つづき
ここから市川の江戸川まで走ります
坂川の歴史は古く、1692年の新田開発の時に人工的に造った川
もめ事と氾濫が多く大変だったようです
折り返しは左岸を走る
右岸には『八木川』があり用水路になってます
この川がおおたかの森から運動公園をへて合流
長崎・野々下・古間木・柴崎
水源にまつわる地名かは不明
北の方に坂があり山となっている
川は南の平地へと流れる
高校の前から免許センターへ
車の通りが多い
流山市には『古間木』と『駒木』がある
(フルマキとコマキ)
免許センター裏を走る
向いには『前ヶ崎城址』がある
前ヶ崎城は戦国時代の小金城の出城の役割をもつ
富士川側から坂川に合流
ここから松戸市幸田
縄文遺跡があるとても古い地域
この辺でちょっと寄り道休憩
わざわざ坂を上がり流山市古間木へ
『大海老天丼定食』
こっち周りにしたのもこの店に来たかったから
本線に戻る
幸田と書いて『こうで』と読む
『こうだ』ではなく新田でもない
大学の前の橋は迂回
『中金杉』に『大金平』
『小金町』があり大中小の『金』の付く地域
流鉄も駅の方まで迂回
ここから『新坂川』に分岐する
坂川の情報のある掲示板を見つける
この辺で流山市との境界線が終わる
この先から松戸市
上郷名主の『渡辺庄左衛門』は鰭ヶ崎村の人
坂川の大功労者
小学校前は工事中で迂回
武蔵野線もアンダーパス
護岸整備中
新松戸エリア(旧小金)
廃校後は交流館に
この辺はマンション街
坂川放水路と坂川の分岐点の桜がいい
晴れるとスカイツリーも富士山もよく見える
坂川源流から放水路まで6.3kが北千葉導水路
1982年に坂川放水路が完成してから洪水はかなり減る
利根川(布佐)から手賀沼をぬ抜けここ江戸川(松戸)までつながった
これで手賀沼の水が綺麗になる
その坂川放水路の江戸川周辺には『外河原村』があった
河原塚と関連があるというが詳しい事は分からず
江戸川の改修工事で河川敷になり住民は移動した
水の主と書いて『主水新田(もんとしんでん)』は現存する
つづく
ここから市川の江戸川まで走ります
坂川の歴史は古く、1692年の新田開発の時に人工的に造った川
もめ事と氾濫が多く大変だったようです
折り返しは左岸を走る
右岸には『八木川』があり用水路になってます
この川がおおたかの森から運動公園をへて合流
長崎・野々下・古間木・柴崎
水源にまつわる地名かは不明
北の方に坂があり山となっている
川は南の平地へと流れる
高校の前から免許センターへ
車の通りが多い
流山市には『古間木』と『駒木』がある
(フルマキとコマキ)
免許センター裏を走る
向いには『前ヶ崎城址』がある
前ヶ崎城は戦国時代の小金城の出城の役割をもつ
富士川側から坂川に合流
ここから松戸市幸田
縄文遺跡があるとても古い地域
この辺でちょっと寄り道休憩
わざわざ坂を上がり流山市古間木へ
『大海老天丼定食』
こっち周りにしたのもこの店に来たかったから
本線に戻る
幸田と書いて『こうで』と読む
『こうだ』ではなく新田でもない
大学の前の橋は迂回
『中金杉』に『大金平』
『小金町』があり大中小の『金』の付く地域
流鉄も駅の方まで迂回
ここから『新坂川』に分岐する
坂川の情報のある掲示板を見つける
この辺で流山市との境界線が終わる
この先から松戸市
上郷名主の『渡辺庄左衛門』は鰭ヶ崎村の人
坂川の大功労者
小学校前は工事中で迂回
武蔵野線もアンダーパス
護岸整備中
新松戸エリア(旧小金)
廃校後は交流館に
この辺はマンション街
坂川放水路と坂川の分岐点の桜がいい
晴れるとスカイツリーも富士山もよく見える
坂川源流から放水路まで6.3kが北千葉導水路
1982年に坂川放水路が完成してから洪水はかなり減る
利根川(布佐)から手賀沼をぬ抜けここ江戸川(松戸)までつながった
これで手賀沼の水が綺麗になる
その坂川放水路の江戸川周辺には『外河原村』があった
河原塚と関連があるというが詳しい事は分からず
江戸川の改修工事で河川敷になり住民は移動した
水の主と書いて『主水新田(もんとしんでん)』は現存する
つづく