダカを増やすのに夢中である。
 『私の今の仕事』と言ってもいいくらい毎日入れ込んでいる。

いま我が家には20匹ほどのメダカがいて、ホテイ草を浮かべておくと
そのうちの5匹ほどが毎日卵を産むのである。
 ホントに毎日多分9月までは毎日卵を産み続ける。
 





 それをこんな小さなバケツに入れておくと。
 最近では4,5日でメダカが孵る
 

  
 

 メダカに孵ったらこんな入れものに移すのだが、
 1週間もすると結構いっぱいになるので、
 毎週土曜日には池に入れることにしている。

 


 小さなメダカが泳いでいるのをお解り頂けるだろうか?




  こちらの写真では、メダカがはっきり写っている。
  小さな池だが、メダカなら何匹でも大丈夫だと思う。





 これは部屋の中で飼っているメダカだが、
 最初のメダカはこれくらいの大きさにはなっている。





★ 1日に何匹のメダカが孵るのかはよくわからないが、
  40匹以上になると思っている。
  全部が生きたら池の中は間違いなく1000匹以上のメダカになる。

  それが来年になると、池でも卵を産みメダカが孵るから、
  どんどん増えると思っている。

  そんなことで今の私の目標は、
  ● 庭につる薔薇を増やすこと
  ● 池でメダカを増やすこと
  の二つなのである。
  大した目標ではないのだが、何か目標があると励みになっていい。

  来年の今頃には、どんなことになっているのだろうか?


  

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Fitbit で時計が表示されない

2024-07-07 14:02:06 | 発想$感想

★ Fitbitは常に腕にセットしていて、時計の役割をしてくれて
 更に毎日の歩数などを表示してくれるので、非常に重宝しているのだが、
 その『時計の表示』が突然消えてしまうことがある。

 いままでにも何回もあったので壊れた訳ではないのだが、
 『その治し方』が解らなくて困っている。

 いまはこんな表示が現れて時計が現われないし、

  


 こんな表示になったりする。





★ 最初の時は、アメリカの孫に電話して、言う通りにしたら治ったし、
 前回はいろいろやってたら突然治り
 そのあとは放っておいたら治っていたりしたのだが、
 今回はどうなるだろう?

 いろんな表示が出るので、壊れている訳ではないのだが、
 肝心の時計の画面にならないのである。

 仕方がないので、ちょっと放っておくことにする。
 いま7日の14時だが、今朝は正常だったのに突然こうなってしまった。

 7月8日はその後いろいろやったがどうしても治らないので諦めてしまった。


★ 明けて7月8日の朝である。
 目を覚まして早速見たがまだダメである。
 寝床の中でいろいろやってたら、突然治った。

 朝、5時39分と表示が出て、その後も大丈夫である。

 
 

 1日ウロウロしていたが、治ってよかった。
 今後も又あるかも知れないが、故障ではないので、
 じっくり対応することにしたい。
 でも、今回もどうすれば治ったのかはよくわかっていない。
 上や、下や、横にいろいろやってたら突然治ったのである。


  
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私の人生記録

2024-07-07 05:52:14 | 私の生き方、考え方&意見

★なぜか私は記録に熱心である。
 20歳から日記を書く習慣が付いたのでその延長かも知れない。
 会社での記録も、1日単位から、月単位、年単位に何十年も持っている。
 ある意味『カワサキの二輪の歴史』がそこにある。
 企画から第一線の営業まで、市場開拓の分野を担当出来たのはよかった。
 そんなことから、今でもFacebooKのトモダチは会社関係の方も勿論いるのだが、
 末端の二輪を愛好するユーザーの方が多いのである。
 それはある意味、私の人生を豊かなものにしてくれた。

★ここに私の人生91年の記録がこんな形で纏められている。
 1933年・昭和8年3月に生まれてから39歳までが第1表。
 明石で生れ直ぐ朝鮮に渡って終戦の中学1年までは今のソウルにいた。

 


 第2表が40歳からの働き盛りの時代である。
 67歳まで会社勤めで、
 1年1年、結構大きな仕事をやっている。
 2000年、68歳からが引退後の生活である。
 父は52歳、伯父は58歳で亡くなったので、
 こんなに長く生きれるとは思わなかった。
 




 思わぬほど、元気に生きれて今年91歳。
 一応、この表は2033年・100歳で終わっているが、
 果たして何歳まで記録が伸びるだろうか?




★ こうして改めて眺めてみると
  いろいろとその時代のことを結構鮮明に覚えている。
  更に、詳しく見ようと思えば、日記を読み直すと正確にその時代が解る。

  一言で言ってオモシロイ人生だった。
  今までも、ブログでいろいろ書いてるが、
  自分のためにも、また違った目で眺めて、感想など纏めてみたいと思っている。


  
  
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日射病・熱中症

2024-07-06 06:30:55 | 発想$感想

★ 7月に入って流石に連日暑い日が続いている。
 『熱中症に注意』とあちこちで言ってるが、
 私の高校時代には『日射病』と言う言葉はあったが、
 『熱中症』とは言わなかったし、そんな言葉は知らなかった。


 


 この時期な夏の予選の時期で、連日練習や試合に明け暮れたが、
 『水を飲むな』という時代だったので、水なしの練習だった。
 よくまあ何もなしに済んだものである。
 
 暑さもこんなに暑くはなかったのかも知れない。


 大学時代も夏は夏合宿の時期だった。
 大学時代も練習中は水など飲まなかったような気がする。
 今では「考えられない」ことだが、それがその時代の常識だったのである。
 



 そんな時代ではあったが、
 『熱中症』で倒れた人など聞かなかったが、
 実際にはあったのかも知れぬが、世の中でそんな話は出なかった。


★暑さは始まったばかりで、あと2か月は暑い日が続く。
 朝の散歩は7時半ごろから1時間半ほどやってるが、
 この時間でも結構暑い。
 倒れたりしたら、何を言われるか解らないので、気を付けないといけないが、
 同じ時間帯に歩いてる人は結構いる。
 何となく体が慣れるのかも知れぬが、注意はしなくてはいけないと思っている。


 
  

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7000歩・1000cal・5km・90分

2024-07-05 06:00:01 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★毎朝のウオーキングの目標は「最低7000歩」としていて、
 7000歩達成すると、消費calは延べ1000cal,歩いた距離は5km大体1時間半の行程になる。

 7000歩の中には、30~50歩のダッシュも何回か入っていて、
 結構ハイレベルだと自分では思っている。
 下りはスロー・ジョッギング、平地と登りはウオーキングとして、
 大体1000歩でちょっと休むという行程である。
 この時期になるとシャツ1枚だが汗いっぱいになる。
 それなのに体重が一向に減らないのは、筋肉の増加かなと思っている。
 家の秤では『76歳の表示』が出る。

 
★ 三木総合防災公園のこんな変化にとんだコースを歩いている。
 サッカー場の横の緩やかな登り。

 


 
 こんな休憩所がところどころにあるので
 ちょっと休んでまた歩く。






 こんななだらかな坂道。





  登りきったところからの眺めである。





  これが本来の周回路
 1周約3km、 日によって歩くルートは変えている。






  こんな広い道もあるし、





  こんな細い土の道もある。





 めちゃ広いし、変化に富んでいるので、毎朝歩いても飽きない。
 写真に人が写っていないが、誰もいない訳ではなくて、
 朝の散歩をされる方は多いのだが、
 広大なので人が目立たないのである。

 こんな公園が若し東京にあれば『人いっぱい』になるだろう。
 そう言う意味では『田舎町』なのかも知れない


  
 
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スマホのナビが使えるようになった

2024-07-04 06:12:11 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram

★ いまの車を買ってからもう2年にもなるのだが、
 車についているナビが使えないのである。
 以前の車では使えてたのだが、ナビの形式が新しくなって、
 複雑で使い方が解らないのでそのまま放置してたのである。

 いろんなところに行くわけでもないので、別に不便とも思わなかったが、
 「スマホのナビが使えないかな」とふと思ったのである。
 先日来、三木のドコモショップに何度か行ったので、
 スマホにナビを入れて貰おうと予約を取って行ってきた。



  


★結果は大成功だった。
 担当の方に一番簡単な方法でのナビを入れて欲しいとお願いしたのである。
 メチャクチャ簡単な方法でのナビを入れて貰えたのである。




 ● マップを開いて、ナビの画面が出たら
 ● マイクのマークを押して
 ● 行く場所を声を出して言えばそれでいい。
 ● 神戸駅とか伊丹空港と声を出して言えばそれでOKなのである。
 ● 自宅は『自宅』のマークを押せばそれでいい。
 ● あとは『スタート』で始まりなのである。

 帰りに『三木市役所』と声を出して言って、三木市役所まで行けたし、
 三木市役所からは『自宅』と押して自宅まで戻ってきた。

 一番簡単な方法と言ったので、担当の方が簡単な方法をセットしてくれたのである。
 こんなことならもう少し早く行っておけばよかった。
 やり方を忘れないように、明日から三木総合防災公園など試してみたいと思っている。

  
  
 
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千両と万両

2024-07-03 05:47:55 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 千両と万両 名前がいい。  
  我が家には千両と万両、何本あるのだろう? 
  万両は種が落ちて自然に、 千両は『株分け』で、
  ひょっとしたら100本はあるのかも知れない。  

 正月の墓参りには、赤と黄色の実のいっぱいの『千両と万両』を持って行くことにしている。

 7月にその花が咲くとは特に気づかなかったが、
 今年は『花が咲き始めた』と気づいたのでその写真を何枚か撮ってきた。 

 これが千両。 
 昨年はなぜか実を付けない株もあったが、
 今年は揃って花を咲かせている。 

  


  これが万両
  ここには植えた記憶はないから種が落ちて自然に自生したのだろう。
  もう何年にもなるので、結構背が高い。
  その周辺にはいっぱい自生している。

   


★ 千両は株分けだから、植えた年から実を付けるのだが、
  万両は種が落ちての自生だからホントに最初は『双葉』なのである。

  ここに3本もあるのがお解り頂けるだろうか?

   


 こんなところにも生えている。
 3年目ぐらいだと思うが、今年は小さいが『実をつける』かも知れない。
 




★千両も万両も最初は多分1,2本を買ってきたのだが、
 50年も経つとこんなにいっぱいになるのである。

  


  万両の実は垂れ下がり、千両は上向きに つくので、  
  万両の実は重く千両の実は軽い、との発想からこの名になった  とか。 
  兎に角、12月には綺麗な実をつけるので、
  その頃またご紹介することにしよう。
  


  
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三木のまち    雑感

2024-07-02 06:06:31 | 発想$感想

★ 三木市に移り住んだのが1973年からだから、もう50年にもなる。
 人生で一番長く住んだ町になった。

 私が三木のまちに初めて来たのは大学2回生の頃でまだ三木市にはなっていなかったと思う。
 大学の野球部の球友のお父さんが亡くなってそのお葬式に来たのだが、
 棺をみんなで担いで山の坂道を登って行ったのにはびっくりした。
 今の三木市からは想像もできない田舎町だったのである。

 そんな三木市の今年は『市政70周年』になるようである。
 こんな市の広報誌が送られてきた。

 


★ 私が三木市に移り住んだのは前述したように50年も前の1973年前のことなのだが、
 当時は日本国中が住宅開拓期で、一般の人々が自分の家を持つのがブームになっていた時期なのである。
 そんなことで、私も当時大和ハウスが大規模開拓をして出来た
 『三木市緑が丘町』に自宅を持つことになったのである。
 70坪の土地に家を建てて1000万円は掛からなかった時代なのである。

 土地を買って4年後に家を建てたのだが、
 土地を買った時の給料が15万円ほどだったが、家を建てた4年後には30万円になっていたという、今では考えられない世の中だったのである。


 これが今の三木市で、北の方の吉川町も併合したので、
 広大になっているが、かっての『三木町』はホントに小さな城下町だったのである。
  
 
 

 いまは旧い三木の街に匹敵するような大きな新興住宅地が出来て、
 大きな公園などもいっぱいできて、そのイメージは一変しているのである。

 ずっと以前からあったのは今は緑が丘町に隣接する『名門・廣野ゴルフ倶楽』だけだと言っていい。



 

★私が三木市に移住してきた50年前はもう三木市だったのだが、
 今年はその『市政70周年』だという。
 『住めば都』とはよく言うが、緑もいっぱいだし空気もいいし、
 ホントに三木に住めて良かったなと思っている。

 私は生まれ故郷も本籍も明石で、川崎重工業の明石工場に勤めていたのだが、
 その現役時代も三木に住んで車で明石まで通っていた。
 いま思っても、住むには明石よりも三木がよかったかなと思っている。
 
 ただ、お墓は明石にあるので、最後は明石に戻って眠ることになるのだが、
 あと何年だろう? ホントにお世話になった三木市なのである。
 
 
  
 
 
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