つづき
正直、足がパンパン
風は坂道並みに足にきます
関宿は毎回つらいです
『二三夜塔』と『一九夜塔』を見かける
なんで三日月と十五夜じゃないんだろうか?
『実相寺』
門がほんと素晴らしい
関宿城の本丸の一部を移築した客殿があるのだが、見逃す
(家紋は高城氏と同じ月星)
この辺りは城下町
寺も多い
突き当りがお堀になっていた
搦手門(からめてもん)の入り口
大手門は川の方
街道は右折クランク
『鈴木貫太郎記念館』に寄る
元総理大臣で226事件の被害者
ここで青年将校に襲われ銃弾をあびるが
奇跡的に生き帰る
奥さんのその時の証言がDVDに保存されている
休んだので足は大分回復した
『香取神社』にも寄る
ここも個性的で、本殿には階段ではなく坂で登る
となりに『八坂神社』もある
松戸神社もそうだが鳥居の前に狛犬が配置されている
天王祭りが有名
再び本線に戻る
昔は利根川に橋はなく渡し船
堺橋の左の方へ行く
案内板がある
この辺は『大工町』
この道は『久世街道』と呼ばれている
関宿城藩主の久世氏にちなむ
明治には『陸羽関街道』とも表記
利根川堤防に到着
昔と地形は違う
ここまで東葛飾郡
向いは猿嶋郡、隣は西葛飾郡と
武蔵国北葛飾郡と入り組んでいる
家康が江戸に入る以前は千葉と茨城はここで陸つなぎだったとのこと
それを銚子へ利根川を付け替え、北からの攻めの防波堤にした
結果的には水運の拠点にもなった
重要な地
お城(博物館)が見えるが本来の位置とは違う
お城の『鬼門除け稲荷』もあるが今の位置ではない
千葉県と茨城県の県境でとりあえずゴール
渡し船は土手の下の方
石碑は見当たらない
とりあえず博物館に行く
博物館の位置は昔は川の向こう
江戸川ではなく『逆川』と記されている
本丸はもう少し下流にあった
川の自然防波堤に囲まれ丈夫そうだが
水攻めに弱そう
下流へ
この辺が元あった城の位置
明治維新後に解体され農地に
こんなに変わってしまうのかと・・・
この『棒だし』の辺りから江戸川の表記
向いは権現堂川
棒だしとは、川の水量を調整するもの
その道のカーブに『関所』があった
関宿の関のゆえんか
川向は武蔵国
この道が『鈴木貫太郎記念館』の前の道につながる
(こっちの方で栗橋以外に関所があるのは意外)
古代道もここを通り下野国府に行っていそう??
霞が関の関も重要な地につけるとのこと
流山市の茂呂神社を通った説もうなずけるかも
日本橋からの旧日光街道
北千住と王子のルートがあり幸手で合流し栗橋関所を通る
栗橋関所の次に下総国古河に入る
一方、東往還道は関宿で利根川を渡り結城へ
下野国の多功宿を通り雀宮宿の手前で合流し日光へ
古河市に宿場の数が多いのが気になる
どの道も下総国を通っていたことに意味があるのか
日光東照宮ができる以前は奥州道で
幸手・栗橋・古河・小山のルートは鎌倉街道中ノ道
おわり
正直、足がパンパン
風は坂道並みに足にきます
関宿は毎回つらいです
『二三夜塔』と『一九夜塔』を見かける
なんで三日月と十五夜じゃないんだろうか?
『実相寺』
門がほんと素晴らしい
関宿城の本丸の一部を移築した客殿があるのだが、見逃す
(家紋は高城氏と同じ月星)
この辺りは城下町
寺も多い
突き当りがお堀になっていた
搦手門(からめてもん)の入り口
大手門は川の方
街道は右折クランク
『鈴木貫太郎記念館』に寄る
元総理大臣で226事件の被害者
ここで青年将校に襲われ銃弾をあびるが
奇跡的に生き帰る
奥さんのその時の証言がDVDに保存されている
休んだので足は大分回復した
『香取神社』にも寄る
ここも個性的で、本殿には階段ではなく坂で登る
となりに『八坂神社』もある
松戸神社もそうだが鳥居の前に狛犬が配置されている
天王祭りが有名
再び本線に戻る
昔は利根川に橋はなく渡し船
堺橋の左の方へ行く
案内板がある
この辺は『大工町』
この道は『久世街道』と呼ばれている
関宿城藩主の久世氏にちなむ
明治には『陸羽関街道』とも表記
利根川堤防に到着
昔と地形は違う
ここまで東葛飾郡
向いは猿嶋郡、隣は西葛飾郡と
武蔵国北葛飾郡と入り組んでいる
家康が江戸に入る以前は千葉と茨城はここで陸つなぎだったとのこと
それを銚子へ利根川を付け替え、北からの攻めの防波堤にした
結果的には水運の拠点にもなった
重要な地
お城(博物館)が見えるが本来の位置とは違う
お城の『鬼門除け稲荷』もあるが今の位置ではない
千葉県と茨城県の県境でとりあえずゴール
渡し船は土手の下の方
石碑は見当たらない
とりあえず博物館に行く
博物館の位置は昔は川の向こう
江戸川ではなく『逆川』と記されている
本丸はもう少し下流にあった
川の自然防波堤に囲まれ丈夫そうだが
水攻めに弱そう
下流へ
この辺が元あった城の位置
明治維新後に解体され農地に
こんなに変わってしまうのかと・・・
この『棒だし』の辺りから江戸川の表記
向いは権現堂川
棒だしとは、川の水量を調整するもの
その道のカーブに『関所』があった
関宿の関のゆえんか
川向は武蔵国
この道が『鈴木貫太郎記念館』の前の道につながる
(こっちの方で栗橋以外に関所があるのは意外)
古代道もここを通り下野国府に行っていそう??
霞が関の関も重要な地につけるとのこと
流山市の茂呂神社を通った説もうなずけるかも
日本橋からの旧日光街道
北千住と王子のルートがあり幸手で合流し栗橋関所を通る
栗橋関所の次に下総国古河に入る
一方、東往還道は関宿で利根川を渡り結城へ
下野国の多功宿を通り雀宮宿の手前で合流し日光へ
古河市に宿場の数が多いのが気になる
どの道も下総国を通っていたことに意味があるのか
日光東照宮ができる以前は奥州道で
幸手・栗橋・古河・小山のルートは鎌倉街道中ノ道
おわり