つづき
心残りはあるけど引き返してよかった
帰りは「向い風」に泣かされました
疲労+逆風
思うように自転車が進みませんでした
帰りも当然迂回コース
迂回しなければまず通らないであろう集落
焼き鳥屋さんやから揚げ屋さんは見つからず・・・
新しい出逢いは特になし
再び土手にもどる
緑一面化と思いきや、いろんな色の風景
北海道の美瑛みたい?な
黄色いのはもう新米なのか?麦なのかは不明
松戸では見かけない色合い
帰りは茨城県から堺橋の方を走る
何も無いと思って走っていたのですが
「古水海城跡」があったようです
古だから少し移転した所にも城を構える
川のそばの城というと豊臣秀吉の水攻めを思いうかべる
川の水を堰き止めて一気に流されると城ごと流されてしまう一計
忍城で石田三成が真似をしてやったが忍城は最後まで残った
三成堤が残っている
川のそばに城を構えるメリットは水運をおさえられる事
戦国時代は下克上と言われるように秩序はない
海賊ならぬ河族だったのかも
敗者の歴史は残らぬ
圏央道は橋を増設している
片側2車線になりそう
しかし圏央道はあまり話題にはならない
関宿城が見えてきた
122kが利根川と江戸川の分岐地点
徳川家康が利根川を銚子の方に流すようにした経緯
そのお陰で江戸川下流の方に人が住めるようになった
銚子で捕れた魚を利根川と江戸川を使い江戸にいち早く運べるようにもなった
関宿は水運の拠点でもあった
軍事的にも重要な拠点
城主は大名の久世氏で江戸城での内堀内に屋敷がある
御老中
茨城県側には「境河岸」がある
東北の物資をここで船に乗せ江戸に運ぶ
鉄道が栄える前は水運の時代
駅前が一等地だったように
河岸の周りが一等地だったと思える
堺の渡し
今でも「渡し船」はやっているようです
江戸時代には利根川に橋は架かっていませんでした
関宿と堺は「日光東環道」だったので
歴代の将軍様が日光に詣でをする時は通る道でもありました
かなり重要度の高いルートだったと思えます
旧市街道を少し走る
橋がある方の通りが今の本線
渡しから続く道なりが旧道
「道の駅」
木を使ったインパクトのあるデザインの建物が
国立競技場をデザインした人と同じデザイナーの作
ここでで休憩
残り36k
市じゃなく町なんだけど
力を入れている感じが伝わります
魅力度最下位脱出はこういった努力にあると思えます
帰りは江戸川沿いの町中を走る
気になった寺に寄る
「清流山雲国寺」1465年創建
江戸時代以前なのがいい
移転してこの地にあるんだけど
境内に『貝塚の跡』があるのが凄い
縄文時代から存在しているのがロマン
なんとか江戸川土手にもどる
さー、気合を入れてがんばろーー
なんか進み具合が悪い
風は強くはないけど向かい風
平均速度は13~15kくらいなんだけど
10k出るか出ないかくらいの速度
風に乗ると20k位は出るのだが
帰りは疲労も重なり力が出ない
土手は平坦なんだけど緩やかな登りレベル
強風だと進まないけど緩やかなのは地味に堪える
ウォーキングが5k位だけど、ジョギングは10k、マラソンは15k
選手なら20k以上で走っている速度
10kmの道は時速60kで走れば10分で走れる
30kだと20分、15kだと40分、7kだと80分もかかる計算
自分は平均10k1時間なペース
(エンジンとは違い10kも人力は同じ速度では走れない)
日が暮れてきた
今の時期は7時くらいまで明るい
鉄橋からはのこり20k、2時間で帰れるはずだが
2時間半かかった
流山市内に入ってから風が弱まったので助かった
関宿方面はあまりいい思い出は無い
帰りの辛い記憶が多い
ある意味修行モード
上級者向けのコースに思う
北方面は冬、南方面は夏の方が帰りが吉
今回は午後に風が強くなったのが誤算だった
事故もなく怪我も無くて何より
110k、無事に完走しました
心残りはあるけど引き返してよかった
帰りは「向い風」に泣かされました
疲労+逆風
思うように自転車が進みませんでした
帰りも当然迂回コース
迂回しなければまず通らないであろう集落
焼き鳥屋さんやから揚げ屋さんは見つからず・・・
新しい出逢いは特になし
再び土手にもどる
緑一面化と思いきや、いろんな色の風景
北海道の美瑛みたい?な
黄色いのはもう新米なのか?麦なのかは不明
松戸では見かけない色合い
帰りは茨城県から堺橋の方を走る
何も無いと思って走っていたのですが
「古水海城跡」があったようです
古だから少し移転した所にも城を構える
川のそばの城というと豊臣秀吉の水攻めを思いうかべる
川の水を堰き止めて一気に流されると城ごと流されてしまう一計
忍城で石田三成が真似をしてやったが忍城は最後まで残った
三成堤が残っている
川のそばに城を構えるメリットは水運をおさえられる事
戦国時代は下克上と言われるように秩序はない
海賊ならぬ河族だったのかも
敗者の歴史は残らぬ
圏央道は橋を増設している
片側2車線になりそう
しかし圏央道はあまり話題にはならない
関宿城が見えてきた
122kが利根川と江戸川の分岐地点
徳川家康が利根川を銚子の方に流すようにした経緯
そのお陰で江戸川下流の方に人が住めるようになった
銚子で捕れた魚を利根川と江戸川を使い江戸にいち早く運べるようにもなった
関宿は水運の拠点でもあった
軍事的にも重要な拠点
城主は大名の久世氏で江戸城での内堀内に屋敷がある
御老中
茨城県側には「境河岸」がある
東北の物資をここで船に乗せ江戸に運ぶ
鉄道が栄える前は水運の時代
駅前が一等地だったように
河岸の周りが一等地だったと思える
堺の渡し
今でも「渡し船」はやっているようです
江戸時代には利根川に橋は架かっていませんでした
関宿と堺は「日光東環道」だったので
歴代の将軍様が日光に詣でをする時は通る道でもありました
かなり重要度の高いルートだったと思えます
旧市街道を少し走る
橋がある方の通りが今の本線
渡しから続く道なりが旧道
「道の駅」
木を使ったインパクトのあるデザインの建物が
国立競技場をデザインした人と同じデザイナーの作
ここでで休憩
残り36k
市じゃなく町なんだけど
力を入れている感じが伝わります
魅力度最下位脱出はこういった努力にあると思えます
帰りは江戸川沿いの町中を走る
気になった寺に寄る
「清流山雲国寺」1465年創建
江戸時代以前なのがいい
移転してこの地にあるんだけど
境内に『貝塚の跡』があるのが凄い
縄文時代から存在しているのがロマン
なんとか江戸川土手にもどる
さー、気合を入れてがんばろーー
なんか進み具合が悪い
風は強くはないけど向かい風
平均速度は13~15kくらいなんだけど
10k出るか出ないかくらいの速度
風に乗ると20k位は出るのだが
帰りは疲労も重なり力が出ない
土手は平坦なんだけど緩やかな登りレベル
強風だと進まないけど緩やかなのは地味に堪える
ウォーキングが5k位だけど、ジョギングは10k、マラソンは15k
選手なら20k以上で走っている速度
10kmの道は時速60kで走れば10分で走れる
30kだと20分、15kだと40分、7kだと80分もかかる計算
自分は平均10k1時間なペース
(エンジンとは違い10kも人力は同じ速度では走れない)
日が暮れてきた
今の時期は7時くらいまで明るい
鉄橋からはのこり20k、2時間で帰れるはずだが
2時間半かかった
流山市内に入ってから風が弱まったので助かった
関宿方面はあまりいい思い出は無い
帰りの辛い記憶が多い
ある意味修行モード
上級者向けのコースに思う
北方面は冬、南方面は夏の方が帰りが吉
今回は午後に風が強くなったのが誤算だった
事故もなく怪我も無くて何より
110k、無事に完走しました