最近気になっているエリアです
『平潟遊郭』があったというのもそうですけど
元々の水戸街道はここを通っていたとのこと
そうすると古代官道駅の『茜津』はここなのでは?と
確かに松戸宿は江戸時代になってから発展したもよう
更級日記に登場したのは矢切ともいわれるが
平潟の可能性もある
葛飾区の半田稲荷のルートが浮上する
金町松戸関所は江戸時代に設置されルート変更したと推測
樋野口の江戸川を直線にした影響もある
すっかり遊郭の名残も消え
住所は平潟から松戸に変更
『柳の木』が唯一の名残だときいていた
ところが『電柱』も残っていたのだ
このデザインの電柱はほとんど見かけない
定かではないが戦前から間違いなくあった
平潟遊郭の歴史情報が少ない
昭和31年(1956)には消えたもよう
大正モダンとよぶべきか
なんかいいい
デープでレトロ
このデザインがいい
通りに5.6本は残っていて
何本かは現役に使われている
関東大震災と東日本大震災を耐え忍んだとなると凄い
(関東大震災後にでにたのか?)
遊郭の歴史は室町時代にできたとされる
そして公の路沿いにはない
おそらく水戸街道がルート変更されて
その跡地にできたのではないかと思う
(この平潟の情報が少なく起源などははっきりしていないので推測)
明治31年には『平潟遊郭』と呼ばれていたらしいが
江戸時代は『飯盛女』的な旅籠屋なたいな
こうなると『入鉄砲出女』の意味を難しく思う
関所の前にある遊郭
江戸に入れない人のために存在したのか?
江戸から出た人のためなのか?
謎に包まれている感じもいい