おかずブログ

ここでは主に撮影画像を発表します。
近場で撮影した植物などがメインとなります。

大山崎歴史散歩

2008年08月06日 | 思い出
大山崎歴史散歩
八月五日、仕事が切れて時間が空いてしまったので、急遽、思い立って山崎まで出向きました。
二時過ぎに家を出て五時過ぎには帰り着いていたので、ほんの短い時間の散歩です。とはいえ、
一番陽射しの厳しい時間帯であり、汗をぬぐいながら歩いた数時間でした。


天王山

天王山と淀川に挟まれた隘路の地である山崎は京の都から西国に行き来するための交通の
要衝でした。紀貫之の「土佐日記」にもありますが、山崎には港があって、ここまで舟で行き来
していました。これより上流には鳥羽の港まで船が入っていて、西国からの船便の荷は
鳥羽に陸揚げされていました。
天王山は270メートルほどの標高です。高い山ではありません。
明智軍と羽柴軍の戦いで有名ですが、戦いの場所は実際には長岡の勝竜寺の
南側付近が主戦場だったということです。


離宮八幡宮


嵯峨天皇の「河陽離宮」でしたが、山陽道の山崎駅も併設されていたようです。
ここは製油所、油座の発祥の地としても有名です。油の原料は胡麻でした。
幕末の1864年、蛤御門の変で敗れた長州方がここに逃げ込んだため会津藩に
攻められて焼失してしまいました。現在の社殿は昭和になってからのものです。










宝積寺 宝寺

正しくは「宝積寺=ほうしゃくじ」といいますが、「宝寺」とも呼ばれています。行基創建の「山崎院」を継いだもののようです。
1604年に建立された三重の塔は国の重文。朱塗りだったようですが、今は色が剥落しています。
鐘楼は岩清水八幡宮の待宵小侍従の歌にちなんでいます。
天王山にはここの境内を過ぎて登山道が続いています。















山崎聖天「観音寺」


899年創建と伝えられる古刹です。本尊は十一面千手観音なのですが聖天堂に安置されている
「歓喜天」の方が信仰されていて、ゆえに「山崎聖天」の通り名のほうが有名です。





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