ライズ外伝

仕事以外の趣味のコーナーです。
主にお出かけが多いです。
ポタリングしてます。

旧日光街道(東往還)ポタリング五

2019-01-26 | 道中
続編




今回はここに来るまでが大変でした

前回の続きの関宿編です

先に将軍の通る御成道を走ったので

今回で旧日光街道シリーズ最終回です

利根川まで行きます





前回は暗くなったので撮影できなかった所

『日枝神社』からのリスタート

富士塚があり将棋の名人の碑も有名です

灯篭の穴が2個は珍しい

あえて3個目を開けない位置が絶妙です






野田市なのに『流山街道』

江戸川沿いを走ります

昔の道は川の中





『宝珠花橋』を過ぎる

新しい神社が見える

『八坂神社』でした

移転したようです





この辺りから昔の道と合流

ここで食事をしようとしたら休みだでした







野田市なのに『柏寺』

瓦にも柏の文字

『柏寺神社』(香取神社)

情報がない





流山街道の柏寺香取神社

柏寺に流山街道

ややこしい





お腹が空いたので休憩

激麺の味噌ラーメン

野菜が400g





満タンで再出発


『諏訪神社』

参道の石畳がなく更地

雨降りは大変そう





ちらりと観光名所案内


『水塚』が気になった




犬の訓練学校

以前に江戸川の河川敷で訓練を見かけたことがある


旧道は右の道へ






ようやく『旧日光街道』の説明版

関宿町からは『多功道』と呼ぶらしい

森みたいなところへ行くと






お城の門(関宿城うずめもん)

関宿城から移築したもの

明治維新で取り壊し払い下げられた

関宿藩は徳川派






ちょっと進むと菅原神社とお地蔵さん

気になるのは左端の

『即身成仏』のお坊さんのお墓





広い道に出ると

はやま

となりに筑波山がみえる





今回の痛恨のミス

右に行くのだったが

真っすぐに進んでしまった


『富士神社』

富士塚がある


この周辺に『ひまわり』の名所がある





この次に道が分かれるのだが

地図によって数字が違う

両方17号もあれば、突き当たってから26号

実際には十字路ではない





分岐点にお寺がある

『福寿院』

個人宅みたいだったが個性的

白い大黒様がインパクト

久世家に関連アリ



つづく
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旧日光街道(東往還)ポタリング六

2019-01-25 | 道中
つづき




正直、足がパンパン

風は坂道並みに足にきます

関宿は毎回つらいです






『二三夜塔』と『一九夜塔』を見かける

なんで三日月と十五夜じゃないんだろうか?







『実相寺』

門がほんと素晴らしい

関宿城の本丸の一部を移築した客殿があるのだが、見逃す

(家紋は高城氏と同じ月星)




この辺りは城下町

寺も多い

突き当りがお堀になっていた

搦手門(からめてもん)の入り口

大手門は川の方





街道は右折クランク

『鈴木貫太郎記念館』に寄る

元総理大臣で226事件の被害者





ここで青年将校に襲われ銃弾をあびるが

奇跡的に生き帰る

奥さんのその時の証言がDVDに保存されている





休んだので足は大分回復した


『香取神社』にも寄る






ここも個性的で、本殿には階段ではなく坂で登る

となりに『八坂神社』もある

松戸神社もそうだが鳥居の前に狛犬が配置されている

天王祭りが有名





再び本線に戻る

昔は利根川に橋はなく渡し船

堺橋の左の方へ行く





案内板がある

この辺は『大工町』

この道は『久世街道』と呼ばれている

関宿城藩主の久世氏にちなむ

明治には『陸羽関街道』とも表記





利根川堤防に到着

昔と地形は違う

ここまで東葛飾郡

向いは猿嶋郡、隣は西葛飾郡と

武蔵国北葛飾郡と入り組んでいる


家康が江戸に入る以前は千葉と茨城はここで陸つなぎだったとのこと

それを銚子へ利根川を付け替え、北からの攻めの防波堤にした

結果的には水運の拠点にもなった

重要な地





お城(博物館)が見えるが本来の位置とは違う


お城の『鬼門除け稲荷』もあるが今の位置ではない



千葉県と茨城県の県境でとりあえずゴール

渡し船は土手の下の方

石碑は見当たらない





とりあえず博物館に行く

博物館の位置は昔は川の向こう

江戸川ではなく『逆川』と記されている


本丸はもう少し下流にあった

川の自然防波堤に囲まれ丈夫そうだが

水攻めに弱そう


下流へ



この辺が元あった城の位置

明治維新後に解体され農地に

こんなに変わってしまうのかと・・・





この『棒だし』の辺りから江戸川の表記

向いは権現堂川

棒だしとは、川の水量を調整するもの








その道のカーブに『関所』があった

関宿の関のゆえんか

川向は武蔵国

この道が『鈴木貫太郎記念館』の前の道につながる

(こっちの方で栗橋以外に関所があるのは意外)



古代道もここを通り下野国府に行っていそう??

霞が関の関も重要な地につけるとのこと

流山市の茂呂神社を通った説もうなずけるかも


日本橋からの旧日光街道

北千住と王子のルートがあり幸手で合流し栗橋関所を通る

栗橋関所の次に下総国古河に入る

一方、東往還道は関宿で利根川を渡り結城へ

下野国の多功宿を通り雀宮宿の手前で合流し日光へ

古河市に宿場の数が多いのが気になる

どの道も下総国を通っていたことに意味があるのか


日光東照宮ができる以前は奥州道で

幸手・栗橋・古河・小山のルートは鎌倉街道中ノ道



おわり
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日光御成道ポタリング(壱

2019-01-12 | 道中




日光街道を調べていたら

将軍様専用の道があることを知りました

他にも朝廷の通る『日光例幣使街道(にっこうれいへいしかいどう)』など

日光街道は複数存在していたのでした

柏から出ている『日光東往還道』も脇街道の一つです






今回は北区赤羽の岩淵にある『新荒川大橋』からのスタート

ここは旧鎌倉街道(中ノ道)としても重要な地

ザックリ言えば『岩槻街道』が日光御成道です


昔はまだ川は1本で渡し船で往来していました

室町時代以前には武蔵国豊島郡岩淵郷と呼ばれた地域

岩淵は宿場町として栄えていました





線路を越えるのが難しく

今の岩槻街道とは少し違います

駅の反対側に向かう

(稲付城址が近くにある)





線路をくぐり道なりに進むと坂道

「清水坂」


昔は険しくて長かったので

十条の長坂とよばれていました





公園の前に『日光御成道』の説明がある

間違えなくこの道

線路側の方は低く、大昔は海


(岩槻街道は崖っぷちを通るように王子へ向かう)





環七を越える

馬坂歩道橋(まさか?うまさか?)

右に『八雲神社』

道が細くなり古さが薫り出す





『十条富士神社』

富士塚がある

意外に神社仏閣が多い道

左は東十条駅





真光寺の公園に案内板

御成道と富士講の説明アリ


ここから遥か遠くの、江戸川と国府台が遠望できたのこと

確かに東南の方は低地になっているので

下総台地まで見えそう





やっぱ徳川家康と言ったら富士山を連想

一富士、二鷹、三茄子、四扇、五煙草、六座頭

初夢で見るといいものとされ、家康の好きなモノといわれた


「弥勒の世」というのは、遠い未来に於いて人間世界に弥勒菩薩が現れ,一切衆生を救い世界が理想郷となるという仏教の思想とのことで,富士信仰もそういった思想





少し進むとまたお寺

なかなか進まないが

ここのお地蔵さんは「鎌倉街道のお地蔵さま」と

かつては呼ばれていたようです





広い道に合流

左には「王子稲荷」と「名主の滝公園」がある

途中に斜め左に入り王子駅方面に行く道があるのだが

真っすぐ進み橋を渡ってしまった


線路沿いに岸町という名が残るように元々は岸村でした

紀州の熊野神社から王子権現を誘致して「王子」の村名に変わる

1322年ごろだけど稲荷神社には源氏のゆかりがある





『王子神社』は参拝客であふれていた

橋の下は都内でも珍しい「渓谷」になっている

昔は橋がなく坂を下った低地を渡るコースでした






路面電車の道に合流

王子のこの光景が好きだ

本線は坂の下から登ってこの道に出る





左は桜の名所の飛鳥山

右には茶屋が多かったと記されている


緩やかな坂道を走る

「六石坂」という

周辺に将軍の鷹狩りのお立場があったとされる


先に見えるのは「一里塚」


つづく



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日光御成道ポタリング(弐

2019-01-11 | 道中
つづき




今回の王子のこの辺りがほんと凄い所

古代の「豊島郡衙」のあった場所なのです

武蔵国の中心は府中なら、豊島郡の中心がここ

北区なのに豊島郡??となるけど

王子駅の北側に豊島1丁目~6丁目まである

練馬区にあるのに「豊島園」とは理由が違う


古代驛の「豊島驛」は単純ここかもしれない

墨田村宿の「浮島驛」の次の駅がここと予想されるが

古代驛名は今と違うことが多い







『西ヶ原一里塚』

日本橋から数えると2つ目

当時の位置にある一里塚は希少





この七社神社から滝野川公園の間に

「豊島郡衙」があったとされる所

国分寺と同じくらい重要な拠点

古代官道はココを通り驛もあった

王子と本郷を結ぶ道は鎌倉道で

今の岩槻街道の一部になっている





「平塚神社」(平塚明神社)

その昔はお城があったとされています

豊島氏の城館





創建は平安末期とされ源氏にゆかりがある

神紋は日の丸の扇子と珍しい

入口に和菓子屋さんがある





本線に戻る

旧古河庭園を右折すると下り坂

大炊介坂といい

木に覆われて暗かったので暗闇坂とも呼ばれている





逆光で眩しい

『霜降橋』

また坂を登り豊島区





ボケたが地蔵尊

子孫繁栄にご縁がある

この坂の名は『妙義坂』






坂の名前の由来の神社に寄ってみる

参道が個性的

住宅街だ





「妙義神社」

なんと651年に創建と区内最古

太田道灌にもゆかりがある


この裏の方に植木屋さんが多くあり

桜で有名な『ソメイヨシノ』の発祥の染井村がある





本線に戻る

間違いなく日光御成道

登り坂は駒込駅の橋までつづく





六義園(りくぎえん)を通過

古河庭園と名庭が続いた

小石川後楽園も有名


文京区に入る




上富士町

『駒込富士』に寄る

なんと富士塚の総本社だとか

前方後円の古墳だったという説もある





山には火消しの碑がある

個性的

富士講は火消の人達にも人気があったようだ


(高田馬場にある富士塚が都内最古といわれる)





なんと駒込と言ったら『茄子』が名産でした

一富士二鷹三茄子・・・

とくると『鷹』はあるんだろうか




ありました

どうも隣の神社の裏手が「鷹匠屋敷」

『天祖神社』

創建1189年で源頼朝にゆかりあり





本線に戻り走ると「吉祥寺」

かなりでかい

1458年に太田道灌が江戸城内の井戸で金印を発見がはじまり

大火事があり水道橋からこの地に移転

(JR吉祥寺駅と関連あり)





『赤目不動尊』や「浄心寺』を通る

目黒と目白は有名だが、全部で5色ある


お寺が多い、四軒寺町

この道をウナギナワテ(真っすぐ細長い)という





『本郷追分一里塚』

中山道と合流

東大の正門前



つづく
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日光御成道ポタリング(参

2019-01-10 | 道中
つづき




気になる道の呼称

古いから、旧日光御成道なのかもしれないが

新しい道に対して旧道


将軍がいなくなった現在は御成道とは呼べないのか?

岩槻街道の本郷通り

でもここから先は中山道と合流


全ての道が日本橋に通じるとなると

ほとんどの道を日本橋街道と呼ぶのだが

行き先が基準となると中山(なかせん)ってどこ?と






東大と言ったら赤門が有名

もともとは加賀の前田家屋敷


そして「弥生時代」の弥生とは

この東大の敷地の弥生町で発見された遺跡から命名されている







緩やかに下りまた登る

この辺は、本郷と呼ばれるだけあり重要な拠点

鎌倉街道はここから鳥越と落合に走っていたとのこと

川越街道(春日通り)はここから





日本橋の標識が見える

英語表記はNihonbashi

JapanBridgeではない



なにやら通行止め?に

自転車を押して通過する





「神田明神」

初詣客で人が凄い

神田明神は江戸城の鬼門の位置に移動した神社

平将門を祭っている


坂を下る

ここからは平地、後2キロ





鉄橋をくぐり外堀へ

昔は萬世橋はなく昌平橋の隣に「筋違橋門」がありました

本ルートはそこから





ビフォーアフター

須田町は昔と少し違います

日本橋へはここから一直線


ここよりお茶の水の方面の神田山を削って

日比谷の入り江を埋めたとのこと





下町とは本来「城下町」のことを呼び

この神田周辺や日本橋界隈を「下町育ちの江戸っ子」という

江戸っ子は親子三代にわたり江戸に住んでいる人のこと

江戸の範囲の定義も難しいらしい

(英語のダウンタウンは直訳だと下町だけど繁華街をさす)



本町通りを過ぎると


『日本橋』

ゴール・・・・なんだけど

将軍は江戸城に行くことに気づく


さっきの本町通りに戻る



常盤橋から大手門に行き江戸城に入るのが本ルート

この辺の道も少し変わった








昔の常盤橋は修理中

地図のようにクランクして進む







大手町は箱根駅伝大会終了後


この手前まで日比谷の入り江が来ていた模様


古代東海道はココを通り下総の市川国府へ





『将門首塚』

元々の神田明神はここにあり今の所に移転

ここは平安時代の陸地の証明





そして内堀に

大手門でゴール

江戸城の正門

でもここは大名の出入り口であって

将軍は半蔵門の方だったとも言われる?






殿様は天守閣に住んでいると思われがちだが

中奥に住んでいる(大奥の手前)

天守は火事で燃えてなくなって再建しなかった経緯


江戸城は1457年に太田道灌によって造られ

北条氏の配下に置かれる

1590年に小田原北条が落とされ

豊臣秀吉の命礼で徳川家康が江戸城に入る


江戸の町の整備にともない

鎌倉時代の道も、平安時代の道も変更された

江戸は家康が入ってから栄えた街のようだけど

江戸時代以前からある神社仏閣をみると

それなりに栄えていたような気がする


今回はちょっとやり残しがあるようなので

もう一度チャレンジしてみたいと思います

敬具

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