ライズ外伝

仕事以外の趣味のコーナーです。
主にお出かけが多いです。
ポタリングしてます。

坂川一周ポタリング②

2019-03-31 | 道中
つづき




ここから市川の江戸川まで走ります

坂川の歴史は古く、1692年の新田開発の時に人工的に造った川

もめ事と氾濫が多く大変だったようです






折り返しは左岸を走る

右岸には『八木川』があり用水路になってます

この川がおおたかの森から運動公園をへて合流


長崎・野々下・古間木・柴崎

水源にまつわる地名かは不明

北の方に坂があり山となっている

川は南の平地へと流れる





高校の前から免許センターへ

車の通りが多い

流山市には『古間木』と『駒木』がある

(フルマキとコマキ)





免許センター裏を走る

向いには『前ヶ崎城址』がある

前ヶ崎城は戦国時代の小金城の出城の役割をもつ





富士川側から坂川に合流

ここから松戸市幸田

縄文遺跡があるとても古い地域


この辺でちょっと寄り道休憩



わざわざ坂を上がり流山市古間木へ

『大海老天丼定食』

こっち周りにしたのもこの店に来たかったから





本線に戻る

幸田と書いて『こうで』と読む

『こうだ』ではなく新田でもない





大学の前の橋は迂回

『中金杉』に『大金平』

『小金町』があり大中小の『金』の付く地域





流鉄も駅の方まで迂回

ここから『新坂川』に分岐する

坂川の情報のある掲示板を見つける





この辺で流山市との境界線が終わる

この先から松戸市

上郷名主の『渡辺庄左衛門』は鰭ヶ崎村の人

坂川の大功労者





小学校前は工事中で迂回

武蔵野線もアンダーパス

護岸整備中





新松戸エリア(旧小金)

廃校後は交流館に

この辺はマンション街





坂川放水路と坂川の分岐点の桜がいい

晴れるとスカイツリーも富士山もよく見える

坂川源流から放水路まで6.3kが北千葉導水路


1982年に坂川放水路が完成してから洪水はかなり減る


利根川(布佐)から手賀沼をぬ抜けここ江戸川(松戸)までつながった

これで手賀沼の水が綺麗になる


その坂川放水路の江戸川周辺には『外河原村』があった

河原塚と関連があるというが詳しい事は分からず

江戸川の改修工事で河川敷になり住民は移動した


水の主と書いて『主水新田(もんとしんでん)』は現存する



つづく


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坂川一周ポタリング③

2019-03-30 | 道中
つづき




坂川放水路の方には行かずに

本線の坂川沿いを走ります


大昔の坂川は大谷口新田から『六軒川』のルートで

長津川に流れていたという説があります


古坂川が存在していました


1723年にこのルートで長津川に直角に合流し江戸川へ

しかし川の氾濫は改善されず







この先に、川に囲まれた民家があります

お堀に囲まれたお城のような

ある意味の『島』のような場所です

この辺は苺栽培してます





この辺でほぼ半周

ここの桜もなかなかいいです

西馬橋





馬橋村と伝兵衛新田の間を流れていたのが『長津川』

(馬橋の由来になる橋の下を流れる川で古くからある)

高校と小学校の裏の横六間川が名残らしい

江戸川に『伝兵衛樋門』があったとされる

この辺の新田開発は江戸時代になってから

明治時代になり『明村』となった


現在は『栄町』

「坂川」と「江戸川』を合わせた名が由来

この辺での梨園は珍しい


ゴールデンウイークに鯉幟を飾るのは

この町の風物詩





神社裏に坂川の碑

江戸時代の天保六年(1835年)ころに流山から

市川の国府台まで完成し洪水が減った



このルートは新しく造り足された

1813年に伝兵衛新田から松戸宿まで工事

(長津川~赤圦樋門)



神社に寄る




『香取稲荷神社』

農村エリアはお稲荷さんが多いんだけど

武神の香取様を祭っているのは珍しいです

(千葉県の一の宮は香取神社ですが)


そして、明治に仏教と神道は分けられたけど

ここは隣り合わせに立っています


下総国小金領伝兵衛新田の文字が

東葛飾郡ではなく小金領

幕府の天領地だったということ



安永3年は1775年

(アメリカ独立宣言は1776年)

安永10年(1781)に逆川工事開始

1783年(天明3)、浅間山噴火

天明の大飢饉は有名

(富士山の噴火は1707年(江戸時代)の宝永大噴火)





この先に洪水の痕跡のある民家が残っている

大きい木の角を曲がる

大きい木のある家はかなり古い





なぜそこに入口が?となるが

倉が高い所にあるのは洪水から守るためで

船でここから荷を積むためでもある


こういう家を『水家(じんぎょ)』とよぶとのこと





本線に戻るも左岸は通れなくなる

右に迂回

右に旧古ヶ崎浄水所

古ヶ崎には排水機場と浄化施設がある

初期の樋門も古ヶ崎にあり

古ヶ崎までが『上郷』と区分されていました


赤い橋を渡り水にまつわる神社へ




バス停に『小僧弁天』と表記

川沿いにあり参道が細長い

鳥居があるので神社





馬橋の『萬満寺』と関連かあるとのこと

しかし違和感の多い神社だ

昔の写真だと赤い鳥居でした





古ヶ崎五差路で川が合わさる

川も複雑

左岸を攻める





新坂川とも合流

新坂川は昭和に掘られる

なれないと川を見失う





川沿いと道に段差アリ

高い建物が多くなる

根本

(ここから下郷)




道幅がまばら

以前走った旧河岸道の橋を越える

川が二又に分かれる


初期の坂川は右の方

1813年(文化10)頃に『赤圦樋門』が完成する

そこで江戸川に排出するようにしたが

そんなに変わらず


この時代はまだ逆川と呼ばれている

国府台までの開通はなかなか認められず

下郷との対立は続いた





つづく
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坂川一周ポタリング④

2019-03-29 | 道中
つづき




坂川が現在のルートではなかったのを知りませんでした

川が直角につながっているのも自然ではないとは思ったが

『掘りつぎ』という技法で堀と堀をつなげていたのです


計画が思うように進まなかったり

仮掘りみたいのもあったようです





右側の森が気になる

『福岡宅大樹の森』といわれるが

情報が少ない






旧水戸街道に出る

マンション下に坂川と春雨橋の説明

松戸宿に坂川を通すのも大分反対があったようだ

なぜ直角に曲がるようなルートなのか

江戸古地図にはまだ坂川は記載されていない

この地図より後に完成されたようだ





川を曲がると桜並木が見える

橋を渡り右岸へ

神社の横で『神田川』と合流





神社は自転車で通り抜けられない

ここに坂川の歴史が記されている

昭和初期まで水上交通に川舟を使っていたのでした





松戸神社に寄る

水神宮の狛犬が印象的

龍の御神水が素晴らしい





川に戻ると川津サクラが見事

川沿いに神社仏閣も多い

だいたいは江戸時代創立もの






ここのポイントは最後の将軍も立ち寄った場所

しっかり写真が残っている

明治38年の光景






メガネ橋のレンガ調がいい

ザ・文明開化

松戸市内にはいくつか明治の名残がある






『こち亀』の扉絵になった小山交差点裏

ここで江戸川の水が入り込んでいる

堰き止めているせいか松戸神社前の水量が少ない






この辺から複雑になるになり

川沿いには進めない

自力で進む

ドラックストアー横を通る







外環道の下を通る

少し複雑

民家はある





道があるかと思いきや行止まる

民家の方に迂回する

上矢切地区





常磐線の下を通り

6号線の下を通る

自力でなんとか走りぬく




つづく
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坂川一周ポタリング⑤

2019-03-27 | 道中
つづき




難所は、外環、JR、国道

それをクリアすると矢切(やきり)

矢切は上中下の3つに分かれている

これぞ『三本の矢』

でもあまり主張していない

三矢小台(みやこだい)という地名はある





矢切地区になると景色は一新

のどかです

矢切ネギ、矢切の渡し、野菊の墓が有名





左岸は途中で行止まる

国分川と合流

国分川とは地下でつながっている





この辺から道が整備される

カツラの並木

下矢切地区になり中矢切はさっきの所だけ





不怪い象?、深いゾーのダジャレ

水深五mもある

お花畑ゾーン





北総線をくぐる

『ちば野菊の里浄水場』

古ヶ崎と栗山の浄水場がここに移転

第二期工事中(2025年完成予定)

栗山





柳原排水機場

ここもレンガ造りの重要建築

市川市との市境






柳原水門

現在はここの江戸川までが坂川とされる

が、今回は旧坂川へ






市川市国府台

堀池のように残っている


堤防を登ると



旧坂川の碑

55年の歳月がかかり完成(1836年)

これで『坂のように速やかに水が流れる川』となった




つづく
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坂川一周ポタリング⓺

2019-03-26 | 道中
つづき




坂川に歴史あり

上流に住む人と下流に住む人の対立

江戸川はどうだったのかと気になる


この辺りは海まで15k位

江戸川下流というよりは中下流

0m地帯よりはましだったのではとも思える





柳原水閘

現在は使われず公園となっている

松戸市指定文化財





明治37建立、レンガの4連アーチが特徴

土木遺産受賞

皇居のお堀は二連の2重橋





矢切水取場

ここでくみ上げ水道水に

松戸市の西半分はここの県水





北総線をくぐり

野菊の小道へ

この辺は来たことがなくお初





小説『野菊の墓』のワンシーン

この辺がモデルになっている

男女のいちゃつきが初々しい

でも客観的にお墓は・・・





ちょっとした公園がある

左方に旧矢切高校が見える

屋上で気象レーダーが回転している







この矢切エリアの再開発の話が出ている

外環が近くなったので物流センター案など

何よも東京に近い、農地はもったいない


元々矢切の高台の方は別荘地として再開発していたらしい

こっちの低地にタワーマンション街が出来ても問題になる

柴又側の帝釈天や寅さんを尊重すると長閑な田園風景がいい


個人的には『松戸ってどこ?』となった時に

説明しやすいシンボルマークになるようなものがあればいいと思う







矢切地区から難所ゾーンへ

国道をくぐり

ごたごた

常磐線をくぐり

住宅街を抜け

ごたごたと





外環をくぐり

ごたごた


市街地へ





外環の周辺は町工場が多いような

外環道インターチェンジが開通し路線価格は上昇

駅には少し遠いいかも





年代物のコンクリートかは不明だが保存されている

この辺は右岸に行ったり左岸に行ったり

通れる側が限られる





なんとなくだけどこの川沿いの民家がいい

京都の川床のような

町家の裏に流れる川のようで(妄想)





橋の正式名は『小山樋門』

メガネ橋も土木遺産賞を受賞している

この他に北小金の方の常磐線の橋桁に

明治のレンガが今も残っている





再び桜並木

このピンクが素晴らしい

残念ながら松戸市からデパートがなくなってしまった





春雨橋

昔は『水戸石橋』と呼ばれていた

逆川が通る前から別の川が流れてようです



ここで少し進路を変える

赤圦樋門へ


つづく
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坂川一周ポタリング⑦

2019-03-25 | 道中
つづき




春雨橋から赤圦樋門へ移動

ここが完成したころはまだ『逆川』と呼ばれていた

江戸川と同じ高さなのであまり機能しなかったのこと


そして今の江戸川の形とは違い

樋野口は今の三郷側の領土でした

1731年に直線にして切り離し樋野口は2つになる

旧樋古川が旧江戸川の名残






赤圦水門

名前の由来は分からない

昔の江戸川はこの辺まできていた





自力で分岐点へ

道が狭い

大きい木があり自転車は通れなかった





堂の橋

この先に『納屋河岸』があった

川と川に挟まれたこのエリア

ここで荷を積み代え日本橋に送る





小学校前になると道が広くなる

坂川の碑がある



川沿いが通れなく迂回

川沿いに建っている家の違いはなんだろうか






流山街道に出ると

『水神宮』

 文政4年(1821年)に再造

明治大正にも修繕

平成にリニューアルされ、北東を向く





『樋古根川』を渡る

ここが古江戸川の名残

古ヶ崎五差路に出る






自力で現坂川へ

どの辺まで旧江戸川かは不明だが

古ヶ崎樋門までの川は古くからあった模様

ここの水門から上流に逆流するので

今のルート案になった経緯

六間川の方が古くからあるようです





旧古ヶ崎浄水場

昭和11年から平成19年まで稼働

現在は『ちば野菊の里浄水場』より我が町に配水

水源は利根川水系江戸川





古ヶ崎

坂川は一級河川で國土交通省の管轄

明治時代は明村となる





庚申塔

成田山の文字も見える

下矢切の字もあるが関連が不明





隣に墓地がある

石造が向こう向きなので読めない

川が氾濫すると『土葬』の時代には流された


川より西は栄町西




小学校前の辺りが『一本橋』ではないかのこと

『長津道橋』と表記され

ここから江戸川に流れるのが昔の長津川

今は『横六間川』






駅前バス通りを越えると

『川通稲荷』

1つの町にお稲荷さんが2つあるのは珍しい


この辺は飛び地が多く支配者が別だからと推測される





そしてゴール

約34k


この地域を『小金下谷』と呼ぶ(六和地区とも)

逆川の時代は三年に一度収穫できればいい方だったが

坂川となり明治後半から『下谷三千石』と呼ばれるようになる

松戸の有名な白玉粉もルーツはココのモチ米

煎餅なんかは幻となり現代にいたる



おわり
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上矢切の弁財天(松戸市)

2019-03-15 | 名所



今回は数枚の写真の情報から探し当てた神社です

まだまだ地図に載っていない社(祠)は存在します

しかも何回も通っていた道沿いでした









気になったのがこの『蛇』の石造です

亀や狐はあるが蛇は初めて見ました

ネットで調べても情報はわずか

キーワードは

上矢切・弁天様・江戸川土手下とだけ


写真では『駐車場』のそばで『木』に囲まれた場所がヒント

グーグルアースで探すも見つけられず

ということで、わずかな手がかりで現場へ







上矢切地区を北の方から攻める

松戸テニス場周辺が怪しく思えたが見つからず

常磐線と6号をくぐると桜の木が目にはいった


立ち寄ると




『あれ、ここか~~』

遠くからだと分かりづらいが

木と駐車場があった





参道と鳥居がありかなり本格的

手水舎まである

今まで放置自動車の陰で見えないでいたのだった





平成4年奉納と手書きだった

最近使ったようなタオルもかけてある

新しいではないか





裏に回ると平成8年奉納

なんか個人の所有物の感じがしてきた

もう少しさぐる







石像には『富区 弁財天講中』

昭和9年11月

大分古くなった





水手舎には『文久元年8月』

文久とは江戸末期の明治維新の頃(1861年)

水戸脱藩者がイギリス公使を襲撃した事件がった


おそらく文久の前の万延か安政に何かあったから

祭られたと思うのだが、弁財天との関連はいかに


基本的に弁天様は『女神』で『水』に関係があるとされる

一方、武芸芸能といった芸術技術に精通する神仏とされる






実は、この社の隣は『江戸川河川敷ゴルフ倶楽部』になっている

このゴルフクラブの横と分かれば簡単な場所だった

あの放置車がなければ道沿いなので気が付いていたはず



なんとなくだけど

河川敷とゴルフと弁天様

近すぎず遠からずな関係に思える
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